12 / 40

4-3

  「忽那ホテル&リゾート」主要子会社の副社長を務める長男・忽那時成は現在二十八歳、弟に負けず劣らずの秀でた容姿を持っていた。 「ノスフェラトゥで普通種の生き餌バイトを連れ戻そうとして、プールに落ちた、ですか。随分とアグレッシブな方ですね」  深い切れ込みの眦はアイラインが映えそうだ。知的で繊細な細面に銀縁眼鏡がよく似合っている。マナーを踏まえた、そつがない食事の所作は文句のつけどころがないのだが……。 「……落ちたんじゃない。落とされたんだ」  ひたすら水を飲む伊吹生に凌貴はクスリと笑んでみせた。 「きっと、あの夜一番のショーでした。カーニバルなんて目じゃない」  オレンジワインで鴨肉の脂身を流し込む凌貴の隣で、伊吹生は、数時間前に鼓膜に飛び込んできた言葉を思い出していた。 (ずっと前に、学校で、普通種を襲った)  本当なのだろうか。  生き餌を競り落とすカーニバル・デイに興味はないと言っていた。血液パックで十分だとも。でも、実際は……。 「一体、どんな人なんだろうと興味が湧いて、調査員を雇った次第です」  それまで淡々と食事を続けていた時成の手がピタリと止まった。 「凌貴。自分がストーカー化する前に、まずは自分に付き纏う尾行者をどうにかしなさい」  伊吹生は驚いた。  事務所で凌貴が話していたストーカーの件は、口から出任せだろうと、今の今まで本気にしていなかったのだ。 「……彼女の目的は不明ですが、大らかな態度で冷静に対処し、余計な波風を立てないように」 「わかりました、時成兄さん」 「それから、今後、甫司法書士に迷惑をかけるのはやめなさい」 「はい、時成兄さん」 (どうだかな、口頭注意程度でコイツが大人しくなるとは到底思えないが)  歯痒さを持て余す伊吹生は、時成が咀嚼しているステーキ肉にチラリと目をやった。  いわゆる「ロー」という、火を入れていない生肉だ。腹痛を起こしそうで内心ドン引きしていたのだが、時成は涼しい顔をして丁寧に味わっていた。 「伊吹生さん。兄はこう見えて何でも好む雑食の大食いなんです」  余りにもイメージにそぐわない。伊吹生がつい吹き出せば、時成は弟の方へ批判的な視線のみ送り、今にも血の滴りそうな肉片に鋭い乱杭歯を突き刺した。  黒塗りの高級車に半ば強制的に乗せられ、伊吹生は事務所まで送ってもらうことになった。 「自宅じゃなく事務所でよかったんですか?」 「気分転換に書類作成する」  乗り心地のいい高級車は、うまい具合に混雑を回避して「甫伊吹生司法書士事務所」にスムーズに近づいていく。 「公園で何かしていますね」  裏通りの一角にある広々とした公園では、丁度、夏祭りが催されていた。橙の提灯がぶら下がり、所狭しと屋台が並んでいる。地域の人々がこぞって参加し、毎年盛況のようであった。 「町内の夏祭りだ」  助手席につく凌貴に後部座席から対応していた伊吹生は、自分の事務所があるブロックの手前で運転手に声をかけた。 「ここでいい、停めてください」 「伊吹生さん、ここだと少し歩きますよ?」  位置関係をすっかり把握しきっている凌貴に苦々しさを覚えつつ「酔い覚ましに丁度いい」と、溜息まじりに返した。 「水しか飲んでいないでしょう」 「乗り心地がよすぎて車酔いした。わざわざ送ってくれて、どうも」  車が路肩に停車する。伊吹生は自分で早々と扉を開いた。車内で冷えていた肌に暑苦しい夜気がどっと押し寄せてくる。午後九時を過ぎ、もうすぐ終わりを迎える夏祭りの音色が鼓膜に滲んだ。 「甫先生!」  公園の方角から小走りでやってきた拓斗に伊吹生は目を見張らせた。 「すごい車に乗ってるね。ツヤツヤしてる」 「マツモリ食堂」が忙しいはずの土曜の夜、甚平を着た拓斗はタコ焼きが入ったプラスチックの容器を手にしていた。無邪気に車を褒める少年の肩を抱き、伊吹生はその場から足早に離れようとした。 「普通種ですか。非常食用に契約しているのでしょうか」  車内で時成が口にした言葉は、きっと拓斗には聞こえなかっただろう。「普通種」よりも五感が優れている「吸血種」の伊吹生は、振り返らず、ただ苦々しさを募らせた。 「暑いよ、先生、あっち行って」  わかりやすく眉を八の字にしている拓斗の肩を抱いたまま、兄弟の乗る車に背を向け、伊吹生は歩き出した。 「この間、事務所にいた吸血種の人が乗ってたね」 「振り返るな、拓斗」 「先生、あの綺麗で怖そうな人と仲いいの?」 「そう見えるんなら今すぐ視力検査を受けろ」

ともだちにシェアしよう!