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7-1-今日花

 今にして思えば、凌貴の兄の時成はストーカーの正体を知っているような口振りだった。  会席料理店で初めて会ったとき、彼は尾行者を「彼女」と言い表した。弟をつけ回す者の呼び方にしては、どこか柔らかく、接し方にも「大らかな態度で」と注意を入れていた。 (高岡今日花が、凌貴に付き纏う尾行者なのか?)  出社時に感じた正体不明の執拗な視線。  自分にしわ寄せが来たのかもしれないと伊吹生は考えていた。凌貴に付き纏われる分、彼を愛するストーカーの怒りでも買ったのかと。  凌貴には伝えなかった。  昨晩の話を聞いて、もしも本当に尾行者が高岡今日花だったときのことを考えると、今後も伝える気にはならなかった。 (仮にそうだとして、何故、今頃になって自分を襲った凌貴に接近するんだ……?) 「甫先生、疲れた顔してるよ。無理しないでね」  正午過ぎに伊吹生は「マツモリ食堂」を訪れた。注文を取りにやってきた拓斗に労われ、慣れ親しんだ食堂の味で束の間の休息を得、事務所のあるビルへと戻る。 「あ、お疲れさまです、先生」  いつも約束の時間より早く来る客との打ち合わせが、午後最初の予定であった。三十分前の時点で、すでに扉の前で待機していた当人に、伊吹生はつい苦笑いする。 「前回よりも早い訪問ですね。今、開けるので少々お待ちください」  鍵を取り出そうとしていたら、壁に寄りかかって携帯を見ていた男は、のほほんとした調子で言った。 「自分の前にもいましたよ」  伊吹生は鍵を差し込む寸前で手を止める。 「ちょっと変わったお客さん」 「それは黒ずくめの青年ですか?」 「いいえ、こんな暑いのに長袖でフードかぶって、顔は見えなかったけど。女の子じゃないかな」 (女の子?)  凌貴による過去の告白を引き摺っていた伊吹生は、どうしても「高岡今日花」を思い浮かべてしまう……。 「ついさっきですよ。自分が来ると逃げるみたいに行っちゃいました。上に」  そこまで聞いた伊吹生は即座に回れ右をした。すぐに戻ってくると客に伝え、階段を駆け上る。  探していた相手は造作なく見つかった。  最上階となる五階、薄明るいフロアの片隅に蹲った、フードを目深に被った人物。 「高岡今日花さんか?」  伊吹生が声をかければ、カーキ色のパーカーに覆われた華奢な肩がビクリと震えた。 (やっぱり、そうなのか?)  膝を抱いて縮こまっていた彼女は、ぎこちなく顔を上げる。見開かれた瞳と目が合い、伊吹生は困惑した。 (幼すぎる)  凌貴より一つ年上だという高岡今日花にしては年若く、成人にすら見えない。幼さの片鱗が残る面差しは中学生のような――。 「お姉ちゃんを知ってるの?」  少女は真っ直ぐに伊吹生を睨んできた。 「忽那凌貴と一緒になって、お姉ちゃんを傷つけたの?」 「君は……高岡今日花さんの妹か?」  無言で立ち上がるや否や、階段を駆け下りていった少女を、伊吹生はただ見送ることしかできなかった。  以前に在籍していた総合法律事務所で培った人脈のおかげで、独立してからの仕事は順調であり、伊吹生は多くの依頼を抱えてきた。  午後に入っていた相談業務が全て終わり、ミーティングテーブルの上を片付けた司法書士は、地道な書類作成に取り掛かる。  ……キィ……  伊吹生は出入り口に目を向けた。  視線の先でノックもなしに開かれていったスチールドア。  カーキ色のフードが廊下から覗いた。 「用があるのなら、どうぞ」  呼びかければ、目深に被ったフードの下から、こちらを窺う二つの目が覗いた。 「ここには俺以外、誰もいない」  ぶかぶかのマウンテンパーカーにスキニージーンズ。色褪せたスニーカー。身長は百五十センチ台か、小柄な少女であった。 (この子は、どうして、わざわざ俺のところにまで来たんだ……?)

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