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告白/エピローグ

 朝が来る。 「クソ……腰が重たい……」  夜通し求められ、漸く眠りに落ちた凌貴のそばをやっとの思いで離れた。  ナイトガウンを羽織ってバルコニーへ出る。  熱の燻る肌身に澄み切った空気は心地よかった。綿密な装飾が施された手摺りにもたれ、大空に滲む朝焼け、常夜灯がまだ点る街並みを遠目に眺める。 「綺麗だな」  バルコニーで五分程ぼんやりし、仄暗い室内へ戻った。束ねられた天蓋の中、あれだけ独裁者ばりに振舞っていたのが嘘のように、眠り姫さながらにベッドに仰臥する凌貴を覗き込む。 (冷たい)  漆黒の寝具に包まる彼に片手を伸ばし、戯れに、些細な意趣返しに、真珠の色をした首をやんわり捕らえてみた。  掌に伝わる喉笛の感触。  五感に優れた凌貴が無防備でいるのは貴重な機会であり、好奇心が頭を擡げ、その頤を擽ってみる。 「ふ……」  微かな吐息を洩らした唇。  誘われるがまま触れてみた。 「もっと」  彼と目が合った伊吹生は、これみよがしに溜息をついてやる。 「起きてたんだろ」 「もっと、伊吹生さん」  本当に眠っていたのかもしれない。眠気を孕んだ重たげな双眸で、どこか甘えた声色で強請られて、伊吹生は再三溜息をつく。 「もっと貴方をください」  口元に添えていた指をそっと咬まれると、紛れもない疼きを覚えた。  鳥の雛のように口を開けた凌貴は、見せつけるように指先に舌を這わせながら、薄目がちに伊吹生を見上げてきた。 (俺の血を飲んで覚醒でもしたみたいだ、コイツは)  伊吹生はもう片方の手を深黒の髪に伸ばし、指を絡ませる。すでに飽くなき欲望に目覚めている赤銅色の眼差しに眩暈がした。 (共食いがどうしてご法度なのか、身に染みてわかった)  種の繁栄、存続のため。確かにその通りなのだろう。 「普通種」よりも同種の方がテイストも効果も優れていて、さらなる高みを目指すため、同胞同士で延々と屠り合って「吸血種」が終わりを迎えないように……。 (凌貴が刺された夜、血臭を薄める雨が降っていなかったら、俺は――) 「伊吹生さん」  名を呼ばれ、赤銅色の眼差しで明け透けに乞われ、伊吹生は考えるのをやめた。  止め処なく求められていることに身も心も同調し、伊吹生もまた欲しくなった……。 「僕は菖さんよりも深い痕を残せましたか?」   突拍子もない問いかけに伊吹生はやや正気を取り戻した。 「……姉は俺を傷つけたりなんかしていない。それに、お前だって。俺に残ったのは小さな咬み痕が二つだけ。深い痕が残ったのは……刺されたお前の方じゃないか」 「ええ。存外、今日花とその妹はいい駒として働いてくれました」  凌貴自身が辿った顛末とそぐわない発言に伊吹生は眉を顰める。 「刺された立場で何を言っているんだと? 被害者の強がりに聞こえますか?」  強がりではない。今、凌貴は心の底から満足している。艶やかに微笑む彼の余裕ぶりから、伊吹生はそう感じざるをえなかった。 「貴方に嫌われるのが嫌で、彼女達を攻撃するのではなく、守りに回った。あれは本当です。でも、理由はそれだけじゃありません」  ただ純粋に困惑している伊吹生を凌貴は愛おしげに見つめる。 「受け流すこともできたナイフは、敢えてこの身で受け止めました。伊吹生さんに永遠の負い目を背負ってほしかったから」  伊吹生は耳を疑った。 「あの日、妹を傷つけられると思い込んだ今日花は、貴方の元へまっしぐらに向かった。あの瞬間、偶々居合わせた僕は思いついたんです」 「偶々なんてよく言う……。お前、家族を大切にする二人の気持ちを利用したのか」 「おかげで効果抜群な悲劇が生まれました」  僕にとっては幸運でしたが、と凌貴は愉しげに付け加えた。 「死ぬとは思わなかったのか?」  伊吹生の問いに首を縦に振らず、横にも振らず、彼は斜めに頭を傾けてキョトンとした。 「……一番重要じゃないのか、自分の生き死にだぞ。いくら相手が普通種の女性だからって、刺された場所によっては――」 「伊吹生さんなら致命傷を負った僕に血を与えてくれる。そこまで確信していましたから」  そうは言っても、最悪、命を失っていた可能性だってある。危険にも程がある求愛行動に伊吹生は呆気にとられる他なかった。 「自分を守ったせいで刺されて死にかけて、同種の血を与えて暗黙のルールまで破らせて。伊吹生さんにとって、さぞ重たい十字架……深い深い痕になりましたね」  半身を起こした凌貴は、ベッドサイドで棒立ちになっていた伊吹生に抱きつく。人懐っこい肉食獣のように頬擦りし、うっとりと愉悦に浸った。 「夢見た通りに事は運ばれた。あの姉妹には感謝したいくらいです。周りには渋い顔をされましたが、僕を刺した罪は問わず、示談金は格安設定にしました」 「……この話は俺にバラしてよかったのか」 「伊吹生さんのことだから、薄々勘付いていたんじゃないですか?」  疑問には思っていた。様々な能力が秀でている凌貴ならば、刺される前にどうにかできたのではと、引っ掛かる点はあった。 (だが、まさか、そこまでして) 「それに、もう、僕のものになった」  伊吹生は忙しげに瞬きした。腹にしがみつき、上目遣いに見つめてくる凌貴と視線を重ねた。 「やっぱり、変わった奴だな、お前」  伊吹生は、最早、笑うしかなかった。 「そんなことのために命を削ったのか?」 「血よりも欲しいものができたのは初めてだったんです」 「本当に、どうかしてる」 「もっと伊吹生さんの純潔がほしい」 「……もう、散々くれてやっただろうが」 「乱杭歯の話ですよ」 「……」 「まだ誰の肌も知らない純潔の牙に、お揃いの痕をつけられたい。大切な人の血を我慢した貴方に、やっぱり咬みつかれたい」  凌貴のことだから、瀕死の重傷を与えて無理やり血を吸わせようとする、なんて凶行もありえるかもしれない。 「俺は御免蒙る」  本気で危惧した伊吹生が離れる素振りを見せれば、そうはさせまいと、凌貴はがむしゃらに縋りついてきた。 「貴方と同じ時間を過ごしたい。貴方と色んなことを共有したい」  以前、恋愛感情について触れた伊吹生の台詞をなぞって、彼は思いの丈を打ち明ける。 「好きです、伊吹生さん」  飾り気のない告白だった。  今までで一番、伊吹生の心臓を貫いた。 「もっと貴方を手に入れたい」  これ程までに素直な欲望をぶつけられるのは初めてで、呆れ果てるのと同時に、折れた。  一体、どれだけ求められているのか。  手が付けられない思いの丈を、ふと、無性に甘やかしたくなった。  我が身を心底欲しがる凌貴に伊吹生は自分からキスをした……。 「凌貴、お前に会いたかった」  彼に抱かれた。  血への渇望を上回る獰猛な恋心に咬みつかれ、伊吹生は、どこまでも凌貴に囚われてやった。 end

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