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目には目をアルファにはアルファを【1】/高校生オメガバース・パラレル番外編
■コチラは別の短編集「バレンタインデー系」から移動させた話になります
■伊吹生、凌貴、二人ともアルファ性です
「伊吹生、おはよう、ハイこれ」
朝、起床後の洗顔を済ませてリビングへ行けば、朝食の用意をしていた大学生の姉にソレを手渡された。
「今日ってバレンタインデーでしょ」
「ああ……そういえば」
「夜はサークルがあって遅くなるし、今の内に渡しておこうと思って」
「ありがとう」
制服に着替える前でスウェット姿の甫伊吹生 は、寝起きにしては精悍な顔つきで律儀にお礼を述べた。
幼稚園から大学まで擁する私立学園、アルファ・ベータ・オメガが混在する共学の学校に伊吹生は通っている。
「やっぱ今年もすごすぎ」
自宅マンションから徒歩十分で到着する高等部の教室に差し掛かれば、ベータ性の女子グループがいつにもまして廊下に群がっていた。
「アルファの中でもランク高い人達が集合しちゃってる」
「学園のトップにチョコ渡すベータのコっているのかな」
「恐れ多くて近づけないよね」
彼女達が覗き見している教室に伊吹生は入った。
アルファ性とベータ性で編成されたクラス。
こちらも、いつにもまして香水の香りが立ち込めていた。
「凌貴クンのお口に合えばいいんだけど」
「私のは有名なパティシエが監修したチョコレートなの」
「限定フレーバーのブラウニー。オレンジが香って大人っぽい味だから、凌貴クンも楽しめるかなって」
教室の中央で群れる容姿端麗なアルファ女子のグループ。
輪の中心には忽那凌貴 がいた。
この学園に幼稚園からストレートで通っている内部生。
どの学年においてもトップクラスの成績を誇ってきた、ダークカラーに統一された制服が恐ろしく似合う、真珠色の肌をした眉目秀麗なるアルファ。
癖のない髪は深黒、大人びた色香が眦に滲む双眸は闇夜の深みを湛えていた。
「どうもありがとう。毎年貰っているのに、また今回もこんなにプレゼントしてもらえるなんて」
うっすらと色づく薄い唇が卒ない美辞麗句を紡ぐ。
彼の席はバレンタインデーの貢物で溢れ返っていた。
「凌貴クン、他校の生徒からも貰ってたよな」
「校門のとこで待ち構えられてるとか、アイドル並み」
女子だけでなくアルファの男子も集う華やかな群れを迂回し、伊吹生は隅の席に着く。
「なーなー、あれ見てよ。去年よりもグレードアップしてない?」
伊吹生の元へいそいそとやってきたのは、自分と同じく高校から入ってきた外部生でベータ性の拓斗 だった。
「この教室、香水ショップ並みに香っちゃってるし。ほらほら、どのチョコもめちゃくちゃ高いトコのだよ。あそこまでいくとお供え物みたい」
半ば羨ましがっている拓斗の茶髪頭を伊吹生は撫でてやる。
同じ高等部の二年だが、どうにも弟みたいに思える拓斗のことを日頃から伊吹生は気にかけていた。
「おいっ、ガキ扱いすんな!」
当の本人からは嫌がられているのだが。
「てかさ、ソッチは誰かから貰ってないんですか!?」
「特には」
「あ! おねーちゃんからは貰えるんでしょ?」
「菖からは朝にもう貰った」
「いーないーな! あんな美人なおねーちゃんに貰えるなんて! チョコ十個の価値あんじゃん!」
「声が大きい、拓斗」
姉の菖 と伊吹生は血が繋がっていない。
伊吹生の実母、菖の実父が再婚同士で、二人は連れ子同士であった。
「オレはイブキが一番かっこいいアルファだと思うけどなぁ」
そう。伊吹生はアルファ性だった。
能力が高い故に驕り高ぶるアルファとはそりが合わず、大抵、一人でいるかベータ性と行動を共にしている。
短めの黒髪で凛とした上がり眉、日焼けに疎い肌は色白で身長176センチ、バランスのとれたしなやかな体つきは運動部のエースを思わせる、実際は帰宅部なのだが。
凌貴には劣るが成績優秀であり、弁護士の母親を持つ伊吹生は同じ道に進みたいと考えていた。
「凌貴サマはご覧の通り、いっつもアルファに囲まれてベータを寄せつけない、それにやっぱりなんか怖い。でもイブキはさ、外見はとにかく内面もかっこいいっていうか」
「拓斗。シャーペンの芯でもほしいのか」
「そーそー、イブキはさ、芯があんの。どんなときでも曲がんないの。そんで優しい。ごみ当番、オレらベータに押しつけたりしない」
「ごみ捨ては外の空気が吸えて気分転換に丁度いいんだ」
「そもそも凌貴サマが掃除してるの見たことない。日直になってもソレらしいことしない。文化祭や体育祭でも来賓扱いされてる――」
「来賓扱いは言い過ぎだと思うよ、拓斗君」
伊吹生に注意された後、小声で話していた拓斗はヒュッと息を呑む。
「ちゃんと競技にも参加しているし、文化祭でもお手伝いしているつもりだけど」
いつの間にアルファの輪から抜け出して隅の席へやってきた凌貴は、見る間に青ざめていった拓斗に笑いかける。
「お手伝い、じゃない。学校行事は生徒一人一人がメインになって率先して動くものだろ」
凌貴の微笑が深みを増した。
どこか嗜虐性を漂わせる闇夜色の双眸を向けられて、批判紛いの発言をした伊吹生は、怯むでもなく真っ向から見返す。
「放っておこう、凌貴クン」
「ベータの僻みなんか聞き流すのが一番」
「アルファとしての品格が足りなくて、ベータとつるむようなアルファのなり損ないの方も。わざわざ凌貴クンが相手にする必要ないよ」
すぐに取り巻きのアルファが駆け寄ってくる。
教室の中央に戻るよう促された凌貴は、伊吹生と視線を交わらせたまま、そっと口を開く。
「君達は僕に意見して、僕の行動を制限する、その権限が自分にあるとでも思っているのかな」
今度は取り巻きのアルファが一斉に青ざめた。
遠巻きにしていたベータも、教室にいたほぼ全員が凌貴の機嫌を損ねないよう、頑なに息を殺した。
「まるで独裁国家の暴君だな」
一人、伊吹生だけが通常運転だった。
「ッ……皆さん、予鈴はもう鳴りましたよ? 早く席に着きなさい」
担任がやってきても張り詰めた空気は変わらず、この教室のみならず学園の絶対的存在である凌貴がお行儀よく席に着くと、やっと皆も動き出した。
「うう……ごめん、イブキぃ」
凌貴にただただ圧倒されていた拓斗に謝られる。
伊吹生は首を左右に振り、その茶髪頭をいつもの調子でポンポンと撫でてやった。
「そんなことがあったんだ」
「ちっちゃい声で話してたのに丸聞こえで、いきなり真横まで接近されてたし、オレちびっちゃうかと思った」
「拓斗、また聞かれるぞ」
伊吹生に言われて、慌てた様子で拓斗は辺りを見回す。
「ッ……いや、いくらなんでも、この距離なら聞こえないでしょ」
そこは学園のカフェテリアだった。
広々としたフロアは中高の生徒で賑わっていて騒がしい。
凌貴を含めたアルファのグループは日当たりのいい窓際のソファ席を陣取っていて、壁際のテーブルで食事をとる伊吹生達とはかなり離れていた。
ルックスのいいアルファが集う中、凌貴は群を抜いていた。
眉目秀麗な見た目も当然ながら、高校生らしからぬオーラがあり、所作の一つ一つも洗練されていて特別な存在感を放っていた。
(文化祭……か)
拓斗の話を思い出して伊吹生は無意識に眉を顰める。
去年の十月の文化祭のことだった。
二十代前後と思しきアルファの来客にオメガの同級生が絡まれ、教師を呼ぶ時間も惜しく、伊吹生はすぐさま止めに入ろうとした。
『それはマナー違反です。誰かに言われないとわかりませんか?』
伊吹生よりも先に彼等を制したのは凌貴だった。
少しも尻込みせず、年上のアルファの群れを冷たげに見据えていたのを、よく覚えている――。
「――全能のアルファ様とか言われてる忽那凌貴のことだもん。どこで誰が何を話してるか、取り澄ました顔で把握してるのかも」
伊吹生達とランチを共にしていたのは中学部三年生の心春 だった。
前年度、上級生のアルファらに寄ってたかって罵倒されていたところを伊吹生が盾になって庇った、ベータ性の少女であった。
ちなみに、そのとき、心春はある人物を守っていた。
彼女の兄だ。
凌貴と関係を持ち、あっさり断ち切られて心に傷を負ったオメガの一人だった。
「私にとっては最低最悪の暴君アルファ様だけど」
「心春ちゃん、それ聞かれたらやばいよ?」
「アイツは私のことなんか眼中にない。だから、こっちの気が済むまで好き勝手に愚痴り続けてやる」
打たれ弱い兄と違い、なかなか気性の激しい心春は勇ましく言い切ってみせる。
向かい側に座る伊吹生が「アイツを敵に回すのは賢明じゃない、心春」と忠告すれば、口をへの字に曲げた。
「それ、イブキ先輩に言われたくない」
「そーだよ。あの凌貴サマに言い返せるのってイブキだけじゃん? 先生だって怖がってるもん」
「とにかくアイツを無駄に挑発しないようにしてくれ」
「いや、イブキが一番挑発してるじゃん」
「アイツの話はもういい、食事がまずくなる」
「ほら、また」
「イブキ先輩、矛盾してる」
昼休みが終わりに近づく。
そろそろ教室に戻ろうかと、腰を上げた伊吹生と拓斗に、心春はソレを差し出した。
「いつも話聞いてもらって、お世話になってるので、どーぞ、です」
素直に頬を紅潮させている後輩に小さな紙袋を渡されて、拓斗もまた赤面していたのだが。
「ん!? イブキのとオレの、明らかにサイズ違うくない!?」
明確なサイズの差に拓斗はショックを受けたようだ。
「そんなに違わないだろ」
「違うし!? ほらほら! 何ならイブキの袋にオレの袋余裕で入っちゃうし!!」
「拓斗センパイ、そんなに言うなら回収するから。今すぐ返して」
心春に呆れられた拓斗は慌ててセーターの内側にチョコレートの入った紙袋を仕舞う。
「どうもな、心春」
伊吹生が頭をポンとすると、心春はさらに頬を赤らめ、耳たぶまで紅潮させた。
「これ……甫君に渡したくて」
午後の休み時間だった。
携帯に連絡が来て、今は自由登校期間に入っている高等部三年生の彼に呼び出された伊吹生は、目を見張らせる。
「妹からも、もらったと思うけど……ボクも、どうしても渡したくて」
校門前に伊吹生を呼び出したのは心春の兄の今日介 だった。
凌貴との件があった直後は心身ともに疲弊し、彼の取り巻きに一方的に不条理に責められて登校拒否にまでなりかけた。
『何を言っても許されると思っていたら大間違いだからな』
だが、伊吹生に兄妹共に庇われて、昼休みは心春も交えてランチを共にするようになって。
些細な時間を伊吹生と過ごすようになって今日介の心の傷は静かに癒えていった。
一時期は凌貴が視界に入るのも苦としていたはずが、気がつけば感情は凪いでいて、自然と受け入れられるようになった。
「今まで本当にありがとう、甫君」
今日介は別系統の大学への進学がすでに決まっていた。
一つ年上の彼と向かい合っていた伊吹生は笑みを零す。
「お礼を言うのは俺の方だろ、今日介」
線の細い今日介も、つられて小さく笑う。
ブレザーはいつも全開でネクタイを緩めている、驕り高ぶらない隣人なるアルファに、時間をかけて選んだチョコレートを気恥ずかしそうに渡した。
掃除時間になり、伊吹生はキャンパスの片隅にあるごみ収集場へ一人向かった。
無人のグラウンドを強風が吹き抜けていく。
伊吹生はズボンのポケットに両手を突っ込み、大股で校舎へ戻った。
「甫だ」
「いつも一人か、ベータかオメガとつるんでるよな。弱者の前では強者気取りとか情けな」
こちらに聞かせる意図丸出しの耳慣れた会話。
何とも思わない伊吹生は平然とスルーした。
(自宅から一番近いから、この高校を選んだ)
他校と比べて「第二の性」の階層が強調された学びの空間。
最も如実にしているのは、学園の頂点に君臨する、他の追随を許さない深黒のアルファ――。
「ッ……!?」
伊吹生はギクリとした。
いきなり空き教室から伸びてきた手に片腕を掴まれたかと思えば、抵抗の余地なく引き摺り込まれた。
多くの生徒や教員が行き交う廊下、ふとした拍子に生じた死角で起こった、ほんの一瞬の出来事。
冷酷な獣が標的なる獲物を捕らえる瞬間にも似ていた。
「ンッ……ぅ……ッ」
あっという間に死角は崩れ去り、何事もなかったように生徒の行き来が再開された廊下。
扉が細く開かれたままの空き教室。
そこで紡がれる微かな断末魔は校内のざわめきにいとも容易く掻き消された。
「んんッ……ん……ン」
強張る唇を強引に抉じ開けて口内を犯す音色も。
舌に舌が絡みつき、唾液が交わり、ねっとりと糸を引く卑猥な水音も。
強者が弱者を嬉々として嬲るようなキスに伊吹生は……耐える他なかった。
「――ずっと我慢してた」
伊吹生には長い責め苦に思えたが、実際は一分にも満たない、束の間のキスだった。
「君があんまりにも僕を煽るから」
伊吹生は目の前に迫る闇夜色の双眸を睨みつける。
「……学校ではやめろって言ったよな」
「だから。朝から煽られっぱなしで、ずっと我慢していたんだよ。むしろ、今までよくお利口にしてたと褒めてほしいくらい」
「どこがお利口だ……」
壁に両手を縫い付けられ、身動きがとれずに歯痒そうにしている伊吹生に、彼はうっとりと微笑する。
「それとも、伊吹生君、確信犯だったのかな」
制服を規則正しく着用した凌貴の発言に伊吹生は限界まで眉根を寄せた。
「今日介と彼の妹からチョコレートを貰っていたね」
「本当に盗み見、盗み聞きが得意だな、お前は」
「あの義理の姉にも貰ったみたいだね」
「朝一から聞き耳立ててたのか。心底、胸クソ悪い奴」
「君は僕を挑発するのが本当に得意だね」
身長181センチの凌貴は、自分より5センチ低い伊吹生の目を間近に覗き込んできた。
「放課後、僕のマンションにおいで」
「……」
「約束だよ」
捕らえていた伊吹生の両手首を解放すると、凌貴は速やかに空き教室を出ていった。
残された伊吹生は満遍なく濡れた唇を乱暴に拭う。
「……クソ……」
(俺はアイツに抗えない)
『それはマナー違反です。誰かに言われないとわかりませんか?』
凌貴に注意された文化祭の来客は、人目に大いに触れる場所で恥をかかされて、相当根に持ったらしい。
その場では一旦退いたが、賑やかな学内で一人でいた凌貴の元へ、人気のない屋上まで彼を誘い込むのに成功した。
『いいとこのご子息様みたいだけど、ちょっと調子に乗り過ぎちゃったかなー?』
一見してこぎれいな容姿で身なりに気を遣う大学生グループに見えたが、殊の外プライドが高く、悪質であったようだ。
『痛い目に遭いたくなかったら、とりあえず土下座して謝ってくれる?』
グループの一人が小型ナイフを突き出してきた。
屋上自体は立ち入り禁止で、閉め切られた扉の前、肌寒く狭いフロアで年上の男らに囲まれていた凌貴は。
ナイフを持っていたグループのリーダー各と思しき人物の喉仏、剥き出しの急所を片手で捕らえ、その喉を潰した。
俊敏で無駄のない身のこなしだった。
一抹の躊躇もなく、正確に冷静に外敵を仕留めてみせた。
落ちたナイフを拾い、仕舞われていた刃を手慣れた様子で凌貴が引き出してみせれば、彼等はすっかり怯えて我先にと逃げていった。
伊吹生は階下の踊り場から一部始終を窺っていた。
質の悪い来客が別の生徒に手を出さないか、彼等の行動をこっそりチェックしていたのだ。
今日介を傷つけ、他のオメガもとことん足蹴にしている凌貴のことは嫌いだった。
しかし屋上へ連れていかれるのを目の当たりにして放置はできなかった。
何かあったら仲裁に入るつもりでいたのだが……。
(……狼と子犬の群れみたいだった)
伊吹生が階段を上って近づけば、刃先をなぞっていた凌貴に悠然と出迎えられた。
『護身術だよ。自分の身を守るために仕方なく、ね』
凌貴は有名なホテルグループの創業者一族の直系にあった。
『しばらく声は出せないだろうけど』
大丈夫か、と気遣うのも妙な気がした。
どう見ても凌貴の圧勝で、雑魚を追い払ったようにしか思えなかった。
そもそも普段は取り巻きを侍らせているというのに、敢えて一人でいたのは、あのまま引き下がりそうになかった外敵を迎え撃つつもりだったのでは――。
『彼等が陰気なオメガに言い寄っているのを止めに入ったのも、仕方なく、だよ。これ以上、君の信者を増やしたくなくて』
伊吹生は少しばかり驚いた。
学園の頂点に立つ凌貴にライバル視されているとは夢にも思わなかった。
競う気もない伊吹生にとっては、ただ鬱陶しいだけ。
一切の手加減もなしに微笑みながら相手の喉を潰した凌貴が不気味でもあり、早いところ退散しようとした。
『先生には黙っとく。アイツ等が交番に駆け込んだら元も子もないけどな』
『本当? 誰にも言わない? 今日介にも?』
階段を下りようとしていた伊吹生は振り返る。
ナイフを携えて微笑む凌貴と目が合い、反射的に背筋がゾクリと震えた。
『今日介の妹にも? クラスメートの目障りで耳障りなあのベータにも?』
『……誰にも言わない』
『血の繋がっていない義理の姉にも?』
『……なんで菖のことを――』
『言葉だけじゃあ、信用できないな』
すぐ目の前までやってきた凌貴に視線を絡めとられる。
血糊が映えそうな滑らかな真珠色の手に頬を撫でられた。
『僕の言うことを何だって聞いてくれるのなら、伊吹生君の周りの人間には手を出さないであげる』
どうしてだ。
なんで俺が追い込まれてるんだ。
『僕の奴隷 になって、伊吹生君』
凌貴は学園近くの新築マンションで一人で暮らしていた。
キャップを目深に被った伊吹生は、自宅から徒歩二十分の道程を俯きがちに進んだ。
「ああ。一度帰ったんだね」
光沢を放つフローリング。高い天井。メゾネットタイプで上階に続くスケルトン階段。
一人暮らしには持て余しそうなL字型のレザーソファがリビングのほぼ半分を占領している。
天井のシーリングライトには淡い光が点っていた。
「貰ったチョコレートはどうしたの?」
制服姿のままの凌貴に問われて伊吹生は眼光を尖らせる。
「家に置いてきた。ここに持ってくるわけないだろ。グチャグチャにされる」
「近くに焼却炉があれば、一斉に放り込んで灰にできたんだけど」
「……」
「一度に纏めて廃棄処分。ああ、でもみんなバラバラにしないと炉に入りきらないかな」
「……お前、何の話をしてるんだ」
部屋の真ん中で棒立ちになった伊吹生を、凌貴は後ろから抱きしめた。
「ここへ来るとき、いつもキャップを被っているのは変装の意味もこめて?」
マウンテンパーカーにトレーナー、ジーンズを履いた伊吹生は舌打ちして返事を誤魔化す。
「そうだね。周囲には秘密の関係でいたいって、君が望んだ」
「紛らわしい言い方やめろ」
「ふぅん? それなら明日にでも教室で発表しようか。僕達、付き合ってますって」
「付き合ってない」
頑なに反抗的な態度でいる伊吹生に凌貴はクスクスと笑う。
彼の息遣いがずっと首筋に触れていて、伊吹生は唇をきつく噛んだ。
(逃げ出したい)
でも、逃げ出したら、拒んだら、凌貴が何をするか。
拓斗、今日介と心春、姉の菖に危害を加えるとほのめかされた手前、下手に抵抗できない。
文化祭の日、正当防衛にしては愉しげだった凌貴の狂気、残虐性を目撃している伊吹生からすれば尚更だった。
(誰にも言えない)
言えば、その相手が凌貴に傷つけられそうで――。
「好きだよ」
不意に鼓膜に注ぎ込まれた告白。
伊吹生は目を見開かせる。
「俺は……嫌いだ、誰よりも、一番」
「それもそれで光栄だけど」
抱擁にぐっと力が増す。
「僕は誰よりも一番、君のこと、グチャグチャにしてみたい」
「ッ……スプラッタ映画みたいに切り刻むのかよ」
「そういう意味じゃなくて」
長い指が下唇に触れたかと思えば、おもむろに口内を訪れて、伊吹生は顔を顰めた。
舌の上を執拗になぞられる。
否応なしに湧いてきた唾液を掻き回される。
下顎へと滴れば後ろから大胆に舐め取られた。
「何も考えられなくなるくらいに、君の頭の中、グチャグチャにしてみたい」
中指と人差し指が唇の外と内をゆっくりと行き来し、口内を意味深に凌辱され、何とも言えない刺激に伊吹生は呻吟した。
放課後の逢瀬は初めてじゃない。
十月の文化祭以来、定期的に続けられている。
学内でも無理やり強要されたことが何度かあった。
「ふ、ぁ」
摘ままれた舌先を緩々としごかれて伊吹生はつい声を洩らした。
湧き出す唾液を止める術もなく、さらにだらしなく濡れていく口許。
「上の口だけでこんなに反応するんだから。伊吹生君は相当敏感だよね」
「ッ……反応してない、いい加減なことぬかすな」
「そう? 本当に?」
指と指で挟み込まれた舌を上下からじっくり擦り立てられた。
「んっ……ぅぅ……ッ」
喉奥から洩れる声に不本意な切なさが滲み、伊吹生は、悔しさの余り凌貴の指に歯を立てた。
怒るどころか凌貴は愉悦した。
さらに咬みつかせるように指を喉奥へ突っ込んできた。
「ん……!?」
「いいよ、噛んでも。何なら食い千切ってもいいよ」
「ん、ぐ……ッ……ンぅ、ぅ……ッ」
「チョコレートの代わりに僕の指、君にあげようか」
暴力的な口淫を彷彿とさせる指姦。
噛み千切られるわけがなく、伊吹生はひたすら耐えた。
「そう。意外と躾が行き届いてるね……」
今度は後ろからキスされた。
散々荒らされた口内を傲慢な舌に弄ばれた。
「は……ッ……んむッ……ん……ッ……ン」
互いの唇の狭間に見え隠れするのは一方的な戯れだった。
凌貴の好きなように振る舞われて、自分なりの尊厳を踏み躙られて、キャップが外れかけている伊吹生は目尻に涙を浮かべる。
「――泣いてるの?」
五分後に伊吹生の唇を解放すると、凌貴は堪らなさそうに笑った。
「可愛い」
さすがに堪忍袋の緒が切れた。
伊吹生はすぐそばにあったソファに力任せに凌貴を押し倒した。
「このッ……腹黒変態、どういう性教育受けてきたらこんなに歪むんだ……ッ」
まず最初に口を拭い、そして凌貴の胸倉を鷲掴みにして怒鳴る。
押し倒されて深黒の髪を乱した凌貴は、やはり一切怒らずに微笑を浮かべたまま、言った。
「君こそ、どういう性教育を受けてきたの?」
膝頭で股間を撫で上げられて伊吹生はギクリとする。
「触られてもいないのに勃起させて、変態」
凌貴は嬉々として伊吹生を詰った。
デニム生地を遠慮がちに盛り上げる、熱を宿した昂ぶりを膝頭で強めに摩擦しながら。
「今日介も、その妹も、あのベータも、義理の姉も。どう思うだろうね。口の中をいじられてキスしただけで君が勃起するなんて知ったら」
体勢的には上にいながらも下から甚振られ、揶揄されて。
伊吹生は反論もできず、薄ら笑う凌貴をただ睨むことしかできなかった。
育ち切ったペニスに絡みつく真珠色の五指。
根元から搾り上げるように上下しては、指の輪でカリ首を擦り上げ、先走りに塗れた亀頭を丹念に愛撫した。
「あッ……ぅ……んんッ……ッ」
伊吹生は堪えきれずに声を上擦らせる。
キャップは床に落ちていたが、服は上下纏ったまま、ゆったりとしたソファに腹這いになっていた。
ジーンズのファスナーを全開にされ、外気に取り出されたペニス。
背中に覆い被さる凌貴にしごかれて、見る間に怒張し、力強く勃ち上がっていた。
「オメガと違って君のペニスは大きくて愛撫のし甲斐があるね」
滴る先走りがソファを汚そうとまるで構わず、凌貴は献身的な愛撫を続ける。
「オメガを孕ませる射精専用であるはずのペニス。ソレをこんな風に甘やかしてあげられるのも悪くない」
滑り渡る尿道口を親指でグリグリと押し潰されて伊吹生は喉を反らした。
「あ……!」
制服を纏う凌貴は、伊吹生の汗ばむ首筋を舌尖で辿り、そのまま耳たぶまで舐め上げる。
「もういきそう?」
問いかけに答えず、ソファに突っ伏して悶える伊吹生の、はちきれんばかりに膨脹したペニスの根を不意に強めに握り締めた。
「おねだりしてくれたら、いかせてあげる」
熱流を堰き止められ、痛いくらい握り込まれて思わず悲鳴を上げれば。
「ふ……可愛い」
腹の立つ褒め言葉をまた囁かれて伊吹生は歯軋りした。
「大きくて立派なアルファの象徴。今までどんなオメガに使ってきたの?」
「ッ……お前と一緒にするな、変態」
「ああ、ベータに使用したのかな。まさか未使用ってことはないだろうし」
「ッ、クソ……ッ」
「ベータの姉に試したりした?」
「おいッ……いい加減に……!」
未使用というわけではなかった。
経験はあった。
義姉の菖に関しては、そうした関係など考えたことすら皆無だった。
「……お前のことも焦らしてやる……」
拳を握った伊吹生は悔し紛れに凌貴に言い返す。
「……お前の方こそ、ずっとおあずけにしてやる……」
射精欲を抑え込まれたもどかしさに苦悶しながらも、伊吹生は「おねだりしろ」という欲求を意地になってつっぱねた。
「強情だね」
凌貴は一貫して上機嫌だった。
意地悪に堰き止めていた熱流を促すように愛撫を再開してやる。
雄々しげに脈打つペニスを正に甘やかすようにしごき立てた。
「ぅぁッ……くッ……ぁぁッ……ッ」
「ほら。たっぷり射精 してごらん。子宮に種付けするみたいに」
伊吹生は唸った。
ソファに突っ伏し、引き締まった腰を痙攣させ、鮮やかに色づいた先端から白濁を弾いた。
「は……!」
ソファを汚されても凌貴はやはり目くじら立てず、絶頂を迎えた伊吹生に愉悦するように唇を歪めてみせる。
「こういうことするのは一週間振りだけど。いっぱい射精したね」
「は……ッ……はぁ……は……」
「そうだね。今日はお互い、無駄遣いし合おうか」
絶頂の余韻で息が荒い伊吹生の耳たぶを甘噛みし、凌貴は囁く。
「本来ならオメガの胎 を孕ませてやるための子種。惜しみなく……ね」
「あッ……あッ……ぅぅッ……んあッ……」
男子高校生の一人暮らしとは思えない、整然と片付けられた部屋に響く喘ぎ声。
ソファに四つん這いになった全裸の伊吹生は後ろから凌貴に貫かれていた。
ぞんざいに押し拡げられた後孔。
経験豊富なペニスが我が物顔で行き来する。
肉と肉の絡まり合う音がいやに生々しく鳴っていた。
「君のナカ、まだ刃向かうみたいに喰いついてくる」
ブレザーを脱いでベルトは取り外し、下の着衣を緩めた程度の凌貴は滑らかな頬を珍しく紅葉色に染めていた。
本番に及ぶのは数える程度だった。
容赦のない肉圧に締めつけられて凌貴は陶然と微笑する。
小高い尻に五指を食い込ませ、ぐっと掴み直すと、より奥を連続して突いてきた。
「く……は……ッ」
「伊吹生君、気持ちいい……?」
「ッ……よくな……」
「みんな、どう思うかな。君がお尻だけで達するなんて知ったら」
伊吹生は歯を食い縛った。
もう言い返すのも億劫で、できる限り情けない声を出さないよう、頑なに我慢しようとした。
しかし。
「ッ……んッ……あああッ……それ、やめッ……あぅッ……ぅ」
抜けそうなところまでペニスが後退したかと思えば、焦らすように遅い動きで再び奥へ捻じ込まれていく。
じれったいロングストロークの連続に伊吹生の嬌声は次から次に溢れ出た。
「君のココはまだ反抗的だから。時間をかけて僕が躾けてあげる……」
長く太く硬い肉杭をスローテンポで抽挿されて。
伊吹生はとうとう感極まった。
射精はせずに腹の下でペニスをあからさまに張り詰めさせ、尻膣全体を微痙攣させ、後孔への刺激だけで達した。
「ッ……ッ……ッ……ッ……!」
「やっぱり、いっちゃった……? アルファなのにお尻で感じやすいなんて困ったコだね……」
凌貴は密やかに舌なめずりする。
達したばかりの伊吹生に、今度は激しく、勢い任せに何度もペニスを突き入れてきた。
「あッ、ッ、はぁッ、あッあッ、んッ、んッ、ぅッ」
過激なピストンに忠実に伊吹生は嬌声を連ねる。
ドライオーガズムを迎えて悶々とうねる尻膣を深く突かれ、突かれ、突かれて、長引く絶頂感に目の前が霞んだ。
凌貴に問答無用に注ぎ込まれ、体の隅々まで支配される感覚に襲われると、為す術もなく弱々しげに身悶えた。
「ぁ……ぅ……ぅ……」
嫌でもわかった。
自分の腹底で荒々しく武者震いした凌貴のペニスが射精に至った瞬間を。
「ん……濃いの、たくさん注いであげてるよ……オメガだったら嫌でも受精するくらいに……ね」
打ち震える尻に未練がましげに腰を密着させ、頻りに揺すり、凌貴は伊吹生のナカに欲望のままに捧げきった。
「ぁぅっ……ぅ……」
「ナカ、僕の精子でとろとろ……わかる……?」
ソファに爪を立てていた伊吹生は目を剥く。
射精して落ち着くどころか、さらなる欲望を宿して火照るペニスに最奥を小突かれ、狼狽えた。
「や、やめ……もういいだろ……」
「今日、君はここに泊まっていくんだよ」
「は……? 何、言って……」
「卑しいベータの女がいる家には帰さない」
「俺は……うちに帰……」
「そうだ。明日は二人で学校をさぼろう。ずっと二人でここにいよう」
自分よりも格段に優れているアルファの子種に濡れそぼつ尻膣。
狭苦しい最奥で窮屈そうに勃起する肉杭に、先程まで激しく突かれていたところを優しくなぞられた。
「あ」
汗で湿るうなじを甘噛みされた。
「伊吹生君がオメガだったらツガイの契約が成立する」
「やめろ……おれは、かえる……」
「帰さない」
「いやだ……もう……ッ……ン……」
急に顔の向きを変えられたかと思えば背後から口づけられた。
今日一番、不埒で悩ましげで凶暴なキスだった。
「子供なんかいらない……ずっと君だけがそばにいてくれたら……」
悪夢に魘されるように呻く伊吹生に凌貴は恍惚とした声色で誓う。
「伊吹生君のこと、いずれ僕の伴侶にする」
濃密なピストンが再開された。
狂的に滾るペニスが強弱をつけ、ねちっこく尻膣を突き上げてきた。
「誰が、お前なんかと……ッ……ンッ……やめ……ッ」
伊吹生もまた容赦のない恍惚感に蝕まれる。
凌貴と同じくアルファの熱源は勃起し、白濁の雫を欲深げに垂れ流していた。
「ぁ……ん……っ……はぁっ……凌貴、もぉ……いやだ……」
「嫌だ、じゃない。ワガママ言わないで。イイコでいたらお仕置きしないであげる……」
(これこそお仕置きだろうが)
虚脱するまで、いや、虚脱しても凌貴に強制的に起こされて、延々と求められて。
「おいしい、君の涙」
悔し涙まで貪られて息絶えるように幾度となく伊吹生は果てた……。
「イブキ、昨日はどしたの? チョコ食べ過ぎてお腹壊したとか?」
「体調不良で欠席した」
「あー、でも確かに顔色ちょっと悪いかも。声もかすれてるし、風邪引いた? 大丈夫?」
「ああ。もう平気だ」
(そもそも、どうして俺なんだ)
宣言された通り、伊吹生は凌貴のマンションに一泊して昨日は学校を休む羽目になった。
家族には連絡していたが、昨晩に帰宅すれば姉の菖は『まぁ、色々あるよね』と、苦笑まじりに義理の弟を出迎えてくれた。
(文化祭で、あんな場面を目撃したからか?)
隅の席につく伊吹生は、相も変わらず教室の中央で同級生のアルファに囲まれている凌貴を一瞥する。
「凌貴クン、体調はもう大丈夫なの?」
「そうだね。一日休んで、もうすっかり回復したみたいだ」
「確かに顔色はとってもいいみたい」
「肌とか、いつも以上に綺麗かも」
反吐が出る。
何食わぬ顔でいる凌貴が腹立たしくてならず、伊吹生はすぐさま顔を背けた。
反抗的な態度が気に喰わないのか。
あのアルファ達のように「第二の性」階層主義を掲げて、取り巻きにでもなればいいのか。
(それもそれで反吐が出る)
恋人だとか好きだとか、伴侶とか、馬鹿馬鹿しい……。
究極のイヤガラセでしかない……。
「珍しーね、イブキが朝にお菓子食べるって」
朝食をとる気力が湧かず、コンビニで買ってきたカロリーメ●トを食べ始めた伊吹生に、拓斗は目を丸くさせる。
「食欲がない」
「全然平気じゃないじゃん。今日も休んだ方がよかったんでない?」
ブロックタイプのカロリーメイ●を半分に割って、口に入れた、そのとき。
「ッ……!?」
いきなり凌貴が視界に飛び込んできたかと思えば。
口内にまだ完全に仕舞い切れていなかったカロリーメイトを齧られ、半分、横取りされた。
「バレンタインデーからもう二日も経ってるけど。これで許してあげようかな」
あんまりにも突然の出来事に伊吹生は硬直していた、思考も停止していた。
そばにいた拓斗も、教室にいた全員、その場でかたまっていた。
「僕が伊吹生君の恋人 だってこと、よく胸に刻んでおくように」
一人、凌貴だけが通常運転だった。
齧り取った●ロリーメイトを丁寧に噛み砕き、ゆっくりと呑み込んでみせた。
「え……何、今の?」
「キスしたの? 凌貴クンが甫に?」
「いや、甫が食べようとしたカロ●ーメイトを凌貴クンが逆口移しみたいな感じで食べた……え……?」
「どーいうこと?」
「奴隷って言わなかった?」
次第にざわつき出す教室。
「……イブキって、凌貴サマのこと、実はオレらの知らないところで、ど、ど、奴隷扱いしてたの……?」
呆然としている拓斗に伊吹生はかろうじて首を左右に振る。
カロリーメイ●の残骸をゴクリと飲み込むと、席の横に悠然と立つ凌貴を一思いに睨み据えた。
キスは寸止めであった。
しかし、キスしたも同然の振舞を教室で平然とやってのけた凌貴は、麗しくも猟奇的な微笑を惜しげもなく伊吹生にのみ捧げてきた。
「秘密の関係には飽きちゃったんだ」
(俺はコイツに抗えない)
こんなにもトチ狂っているイカれたクラスメート、常識人の俺の手には負えない。
「伊吹生君。ホワイトデーは期待して待っていて?」
「誰が……待つか、この……ッ……ッ」
(いや、待とう、ひたすら待つ、コイツが俺に飽きる日を)
――嘆かわしくも、そんな日は永遠に来ないことを、伊吹生は知らない――
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