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目には目をアルファにはアルファを【2】-1

「甫伊吹生くんは忽那凌貴くんのカノジョなんでしょ?」 結束バンドで両手を拘束された伊吹生は、馬鹿げた質問を寄越してきた相手を睨みつける。 「これ、カノジョってツラか?」 「そもそもアルファだろ」 「オスのアルファ同士とか拒絶反応しかねぇわな」 そこは繁華街の一角にある雑居ビルの地下一階だった。 三月半ばの平日の夕方、適度な広さのバーには人の姿が疎らにあった。 「いや、睨むんじゃなくて? ちゃんと答えてくれません?」 薄暗いフロアの片隅に跪かされた伊吹生は、すぐ真正面に立つ相手に向かって否定しようとし、はたと口を閉ざす。 「おーい? もしかしてびびっちゃって頭がはたらかないですかー?」 質問を寄越してくるのは伊吹生と同じアルファ性だった。 以前、文化祭で凌貴に喉を潰された元被害者だ。 どうにも彼は相当根に持っていたようで、凌貴に復讐するため、このバーを経営している半グレ組織に協力を仰いで今回の計画に至ったらしい。 「見た目的にはまーまー男前だけど、中身はしょーもないみたいね」 「てかさ、アイツの下でハァハァしちゃってるわけでしょ」 「アルファのプライド、どこいったんでしょーかね」 彼の両隣にいる二人のアルファも文化祭のときに見かけた顔だった。 「忽那凌貴って奴、写真で見る限り絶世のイケメンって感じしたけどよ」 「オメガならまだしも、そんな男男したアルファに興奮すんのか」 「アルファってやっぱイカレてんの多いのな」 バーにいる残りの十数人、二十代後半と思しき半グレ組織のメンバーは全てベータであった。 咥えタバコで金属バットの素振り、シャドーボクシングに興じている者がいたりと物々しい雰囲気に満ちている。 テーブルにはハンマーといった鈍器、折り畳み式のナイフまで無造作に置かれ、伊吹生の携帯で連絡をとって呼び出した凌貴を迎え撃つ気満々のようだ。 (別に凌貴がどうなろうと俺には関係ない、ただ……) 店内の様子を冷静に横目で窺っていた伊吹生は、最後の一人に目をやり、きつく唇を噛む。 (……心春……) 正面で両手を拘束され、目隠し、猿ぐつわまでされている制服姿の心春は一人掛けのレザーソファに座らされていた。 『お姉さんと迷ったんだけどね、持ち運びしやすそーな方を選んでみました』 狡猾な元被害者は復讐対象の凌貴のみならず伊吹生の身辺もざっと調べ、事前にベータに彼女を拉致させて人質にし、このバーに来るしかない選択を伊吹生に強いたのだ。 (心春だけは無事に家へ帰さないと) 薄ら笑いを浮かべ合う三人のアルファを伊吹生は見上げる。 タバコや酒、香水の匂いが絡まる空気を乾いた喉に迎え入れるように口を開いた。 「俺は凌貴の恋人だ」 まさか自分がこんなおぞましい言葉を口走る日が来ようとは思いもしなかった。 「だから、ここに留まるのは俺だけでいい。あの子は関係ない。今すぐ帰してくれ」 下校途中で伊吹生はガラの悪い男二人に呼び止められた。 今の心春の姿を携帯で見せられ、一も二もなく案内されるがままここへやってきた。 「随分と後輩思いなんだねぇ」 招いたのがこのアルファだとわかったとき、凌貴に付き纏われている自分はともかく、まさか心春まで巻き込んでしまうとは……と自責の念に駆られた。 「うーん。確かにこのベータは伊吹生くんを大人しくしてスムーズに招く要員だったわけで、もう用済みではあるかな」 声に掠れがあるのは喉を潰された後遺症なのかもしれない。 ハイネックを着たアルファのリーダー格はわざとらしく腕組みし、やや離れた位置にいる伊吹生と心春を見比べた。 「使い道は山ほどありそうじゃね?」 横にいたベータの男に頭を撫でられて、中学三年生の心春はビクリと肩を震わせる。 「触るな!」 伊吹生は咄嗟に叫んだ。 次の瞬間、目の前にいたアルファのリーダー格から思いきり平手打ちされた。 「びっくりした~、いきなり大声出すとかマナーがなってなくない? 駄犬じゃないんだからさ? アルファとしての自覚、ちゃんと持とう?」 打たれた頬が熱を帯びてジンジンとしてくる。 唇の端を切ってしまい、口の中に血の味が広がった。 「……凌貴を陥れたいのなら協力する、何でもやる、だから心春は帰して……ください。お願いします」 日焼けに疎い色白の頬を赤くさせた伊吹生は、彼等に頭を下げた。 (明日、心春は卒業式だ) 伊吹生は歯を食い縛る。 最初に声をかけてきた半グレから、警察や通行人に助けを求めれば即座に心春を……と脅され、何もアクションを起こせなかった。 全開のブレザーに緩めたネクタイというダークカラーの制服姿で後ろ手に拘束されており、なおかつ多勢に無勢でどうすることもできない。 心春が無事でいられるよう、今はただ懇願するしか……。 「う、う、う」 心春が呻吟した。 バーのオーナー兼半グレ組織のボスらしき、首にびっしりとタトゥーをいれた男が猿ぐつわを外してやれば数回咳き込み、声を絞り出す。 「カノジョなわけない」 心春を逃がしたい一心だった伊吹生は瞠目した。 「イブキ先輩は被害者。最低最悪の暴君に振り回されてるだけ。みんな誰だか知らないけど、噂だけで適当に判断して能天気もいいとこ――」 「心春、やめるんだ」 危うい発言を咄嗟に遮れば、目隠しされたままの心春はぎこちなく伊吹生の方へ顔を傾けた。 「真っ向から暴君に挑めないアルファも、ジメジメした地下で群れてるような奴等も、怖くない」 「心春」 「凌貴だって怖くない。だからイブキ先輩は気にしないで逃げて。ここから……アイツの元から……お願い」 心春は自分を守ろうとしている。 震えながらも必死になって言葉を繋いだ後輩の少女に伊吹生は眉根を寄せた。 (俺は凌貴に逆らえない) 先月、教室で凌貴にキスされてゴシップはあっという間に学園内に広がった。 伊吹生は否定も肯定もしなかった。 兄の件で凌貴を警戒していた心春からも真偽を問いただされ、はぐらかしたが、常に引き摺っている様子だった。 (気づかれたら駄目だ) 今日介や心春、友達の拓斗、姉の菖、周りの人間を人質にとられていること……。 ――キィ……―― 伊吹生はハッとした。 店の出入り口である、やたらと重たいスチール扉がゆっくりと開かれていく。 「凌貴」 この場にはひどく不似合いな、制服を規則正しく着用した彼の来店に伊吹生の心臓は戦慄いた。

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