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目には目をアルファにはアルファを【2】-3
地下のバーに響き渡った悲鳴。
「このクソガキ、マジかよ」
「舐めやがって」
「ぶっ殺してやるッ」
ベータの面々は殺気立った。
武装して威圧しているにもかかわらず、人数が多い自分達よりも先に堂々と凶器を振るわれて、コケにされたも同然だ。
人質の伊吹生や心春ではなく、泣き叫ぶアルファのリーダー格を冷ややかに見下ろす凌貴に一斉に襲い掛かろうとした。
「止まれ」
鋭い一声で集団暴行を未然に防いだのは意外にも彼等のボスであった。
「ソッチのアルファは新しい取引相手だ、手ぇ出すな」
予想外の言葉に部下は驚愕した
アルファの三人も同様に目を剥いた。
「は? おい、どーいうこと? オレらが取引相手だろ?」
「金払っただろーが!」
革靴を貫いて足の甲に突き立てられたナイフを抜くこともできず、床を転げ回るリーダー格におろおろしつつ、アルファの二人は無様に喚く。
凌貴から渡されたスクールバッグの中を覗き込んでいたオーナーは答えた。
「お前らは百万。ソッチのアルファはその十倍払った」
「は……?」
「じゅ、十倍って……」
「帰っていいぞ、ソッチのアルファは。ガキ二人も連れて帰れ。コッチのアルファ三人はまだ用があるから残れ」
無意識に息を止めていた伊吹生は、凌貴に肩を撫でられ、呼吸を取り戻す。
「帰ろう、伊吹生君」
凌貴はテーブルに放置されていた別のナイフをいつの間に手にしていた。
ベータがギクリとする中、伊吹生の結束バンドを切断すると、置かれていた場所に律儀に戻した。
「ちょっと待て、これはどういう――」
「後で説明するよ」
「ッ……心春も、一緒に……」
伊吹生がそう言えば。
凌貴は心春の目隠しも結束バンドもそのままに、速やかに難なくソファから彼女を抱き上げた。
「!?」
「暴れたら落とすかもしれない。そうなると今日介が悲しむだろうね」
「ッ……ッ……ッ」
ベータの男達は不服そうながらもボスの命令に従って手を出してこない。
片足から血を流して呻くアルファと他の二人は途方に暮れているようだった。
「ああ、そうだ」
店の出入り口の前で心春を抱き抱えた凌貴は振り返る。
「伊吹生君の頬を叩いたのは誰ですか?」
「お前が足をブッ刺したアルファだ」
オーナーが即答し、呻いていたリーダー格はヒッと悲鳴を洩らす。
これ以上の流血沙汰は回避したく、伊吹生は反射的に凌貴の前に立ち塞がった。
「そう。それなら足じゃなくて目にすればよかった」
皆の記憶に刻まれそうな凄艶たる微笑を湛えた凌貴と共に、泥濘の如き地下を後にした。
「心春、怖い思いをさせて悪かった」
「……」
「どこか怪我してないか?」
「イブキ先輩こそ大丈夫なの?」
「俺は……」
「アイツと一緒にいて大丈夫? だって、まさか人の足刺すなんて――」
「心春、そのことは忘れてくれ。それから俺は大丈夫だ。心配しなくていい」
「……イブキ先輩、いつでも逃げていいんだからね」
「一日早いが、卒業おめでとう」
「……私達、いつだってイブキ先輩の味方だよ」
「文化祭の後、それ相応の慰謝料は払っていたんだ」
「……」
「復讐されるなんて夢にも思わなかったな」
「よく言う」
「前回も今回も正当防衛でしょう?」
「あれのどこが正当防衛だ」
心春を自宅に送り届け、次にタクシーが向かった先は凌貴のマンションだった。
自分のせいで酷い目に遭わされた後輩に対し、心残りはあったものの、凌貴に確認したいこともあって今日のところは別れた。
「何か飲む?」
隙のない制服姿の凌貴に問われ、L字型のレザーソファに浅く腰かけた伊吹生は首を左右に振る。
「俺達を拉致したアイツ等と取引したって本当なのか?」
「本当」
「いつ? まさか、お前、今回のことを把握してたのか?」
尋ねた直後、凌貴が再びあの眼差しを取り戻したものだから、伊吹生は一先ず口を閉ざした。
「そんなことあるわけないでしょう」
慈悲なき眼差しに射竦められる。
「君の携帯から君を拉致したと電話があったとき、指定されたscaryについてざっと調べた。経営しているのは闇バイトの元締めとしても稼いでいる半グレ組織。すぐに金銭で決着がつくと判断し、店の電話に折り返して交渉した」
「……一人で交渉したのか」
「もちろん」
「……いや、どう考えてもおかしいだろ」
「おかしい? 何が?」
「あのオーナーと話がついていたのなら、足を刺す必要なんてなかった。そもそも通報すればよかったんだ。俺は向こうの奴が直接やってきて見張られていたから、助けを求めることができなかった。でもお前ならッ……――」
いきなり片手で口を塞がれた。
「僕、何か悪いことした?」
正面に立つ凌貴は、伊吹生の見開かれた目を間近に覗き込んできた。
「確かに足を刺したのは遣り過ぎたかもしれないね。後でまたちゃんと慰謝料を送らなきゃ。それにしても君が傷つかないよう最善を尽くしたつもりだったけど、非難されるなんて心外だな。見殺しにされたかった、そういうこと?」
心春がいなければ。
見殺しにされた方がよかったと伊吹生は思う。
「……本当に一千万渡したのか?」
凌貴に借りをつくるなんて一生の枷になりそうで嫌だった。
「まぁね」
「そんな大金どうしたんだ」
「僕のポケットマネーだよ」
すでに凌貴の手は離れていて、彼に大きな借りをつくってしまった伊吹生は項垂れる。
(俺には想像もつかない、でも)
凌貴は有名なホテルグループの創業者一族の直系にあたる。
資産家の御曹司ならば、ありえない話ではないのかもしれない……。
「……今回のことをダシにして、またせびられるかもしれないぞ」
「僕は足を刺しただけで、その分の慰謝料は払うつもりだから。強請(ゆす)られるような後ろめたいことは記憶にない」
「どうだかな。残されたアイツ等だって無事かどうか」
「それは僕の与り知れないところ。この口からは何一つ指示していない。ただ、気が立っていたからね、あの連中。虫の巣穴みたいだった地下のバーは今頃どうなっているかな」
(人の生き死にだぞ、無頓着もいいところだ)
凌貴の狂気、残虐性を再確認した伊吹生はため息を押し殺した。
自分を助けるため信じ難い大金を使わせたことに深い罪悪感も覚える。
行き場のない感情に挟み込まれて、自分自身の逃げ場も見失い、遣る瀬無さを呑み込んだ。
「ごめんね」
項垂れていた伊吹生は顔を上げ、隣に座った凌貴を見る。
「君が傷を負うのが怖くて、なるべく早く助け出そうとしたんだけど」
血のこびりつく口角にそっと触れた真珠色の指先。
「間に合わなかった」
(こんなの傷にも入らない)
ひたすら真摯に見つめられて伊吹生は目を逸らそうとした。
(……もしも凌貴が店に来なかったら)
心春にまで危害は及んでいただろう。
凌貴が大金を用意して取引していなかった場合、どうなっていたか。
あのアルファ達は凌貴を傅(かしず)かせるので満足したかもしれない、しかしベータの方はわからない、心春が無事でいられたかどうかは怪しい。
(俺一人じゃ守りきれなかった)
無力だった自分自身に歯痒さを募らせ、明日の卒業式に心春が出席できることへの感謝を込めて。
伊吹生は凌貴にキスした。
敗者の口づけを。
「ありがとう、凌貴」
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