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第8話

 長年の無理がたたったのか、神原が退院するには数日かかった。その間も毎日新家は神原のもとへお見舞いに来てくれた。「ありがとう(G o o d b o y)」と言いながら頭を撫でると目を細める新家はかわいいが、想いを自覚した以上もっと違った表情を見たくなる気持ちは強くなる一方だった。  もう会社のプレイルームは使えない。話し合った結果、これからは神原の家を使うことにした。発情期(ヒート)のあるΩ用の物件である神原の家の方が色々と都合がよかった、というのはある。  神原は退院翌日から働き始めた。休んでいる間もΩSub達のことが心配で仕方なかった。入院中に神原の担当するはずだったΩSub達は他のDom達が代わりに対応していたのだが、彼らにも念の為連絡を取って様子を確認したら倒れたということを聞いていたらしく逆に体調を心配されてしまった。  そして終業後、神原は新家を引きずるようにして家に連れていった。「レン」として接してきた時からずっと我慢していたのだ。我慢する理由がなくなった今、すぐにでもプレイしたい。 「お邪魔します…」 「どうぞ、なんもないけど」  新家は落ち着かなさそうに辺りを見回しながら神原について来た。勢いで連れてきたが、正直言って今になって神原も照れてきた。先に進むとはいえ別に今日今すぐ「そういうこと」をするわけでもないのだが。 「ここが俺の寝室だから、ここで待ってて」 「あ、はい」  寝室に新家を置いてシャワーへと逃げ、交代で新家にも浴びさせる。用意させたいつものスウェットを着て新家がやってきた。 「…じゃあ、プレイするか」 「そうですね」 「あのさ、これからはプレイ中『レン』じゃなくて『蓮華』って呼んでくれる?」  事件があってから、神原はDomとしての自分を「レン」として切り離してきた。だがどのみち新家に対してはもう「レン」を演じられないのだし、それとは別に新家にはありのままの自分として接したいと神原自身が思っていた。 「分かりました。…あの…」 「どうした?別に他の呼び方でもいいけど」 「いや、えっと…その…『蓮華様』とお呼びしてもよろしいでしょうか?」  一瞬沈黙が流れる。 「…あ~、新家ってそういう感じ?」 「い、いや!違うんですけど!…たまに、神原さんが、多分『レン』さんじゃなくなった時に見せる目が、少し、いいなって思ってしまって…」 「やっぱそういう感じじゃん」 「蓮華様だけです!」  ナチュラルに呼ばれてむせた。 「うん、まあ、呼びたければいいけど…てかマジか、表情にまで出てたか…」  今更ながらショックを受ける。隠していたはずなのに「レン」としての仮面が剥がれかけていたことがどうしてバレたのかとは思っていたが、まさか隠せてすらいなかったとは。 「ああ、今蓮華様のSubとして見られてるんだ、と思うと嬉しかったので大丈夫です」 「いやそういう問題じゃないんだって。プロとしてダメだろ…」 「僕に対してだけなら、別に大丈夫だと思いますけど」 「うん、いや、うーん?そうか?」  一応今まで新家に対しても「仕事」として接していたつもりだった神原にとっては大丈夫ではないような気がしたが、新家はさらに言葉を続ける。 「病院で、他のDom達みたいに僕を傷つけるかもしれないって言われた時、ちょっと嬉しく思ったのは本当です。僕、蓮華様にだったら何をされてもいいですよ」  妖しく光る瞳でそう言われてぞくりとした。それを振り払い、頭の中を「レン」ではなく「蓮華」へ、意識して切り替える。できるだけ新家の望むようにやりたいが、仕事としてのプレイに慣れすぎてどこまでストッパーを外したらいいのか分からない。興奮からか、緊張からか、それとも恐怖からか。体が震えそうになるのを抑えながら、ゆっくりとベッドに座って足を組む。 「へえ、何をされてもいい、ね」  自分でも驚くほど冷たい声が出た。弱いながらも「これまで」とは違う質量のグレアを感じたのか、新家がびくりと震える。蓮華は気にもとめず、獲物を吟味する獣のように、目の前のSubをつま先から睨め上げた。 「脱げ(S t r i p)」  そう言いながら目を合わす。一瞬後、新家が弾かれたように服を脱ぎ始めた。下着に手をかけたところで「止まれ(S t o p)」と声をかける。 「そこまででいい。…いつまで立っている気だ。座れ(K n e e l)」  少し意識して顔を顰めると、慌てて新家が跪いた。不安そうにこちらを見上げるSubに薄く口角を上げる。 「それでいい(G o o d b o y)。そのままStay」  初めてまともに見る新家の体を舐めるように見る。今までも白いな、とは思っていた。デスクワークが多いからだろうかとそこまで気にしなかったが、薄暗い室内で見るその体はぼんやりと光るようで、蓮華は軽く目眩すら感じた。これまでの事務的なプレイですらたまに理性が崩れそうになる瞬間があったのに、これでは本当に壊してしまいそうだ、と他人事のように思う。 「よし(G o o d)。今までプレイで脱いだことは?」 「ありません。蓮華様が初めてです」 「だろうな。服を着ていても襲われそうになるくらいだ。これを見て、正気を保てるDomがいたかどうか」  そう言いながら顎を掴んで持ち上げる。その目は陶然としていて、まるで蓮華に壊されることを夢想しているかのようだった。その目を捕え、新家と、それからそこに映り込む蓮華自身に刷り込むように言い聞かせる。 「よく聞け。前に言った通り、俺はお前を傷つけたくはない。だからそんな不用意なことは、二度と言うな。分かったな?」  Subはぼんやりとした顔のまま頷いた。本当に理解しているのだろうか。  新家の体を見た時、蓮華はこの新雪のような体に赤を散らしたい衝動に駆られた。しかし同じくらい一片の傷もなく白いままでいさせたいとも感じた。自分のSub(所有物)には、それがふさわしい。それは仕事で会うΩSubに対しての庇護欲とは違う、もっと仄暗い感情だった。その感情に内心身震いしながら、蓮華は言い直した。 「一生大事に飼ってやる。嬉しいか?」 「嬉しい、です…!」  目を潤ませながらSubが答える。 「なら態度で示せ。口付けろ(K i s s)」  そう命じると新家は蓮華の口に飛びついてきた。夢中で何度も唇を合わせてくる。「いい子だ(G o o d)」と言って舌を絡めてやると、新家の視線がどろりと溶けそうになる。スペースに入りかけているのを察知して、蓮華はわずかにグレアを強めて新家を「そこ」へと優しく突き落とした。  2人で寝るには狭いベッドで、服を着て蓮華を抱きしめすりすりと全身で甘えてくるSubの頭を慈しむように撫でる。不思議なことに、全てを委ねられていると感じた途端に衝動はなりを潜め、代わりにこのSubを甘やかしたいという欲求が蓮華を満たしていた。  頭を撫でてやりながら、蓮華は考える。Subをスペースに導いたのは記憶の限りでは初めてだ。Subだけが辿り着けるというその至福の境地とはどのようなものなのだろうか。喜ばしいことのはずなのに、新家が蓮華とは別の世界にいるようで一抹の不安を感じてしまう。  すると腕の中にいるSubが身動ぎした。スペースから戻ってきたのかと思ったが、そうではないようだ。そのままSubは蓮華の顔を不思議そうに見上げた。 「どうして?僕は蓮華様と一緒にいますよ」  何も言っていないのに紡がれた言葉に、蓮華は自分が思い違いをしていたことを悟った。別のところに行ってしまったのではない。今このSubは、蓮華の中に(・・)いるのだ。 「そうか、ここにいるんだな」 「はい」  Subはふにゃりと笑って、またすりすりと甘えてくる。もう不安は感じない。蓮華は目を閉じて新家と共にしばらくそのひと時を過ごした。  戻ってくるという気配を感じて、蓮華は目を開ける。Subの顔を上げてやると、蕩けていた目が光を取り戻していくのがよくわかった。 「神原、さん…?」  そう新家が呟いたのを確認して、「蓮華」から「神原」へと戻る。新家はまだ甘え足らないようで、なかなか神原から離れようとしない。 「僕スペース入ったの初めてで…スペースに入った人の話を聞く度に自分が自分でなくなってしまうんじゃないかってちょっとだけ怖かったんですけど、神原さんがいてくれたから大丈夫でした。ありがとうございます」 「うん。俺も嬉しかった」 「あと神原さんがあんな感じになるなんてってちょっとびっくりしました」  面と向かって言われると恥ずかしくて、神原は顔を覆う。 「いやあれはお前に合わせてただけだし…」 「そんなこと言いながらノリノリでしたよね?Domとしての神原さんってあんな感じなんですね」  真実なので否定できないのが辛い。最初はおっかなびっくりだったが、途中からはほとんど衝動に呑まれていた。今まではこうなることは無かったはずなのだが。 「お前が魔性すぎるのも悪いと思う」 「ええ、僕のせいですか?」  そう言いながら体を離し、くすくす笑う新家の顔には先程までの名残は欠片もなかった。  次の週、神原の寝室に来た新家が固まった。 「どうした?ああ、ベッド買い換えたんだよ」 「えっ…と…ダブルですね?」 「いや今日もプレイした後泊まるだろ?ベッド置ける部屋ここしかなかったし、シングル2つ置けなかったからダブルにしただけなんだけど。ちょっとお前窮屈そうだったし。これでも狭かったらごめんな」 「いえ、全然狭いと思ったことないです」 「そう?…あと、プレイしない時でもお前に泊まりに来てほしいかなって……何やってんの?」  照れくさくて目を逸らしながら言った後、視線を元に戻すと新家が天を仰いでいた。 「…なんというか、展開が早すぎて…」 「いやセックスとかはまだしないから。怖いし」 「そういうことじゃなくて…でもちょっと嬉しいです」 「…俺も嬉しいよ」  自分でもいきなり距離を詰めすぎだという自覚はある。だが浮かれるのも仕方ないと思う。新家も満更でもなさそうで、今度は真っ赤になった顔を押さえて俯いた。

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