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第12話 ※
とにかくこのようにして初夜は済んだのだが、肝心の蓮華の拡張の方は結局進まなかった。毎回振り出しに戻ってしまい、どんなに理性が受け入れようとしても心身は頑なに侵入者を追い出そうとし、快楽への怯えは消えず、進む前に力尽きてしまう。
「僕はこのままでもいいですよ。どちらがどちらに入れなくてはいけないわけではないんですから」と縁也は慰めてくれるが、そう言われると蓮華の心は縁也に中を満たしてもらわなければ嫌だと泣き出すのである。いざ入れようとすれば指でもあんなに拒むのに、難儀なものである。
とはいえ焦っても進まないものは進まない。時間が解決するのを待つしかない。あるいは何かきっかけがなければ無理なのだろう。そう思って蓮華も一旦諦め、最近は縁也を抱くことが増えていた。結局のところ2人とも気持ちよくてプレイ欲も満たされるのでメリットしかないのである。
この前など挿入して動かないまま全身を愛撫していたらそれだけで縁也のメスイキが止まらなくなって心配になってしまうほどだった。αなのでさすがにそうそう射精出来なくなることはないだろうが、いざ蓮華を抱く段になって中折れするのではないか、と少し危機感を抱いてしまった。縁也もそうだったのか、前を触るようねだってくることが増えた。
最初のような事故も今のところ起きていない。縁也の首は今や|首輪《Collar》で覆われていた。銀色に冷たく光るそれは蓮華の宣言した通り縁也の首についた噛み跡を隠すため少し幅広なのだが、どうせだからと縁也の意向でいくつもの蓮の花の彫刻で埋め尽くされた。完成品を見て「縁也にとって俺って菩薩か何かなのか?」と蓮華が内心思ってしまった程である。
縁也はこの首輪をいたく大事にしており、外す際は毎回丁寧に磨いている。そしてプレイの最中蓮華が暴走しそうになった時はそれを戒めるように首輪が光り、その度に蓮華は我に返るのである。
乱れる縁也を見ているとたまに自分も挿入無しでいいからそんな風に乱されたいと思うことがないではないが、それすら縁也に覆いかぶさられただけでパニックになってしまうのでやはり無理だった。
そんな中、悪夢は突然やってきた。逃げ切ったと思っていたのに、現実のものとして蓮華の前に現れた。
「ああ、探していたんだよ、僕の蓮華」
蓮華の方へ歩いてくるのはあの男のはずなのに、どうしてかそれが理解出来ない。分かるのはどす黒いねじ曲がった化け物が、自分を今度こそ喰らおうとしているということだけ。そしてあれを生み出してしまったのは自分自身ということだけ。小さく耳鳴りがして、呼吸が浅くなるのを感じる。恐怖で微動だにできない。
「本当に探したんだ。君はとっくにあの会社を辞めていたし、家からも引っ越していただろう?でも君があの忌々しい仕事そのものを辞められるわけがない。そう思って各地のDom派遣サービス会社のサイトに行って、そこに登録されているDomを一人一人見ていったんだ。そうしたら、ようやく見つかった。『レン』なんて名前を変えても、写真が君そのものだったからね。そこまでするとは思わなかったかい?」
猫撫で声で語られるおぞましい言葉の半分も耳に入らない。膝が震えて、その場に崩れ落ちそうになる。
その時、蓮華の肩に誰かが触れて、蓮華の前に進み出る。
「帰ってください。神原さんはもう、『あなたの蓮華』ではない」
縁也だった。そうだ、自分は縁也といつものように自分の家に行こうとしていて、それで。
「僕の蓮華に何をしている!」
その声で我に返った。そこにいたのは、化け物などではなくただの男だった。縁也の存在に今気づいたようで、血走らせた目で縁也の胸ぐらを掴んで、拳を振り上げていた。
あの目は何をするか分からない。縁也が危ない。そう思ったら体が動いていた。
「あんたこそ、俺のSubに何してんだよ、このクソ野郎!」
逃げ出したい悪夢のはずだった。それなのに気づいたら蓮華は縁也を守るように割り込むと、信じられないくらいの力で男の手を縁也から剥がし、思い切り殴り飛ばしていた。めき、と嫌な音がした。男からではなく、自分の手から。
「俺はまだしも、こいつに手を出すな!」
グレアが制御出来ないのを感じながらもがく。縁也が咄嗟に引き剥がさなければ蓮華は男に馬乗りになって殴り続けていただろう。男は殴られた場所を押さえ、強すぎるグレアにのたうち回っていた。遠くからサイレンが近づいてくるのが聞こえて、ようやく蓮華は意識を飛ばした。
気がつくと蓮華は病院のベッドに寝ていた。気づかなかったが目撃者は何人かいたらしく、彼らが通報してくれたらしい。あのグレアの中で暴れる蓮華を抑えていた縁也はその後またドロップしかけたそうで、蓮華はそれが申し訳なかった。
「ごめん、怖い思いさせたな」
「僕はもう元気になったからいいんですよ。むしろ蓮華さんのおかげで助かりました。それより蓮華さんの方が大変でしょう。1日以上寝込んでましたから。手の骨も折れてますし」
そう、蓮華は骨折していて、寝ている間に手術もしたらしい。しばらく入院である。あの時は全く気にならなかったのに、固定されているはずの手がちょっと身動ぎしただけでかなり痛い。ディフェンスってやっぱりすごいな、と他人事のように思ってしまった。
ふと、あの男は大丈夫だろうかと思って、そのことに驚いた。心配する余裕が出来るほどに、あの男への恐怖は薄れていた。逃げ続けることは蓮華を守っていたが、それが逆に恐怖を増大させていたのかもしれない。
「あいつにもいいパートナーが出来たらいいんだけどな。俺以外で」
「裁判の方が先ですけどね。…大丈夫ですか?」
縁也が心配そうに覗き込んでくる。裁判が始まれば、恐らくは蓮華も証人として参加する必要が出てくる。顔を合わせないことも出来るが、それでもあの男の気配を感じる場所に行く。それを案じているのだろう。
「いや、お前が着いてきてくれるなら大丈夫。…っていうか、なんか怖いのもだいぶマシになったし。これで俺の手の骨が折れてなきゃな」
お前とセックスできたかもしれないのに、と口の動きだけで言うと縁也が顔を赤らめた。
「ちょっと、振れ幅が激しくないですか?」
「いや、今ならほんと何も怖くない気がする」
「それはハイになってるだけですよ、ほら、そろそろご飯を食べましょう」
ご飯と聞いてお腹がぐうと鳴った。それに微笑みながら、縁也が食事を持ってくる。
「わあおかゆだ」
「寝ている間絶食していたわけですからね。骨折を早く治すためにも早くちゃんとした料理を食べられるようになりましょうね」
「うん、もちろん食べさせてくれるんだよな?」
「仰せのままに」
嬉しそうに縁也がお粥を冷まして口元まで持ってくる。それを蓮華はぱくりと食べた。
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