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ほんとうは
「碧、最近御子柴の事避けてるよね」
「えっ?」
御子柴と最小限の会話だけする日々が二週間を過ぎた頃、上司の上岡が鋭い声で問うてきた。二度も体調不良で倒れる自分が不甲斐なく、繁忙期ということもあってなかなか話せなかったのだ。そして何より碧が御子柴と一緒に居たくなかった。
少し遅れて碧の手から資料が床に散らばる。あまりにも突然の事だったというのもあって脳内で少しラグが生じた。
「だって朝食の時間だってずっと俯いて食べてるし、買い出しに行ってもらう時だって距離取りながら歩いてるでしょ」
「いえ、その、すみません」
「別に謝らなくていいよ。でも、御子柴にははっきり言っておいた方がいいと思うんだよね」
「そう、ですね……」
この際、上岡が言うようにはっきり自分の過去、トラウマについて言った方が良いのだろうか。でも全部言った後に見限られてしまったら?これまで以上に同情の目を向けられてしまったら?いろいろな思考が頭を埋め尽くしていく。
「取り敢えず今日一日考えてみたら?」
「でも、会議が……」
「代わりの人に行ってもらうから大丈夫だよ」
次の瞬間碧の中で何かがプツンと切れた。まるで役立たずな自分は必要とされていないような気がして。感情の整理すらまともにできていない自分を上岡は必要ないといったような気がした。上岡の発言自体は何もおかしいことはない。ただ代わりの人に仕事を振っただけ。業務を円滑に進めるためだけの業務連絡。それが碧にはひどく心に刺さった。
「碧?」
「すみません。やっぱり今日会議出ます。自分の事ぐらい自分でケリをつけられますし」
「そう」
トントン、と落ちた書類を集め、整える。
何らおかしい事は言っていない。
何も問題ない、大丈夫だ。きっとできる。
碧は自分に言い聞かせた。その間、上岡には目を合わせずまくし立てるように早く言葉を紡いだ。碧の発言に対して上岡はそれ以上言及することもなく流した。
「では今日の会議を終わります。ありがとうございました」
上岡の部屋を別れた後、碧はすぐに会議室に向かった。余計な事を考えないように一つの事だけに集中して。それがたまたま仕事だったというだけだ。
席を立とうとすると今回の会議の主催者が後ろに立っていた。
「向井君。ちょっと顔色が良くないんじゃないか?」
「いえ、大丈夫です。お気遣い感謝します」
「もしかして上岡にこき使われているんじゃないのか」
足早に立ち去ろうとするが主催者はなかなかそうさせてくれない。それどころか上岡の陰口を時々織り交ぜながら話をするから質が悪い。
「いつでも良いが今度よかったらうちの会社に見学に来てくれないかな。興味が湧いたらでいいんだけど……」
耳元で広げられる話題に碧は耳を塞ぎたくなった。なぜ自分をあの”最悪”な環境から救い出してくれた人を悪く言われなくてはいけないのか。嫌なら嫌と言えばいいのに。言えない自分をもっと、追い詰めてしまう。碧はそんな自分が大嫌いだった。
さらに続いていく上岡の陰口、自分への気遣い。どうでもよい世間話。早くどこか、広い場所で空気を吸いたい。誰でもいい、早くこの生き地獄から解放してほしい。
「向井はこれから別の用事がありますので失礼します」
心なしか先ほどより距離が近くなっている。それにすら気づかない碧をある人は止めた。
「御子柴?」
「おいちょっとまだ話は終わってない……」
「失礼します」
いきなり手首をつかまれて出口まで強く引っ張られた。手首をつかんだ主はこちらには目もくれずただ真っ直ぐドアの向こうに連れ出してくれた。
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