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キョリ

「とにかく、体調管理はしっかり行うこと。あと、朝の時点で体調悪かったら早めに連絡して。幸い同じ家に住んでるんだからさ」 「……はい」 「あと、来週ぐらいから倒れられると本格的に周りの人に迷惑かかるから、気を付けてね」  上岡の言うことは至極全うだ。生憎にも碧は事業の統括、という立場なのだ。一社員ではない。現場での作業なら一人や二人欠員が出たところで負担は増えるが、大した問題ではないだろう。しかし統括は違う。まとめ役で、周りの人間のコミュケーションや、全体の進み具合滞りなく進める必要がある。わけが違うのだ。 「碧、最後に一つだけ良い?」 「なんですか?」 「碧は常に頑張ってる。でも時々頑張りすぎる時がある。その時はしっかり休んでいいんだよ」 「……でも、休んだら、迷惑になる。何もできない俺に、価値なんてないから」  もう、そっとしておいてほしかった。あくまで上岡は事業を進めるために、その役としての碧の為にここへ来たのだ。碧は自分が心配されていることに気が付けないでいた。 「取り敢えず、体調はしっかり整えてから出社して。遅れてきてもいいから」 「わかりました。お気遣い、感謝します」 「じゃあ、俺は戻るから何かあったら連絡して」 「お疲れ様でした」  碧は上岡にそっと会釈をして見送った。ベッドの上で示しがつかない。しかしそれを咎めるほど上岡は無粋ではない。見送られた上岡はスタスタと来た道を去っていった。 (弓弦さんにも怒られた。もう、誰にも干渉されないようにしないと)  碧は自己嫌悪に陥っていた。  今回の事業は何も初めてではない。もう数回目となるのにこんな所で失敗するなんて。自分はサポート役として失敗作だ。誰の助けにもなれない。一人で行動を起こすこともできない。できるのは相手に意図せず負荷をかけるだけ。少し痛む額の傷がじわじわと頭の中で広がっていく。その間、どうしようもない灰色の感情だけが碧の心をうめていった。  碧の体調が完全に治って初めての出社。上岡の言った通り、病院からはいつも通りの時間に出社はできなかった。数日の検査の結果、一時的な栄養失調と免疫不全によるものだろう、と診断された。それらを改善するために碧は約二週間分の薬を処方された。  病院の中は思ったより暇で、届けられた荷物の中にパソコンを無理を言って入れてもらった。指定の時間以上に仕事をしようとすると看護師に数回注意を受けた。幸い、そのこまごまとした小さな終わった仕事のおかげで少しだけ今後の仕事が楽に感じる。  私物を自室に持っていき、上岡に遅れた旨と回復した、という内容を伝えるためにノックをする。 「おはようございます」 「うん。おはよう。もう大丈夫?」 「はい。完全に治りました」 「そっか。ならよかった。じゃあ、徐々にペース戻していこうか」 「はい」  もう碧がこの繁忙期の間、上岡の部屋で一緒に作業することはないだろう。普通の秘書と上司のあるべき関係に戻っただけだ。何も気にする必要はない。碧は自分の心にそっと言い聞かせながら社長室を後にした。

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