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ブレイクタイム
* * * *
「弓弦さん」
「あぁ、碧。どうした?」
「そろそろ退社時間です」
「もうそんな時間か…ありがとな、碧」
御子柴と分かれて数時間後。空が紺色に染まりきった時間に碧は弓弦を呼びに向かった。オフィスの広さは同じ広さのはずなのにやけに広く感じる。それは今の碧が空っぽだからか、否か。
「いえ…仕事を全うしたまでです」
「そっか」
素っ気ない返答しかできないけれど、業務上仕方ない、と割り切って行動する。
* * * *
「おかえりなさい」
「ただいま」
「……ただいま」
玄関から続く廊下でビニール袋を下げた御子柴がひょっこり顔をのぞかせた。ビニール袋には駅前のパン屋のロゴが印刷してあった。
「碧さん?」
上岡に当たらないように靴を脱ぎ、御子柴の持っているビニール袋を凝視している碧。
そんな様子を初めて見た上岡と御子柴。動揺を隠せない二人をそっちのけで碧はただじっと袋を見つめる。
「碧……?」
「はい」
「御子柴の持ってる袋、そんなに魅力的?」
上岡が恐る恐る問う。碧はそんなに自分は袋を凝視していたのだろうか、と行動を振り返る。特段変な気配はない。ごく普通の乳白色のビニール袋。中には御子柴の買ったカレーパンとその他のパンが入っている。
「取り敢えず、上がりましょうか」
「そう、だな」
御子柴の提案で一旦自室に荷物を置くことにした。碧以外の二人は碧が上の階に上がったことを確認して歩み寄った。
「碧さんの様子、何かおかしくなかったですか」
「あぁ。確かにあんなに真剣に見てたのは不思議……だよな」
「何かあったんですかね」
「さぁ……?」
上岡も今日一日ずっと碧と一緒に居たわけではない。彼の心境に何か起きたのかと推察する二人だが、これと言ってともに行動している間に変化するようなことは起きていなかった。
「お待たせしました」
「あ、うん。早速食べようか」
碧がジャケットと荷物を置き終わって食卓に下りた。会社でのきちっとした雰囲気は少し薄れている。もちろん他の二人も会社での雰囲気は残しつつもゆったりした印象になっている。
「今日はアヒージョか」
「そうですね」
たまたまなのだろうが、今日はタイミングよくアヒージョが出てきた。昨日の碧の様子から察するにきっと上岡が他の使用人に作らせたものだ。普段は碧が作ることが多いがこうして時々他の人間の料理になるときもある。
「あ、駅前のパン屋で買い物をしたのでよかったら使いませんか」
「そうだな。てか、なんでフランスパン?」
「なんとなく」
「トースター、入れますか?」
「お願いな、碧」
本来彼の夜食なのだろう。仕事が立て込むときに御子柴はよく自分で夜食を作る。碧は困らないのかな、などと憶測にしかすぎない事を考えながらカットしたフランスパンをトースターの中に並べる。
チーン
華美に見える室内で庶民的な音が鳴る。不釣り合いな音、と感じながら碧はトースターの中にいるパンを取り出した。
『いただきます』
三人で静かに手を合わせる。もうすべての使用人は帰ってしまったので今この家にいるのは三人だけだ。
基本的にこの家の人間は食事中にしゃべることは少ない。しかし革命が起きた。
「え、うま」
「おいしい」
「マジで」
予想以上にアヒージョとフランスパンがマッチして絶妙なハーモニーを奏でたのだ。つい口に出してしまうほどに。三人は少しだけ、とフランスパンを徐々に刻んでいき、アヒージョそのものがなくなる頃にはもうバゲットはなくなっていた。
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