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疲労
* * * *
「……はい。かしこまりました。ではその予定でよろしくお願いします」
「こちらこそ突然お呼び出ししてすみません。気を付けてお帰り下さい」
「はい。ありがとうございます。それでは、失礼します」
碧は急いで取引先に向かい、話をまとめてきた。これは統括の仕事の域をはるかに超えている。如何せん通常業務と並行してイベント準備をしているのでこちらに人員が割けない。同時に年々繁忙期の忙しさが昨年を超えている。そろそろ改善策を考えないと社員の体調に本格的に支障をきたしてしまいそうだ。
(はぁ……コーヒーでも飲んで気を保たないと。明日もあるんだから)
まだまだ完全に夏が終わったわけではない。寒いだけならまだ耐えられるが、今日は近年話題の温暖化現象の影響を強く受けている一日だった。朝、空気が冷え、昼間は真夏のような日差しになる。寒さに体制がない碧は朝の気温に合わせてきてしまった所為で額からじわじわと汗が出ている。
近くの自販機で小銭を入れ、コーヒーを押したとき。数か月前のようなめまいに襲われた。
「うっ……」
視界がくらくらと歪み、地面との距離が近づく。ひどく頭が重い。
ドサッ
重心が傾き、碧はいきなり地面に倒れ込んだ。なぜか左目に上から”紅い何か”が垂れてくる。碧は打ちどころが悪く、倒れた拍子にアスファルトの段差で頭を打った。碧の頭ではそれが血であることを理解できていない。
やけに体の熱が高い。ネクタイを緩めようとするが手に力が入らない。その間にも頭はガンガンと響くような痛みで、まともな思考すらままならない。
(このまま、いなくなれるのかな……)
秋の風が吹き抜けるなか、真夏のような日差しが碧に降り注いでいた。
「……おさん!!……碧さん!!」
(誰かの声がする。だけど誰かはわからない。あの人じゃないといいな。痛いことは、嫌いだから……)
碧がうっすらと目を開けるとそこは見慣れない天井だった。昔通っていた小学校の音楽室の天井に似ている。
(あぁ、今日も帰ったら痛いこと……されるのかな)
「碧さん!」
声のする方を向くと御子柴がいた。やけに必死そうな顔をしていて、眼鏡がややずれている。でも碧の手を握る手は優しくて、暖かい。
「みこしば?」
ふわふわとただまらない意識の果てに自分でも驚くような甘い声が出る。まるで、幼子が初めて言葉を発したような、ふにゃふにゃの言語。そんな碧に御子柴は諭すように声をかける。
「碧さん、倒れた時の事、覚えてますか」
碧はこの時、ようやく自分が倒れたことを理解した。ならば、この頭の痛みも倒れた時の負傷、ということだ。
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