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トリ一歩前

 碧が眠ってしまった後も、御子柴はその場を離れなかった。それ以上に碧のそばを離れたくなかった。御子柴は先ほどの数時間で碧の強さを知った。数か月前の触れたら壊れてしまいそうな危うさを感じさせない、芯の通った強さだった。少なくとも今、こうして肩を貸している間は寝顔を独り占めしたい。御子柴の心の中でそっと独占欲がくすぶり始めていた。 二人の間を通り抜けるように季節外れの暖かい風が吹いた。 * * * * 「…………ん、んぅ」 「あ、碧さん。目、覚めましたか?」 「おはよう、碧」  心地よい風が頬を撫でた気がして、碧は少しだけ目を開けた。まだ寝ていたい気持ちとイベント中だ、という義務感がせめぎ合っている。どうにか義務感が勝ってうっすらと目を開けると見覚えのある二人が両サイドに座っていた。 「ゆ、弓弦さん?!」  御子柴だけかと気を抜いていたら、見覚えのあるスーツが目に入った。碧が慌てて体を起こすと上岡は微笑みながら碧を撫でる。 「そんな驚かなくてもよくない?」 「いや、えっと、その……!あぁ!!御子柴もいる」 「はい、碧さんが起きるまでずっといましたよ」  二人の同居人に挟まれながら碧は羞恥心に襲われていた。いかんせん、上司に居眠りを目撃され、気になる人には肩を貸してもらい続ける、という暴挙に出ていたからだ。碧は恥ずかしさのあまり冷静な判断ができないでいた。 「ごめんな、御子柴……俺が寝てしまったばかりに……肩、痛くないか?」 「大丈夫ですよ。そんなに長い時間じゃなかったですし」 「それより碧。そろそろ閉会式の時間だから準備よろしくな」 「あぁ、はい!」 上岡の一言でこの後の日程を思い出した。そういえば閉会式に参加しなければと。つけている腕時計で時間を確認すると、あと少ししか猶予が残されていなかった。 「すみません。少し席を外します」 「あぁ。待ってるよ」 身だしなみを整えるために急いで鏡のある場所に寄る。 案の定、そこまで寝起きの雰囲気は出ていなかったが、少し髪が乱れている。せっかく御子柴が結んでくれたのに、と申し訳なく思いつつ再度自分で結びなおす。 「よし」 鏡の前で少しだけ息を吸って、鏡の自分に向き合う。自分の会社が主催のイベントだからこそ手を抜きたくなかった。失敗は許せない、と自分の中で決意し、会場に戻った。 「碧さん、閉会式、あと少しで始まります」 「あぁ、大丈夫。今戻った」 「碧、最後しっかり、な」 「はい」 碧が会場に戻るとあと少しで閉会式、という時間にまでなっていたようだ。御子柴の焦った声と上岡の期待した声で出迎えられた。御子柴と離れ、上岡と一緒に主催席側に向かう。 「それでは閉会式を始めます」 席の付近に着くと同時に司会の人がアナウンスを始めた。音声が流れ始めた瞬間、店を設営している者たちの作業の手が止まる。  次々とイベントの設営に関わった役員やボランティアの人達が一言ずつ、本日のイベントについての感想や感謝を述べる。 「では、統括責任者の向井さん。お願いします」 「はい」 司会が放送を促し、碧の番になった。 「皆様、本日は『connect edge』のイベントに足を運んでくださりありがとうございました。多くの人が楽しみ、関わり合い、関係性を持つ。今回のイベントの本旨に合った最高の日になったかと思います。そして何より、本イベント開催にあたり多くの人に協力をしていただきましたこと、誠に感謝しております。本日は本当にありがとうございました」 全て言い切った後にまばらだが、拍手が聞こえてきた。その小さな意思表示こそ碧がもらって嬉しいものだった。碧自身は長くなってしまった、と少し反省したが、言いたいことは全部言えた。それだけで十分だった。アナウンスに従い、次の上岡にマイクを渡す。  本日最大の重役を果たした碧は来場者にばれないよう静かに一息ついた。

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