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第1章 ダメリーマンの夜と昼のお仕事2
――六菱商事
「何度言われたら気が済むんだっ。こんな資料作っている暇があったら、ターゲットの周辺事情をリサーチしろ!」
「申し訳ありませんでした」
「本当にお前は使えないな! この会社に入って何年経つんだ。どれだけやったら覚えるんだ? えぇ!?」
「すみません」
頭を下げる俺を、周囲の連中は「またかよ」トカ「気の毒に」トカって目で見ている。
そうだよ、その資料は昨日アンタが急いでいるからすぐに作れって、まさしく目をつけている農家の周辺をリサーチして分析している最中に突っ込んできた仕事だよ。やれって頭ごなしに命令したのはアンタだ、黒崎裕二郎主任さんよ。
だが、ここで言い訳したら火に油。ただひたすら「すみません」と繰り返すのみ。まぁ、馬の耳に念仏だけど、頭を下げて謝っている者に文句を言い続けていると、事情を知る知らない関係なく周囲の目は俺に同情してくれる。
最近は「門倉、お前、よくやってるな」トカ、「黒崎主任の扱いが一番うまいのはお前かもしれない」トカ言ってくれる人も増えた。そしてなにより、この前、本部長が飲みの席で酔っ払った勢いで言ったんだ。
――門倉よ、俺たち宮仕えはいかに上に目をつけられないかが大事なんだ。今は悔しいだろうが、我慢しろ。会社では永遠に同じことは続かない。それに周りはちゃんと見ている。お前の我慢強さと粘り強さは、デキる連中にはしっかり届いている。
ってな。アンタはゲコだから、酒席がイヤな上に本部長と一緒はウザくて俺に押しつけてうまく逃げられたと思って喜んでいるだろうけど。
酒席って大事だと思う。飲めなくてもいいんだ。今は親父たちの若いころと違って強制されない。〝とりあえずビール〟もない。かなり自由なムードがある。そんな中で自分より上の人には機嫌を取り、下の者には励ますトカ、振る舞ってやるトカすればいいだけで、それでいろんな情報が入ってくるんだから俺は好きだ、酒席。まぁそれは、酒席というより、人付き合いなんだと思うが。
そういうわけで、いつまでアンタの下にいるのかわからないけど、『アポロン』で働けている間は、我慢してやる。
「暇なんだったら、こいつをデータ化しろ」
どっさり積まれた紙を押しつけられた。どっかで取ってきたアンケートのようだ。
「俺は客回りに行ってくるから」
「わかりました」
受け取って席に戻る。どうせどっかの茶店でも入ってサボる腹だろうが、ここもおとなしく頭を下げておく。
アンタの良いところは、自分の力を誇示したいがためにやたらデカい声で話すことだ。それは周囲に、俺にどんな仕事を押しつけたのか知らせているに等しい。
証人がいっぱいいるので、あとで言ってないトカ言い訳できないし、くだらない仕事を部下に押しつけていることも、好い結果が出ても俺がやったということも全部周知の事実ってことになる。
そして俺はアンタの仕事を押しつけられて他の仕事をしていなくても、みんなに仕方ないなって思ってもらえる。ムカつくが、やり易いことは確かだ。ってか、アンタ、わかりやすくて扱いやすいんだよ。
しかし、多いな。しかも手書きのアンケだから字が……。読みやすいものとなにを書いているのかよくわからない汚いものがって、これだけの量だし、これはちょっと時間がかかりそうだ。
二時間ほどカタカタとキーボードを打ち、入力に集中する。時計は四時。今日は『アポロン』の予定はないから、ちょっとばかし残業するか。
そんなことを考えつつトイレに行って席に戻ろうとしたら同じ課で今年入った新入社員の山田さんが傍を歩いていて寄ってきた。
「門倉さん、アレ、手伝いましょうか?」
お、優しい。でも、誰かに手伝わせたと知れたらまたアイツが怒るからここは辞退にかぎる。それにあれをちまちま打ち込んで時間潰すのも悪くない。手伝ってもらって早く終われば、またなにか押しつけてくるのは目に見えている。
「ありがとう。気持ちだけで十分だよ」
「でも……」
「手伝ってもらったことがバレたら、また爆弾が落ちるから」
「……確かにそうですね」
「ホントにありがとう。こうやって気遣ってもらえるだけで救われるよ。俺、ダメ社員って思われてるだろうから」
山田さんは「そんなことないと思うます」って呟くように言い、それから会釈して席に戻っていった。
ありがたいことは確か。だが、女、しかも俺より入社があとの連中に手伝わせているってアイツが取ったらまた面倒くさいからさ。
そういうわけで、今夜は頑張って残業し、入力作業に徹することにした。
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