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第1章 ダメリーマンの夜と昼のお仕事3
字がうまいってこうも人の感情に響くのかと今日初めて思った。それからもう一つ。うますぎても読めないってことも。
教科書に載っているような文字にしてくれ。さもなければ、女子高生が書くような丸くて可愛い字とかさ。崩されるとなにを書いているのかさっぱりで、前後の言葉や文脈で察しないといけないなんてさ、時間と労力の無駄だっての。
人の振り見て我が振り直せじゃないけど、俺も気をつけよう。
なんか疲れた。そう思って腕時計に目をやると、八時を少し過ぎたところだった。
「珍しいじゃないか、お前が残業なんて」
と、頭上からウザい声。帰ってきたようだ。へぇ、直帰じゃないんだな。
「まぁ、どんくさいお前のことだから、そうでもしないといつまでかかるかわからないだろうが」
「すみません」
黒崎の野郎は俺の謝罪に「フン」と鼻を鳴らし、俺の後ろを通り過ぎていく。それから椅子を引いて、ドカッとわざとらしく座った。
「昨日さぁ」
なんでこんな時間に戻ってくるんだろう。あー、そうか、残業稼ぎ。ヤだねぇ。
昼間はのらりくらりして、夕方から俄然元気になるヤツ。それで残業を請求しなかったら個人の勝手だが、しっかり請求するんだからタチが悪い。
「おい、門倉、聞いてるのか?」
え、俺に話しかけてる? マジかよ。
「あ、すみません。入力に集中してて。なんでしょうか」
「だからお前はどんくさいんだよ。まぁいい。昨日、銃で人を撃ち殺す夢を見んだ」
銃?
「女に助けを求められてな、しつこくてヤなヤツって印象だったんだけど、それを俺が見事に撃ち殺したんだ。夢ながらスッキリした。ウザいヤツがいなくなるって、ホント、気が晴れるよなぁ」
目を眇め、口角には皮肉めいた笑み。その撃ち殺した相手と俺をダブらせて、俺がいなくなったら気持ちいいだろうなって言いたいんだろうけど、バカはアンタのほう。銃の夢は良くないんだ。
銃は男の性器の象徴で、凶暴性や暴力性に繋がっている。銃を撃つってのはセックス願望が強くて、高まっていて欲求不満の状態なんだ。同時に自分の感情をコントロールできず、周囲とトラブる可能性を暗示している。
サイテーだよな、マジで。
「そうなんですか。スカッとしたならよかったですね」
「お前はホントにどんくさいよな」
俺が言いたいことに気づいていないとあざ笑いたいのだろうがさ、愚かだ。アンタだってこの会社に入れたんだから、それなりの大学を出ているだろうに……あ、違う。こいつは幼稚園からの持ち上がりで金さえあれば入れる学校だった。
縁故さまさまだな、アンタ。
すみません、ともう一度謝り、再び入力作業を始める。
「あと、熱帯魚を捕まえようとする夢も見たなぁ。女にやろうと思ってのことなんだけど」
あ~あ、なにもかもが決定的。熱帯魚は外見を気にしているってことだ。自分の能力のなさを外見で補おうとしている。そのエラそぶった態度もそうだ。くだらないメッキが剥がれ落ちる前に襟を正して地道に頑張らないと取り返しつかなくなるぞ。実際、本部長にそういう目で見られているんだから。
ついでに言うと、その熱帯魚が恋愛がらみだったら、不倫とか浮気の可能性大。美人だが難ありってことも十分あり得る。
「熱帯魚なんてイキですね。主任らしい」
「そうか? お前もたまには気の利いたことを言うじゃないか。でも、俺の機嫌を取っても、ソレの手伝いはできないからな。忙しいんで。じゃあ、俺はこれで帰るから、しっかりやれよ」
「お疲れ様でした」
いったいなにしに戻ってきたんだ?
アホな男の背を見送り、俺は思いっきりため息をついた。
いやぁ、ホントにアホすぎる。アホすぎて言葉もない。俺はいつまであのアホの下で働かないといけないんだろう。本部長が知ってくれているといっても、アイツは専務の遠縁だから表立っての味方はしてくれないだろうし、憂鬱になってくるなぁ。
でもまっ、明日は『アポロン』だ。今日の憂さをぱーっと晴らせばいいか。
とにかくこの面倒な入力を終わらせないと。
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