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第2章 ここどこだよ! 1
「いってぇ……」
気がついたら猛烈な頭痛……じゃない、痛いのは額だ。額がジンジンしている。それから肩と腰も。これは完全な打撲による痛みだ。
それでもなんとか身を起こした。額をさすり、目をあけると周囲は薄暗い。まだ夢を見てる? いや、この痛みは現実だ。
等間隔に篝火があり、周囲を照らしている。炎の揺らめきで影が大きく動く。
寒くはない。そりゃそうだろう、こんなに篝火があったら。
壁も床も煉瓦だ。触ると冷たい。
そして俺は長い廊下の途中に座り込んでいるようだった。前も後ろも先は闇にかき消されてわからない状態だ。
いったい、どこだ? ここ……
よく考えろ。
思い出せっ。
黒崎のいつもの嫌がらせで手書きのアンケート用紙をパソコンに入力する仕事をしていた。枚数が半端じゃないので珍しく残業していたんだ。オフィスを出たのは、確か十一時頃だった。時計を見たから間違いない。正確なところはわからないが。
丸の内線に乗ったが、その時は座れなかったものの目の前のオッサンの携帯が鳴って大手町で降りていった。俺はラッキーと思いながら座れて、そのまま睡魔に襲われて眠ってしまった……と思う。
電車を降りた覚えはないし、そもそも俺のマンションは終点だから、降り間違えるとか、ない。基本的に。だからまだ電車の中のはずだ。こんな煉瓦造りの薄暗い通路にいるのはおかしい。
だいたい、どこをどうやっても会社帰りにこんな煉瓦の通路に来ることはないだろ。
……ってことは、夢?
あ、そっか、まだ夢を見ているんだ。ははは、そうだよな。額や肩なんかが痛いのも、夢で勝手に痛いって思っているだけなんだ。
風が吹くたびゴォゴォと炎が唸るが、これも、夢だ。
炎の夢って、なんだったっけ?
と、なんだか変な臭いがしてきたんだけど……というか、ヘンどころかかなり臭い。獣臭いと言いうか……
真っ直ぐ続く通路の途中からガザって音が聞こえたと思ったら、デカい影が伸びてきた。
なんだ、あれ……頭部がアンバランスにデカくて、腕がやたら長くて……イヤな予感しかしない。
廊下の途中からぬっと顔が出てきた。続いて、肩も。
一本道の通路が続いているのだと思っていたが、どうもそうではないらしい。前後左右四方八方、みな同じ調子で積まれて造られた煉瓦の空間。目の錯覚で空間の区切りを掴めないようだ。
怪物がこちらを向いた。
「マ、ジ……うそっ……」
デカい顔にあるのはデカい一つ目!
俺の頭の中に浮かんだのは、ギリシャ神話に出てくる一つ目の怪物。名前は、えっと――キュクロプス、キュクロプスだ!
一つ目と目が合い、そいつがリキむのがわかった。
じょ、冗談じゃないっ。逃げないと!
そう思うのに、体が動かない。そればかりかガクガクと小刻みに震えてどうにもならない。
ギャリ、ギャリ、ゴロ……ってなんだか悪い予感しかしない音がする。
キュクロプスの全身があらわになると、その両足にそれぞれ足枷がつけられているのがわかる。音は鎖と鉄球が転がる音だった。
そのキュクロプスは右手にこれまたデカい棍棒を持っている。そして俺に意識を定めたのか、一歩、一歩、と俺のほうに向かって歩き始めた。
いや、マジで逃げないとヤバい。あっちは足枷があるんだから、ダッシュしたら絶対逃げ切れる。
あ、いやいや、待てよ、これは夢だろう。俺はキュクロプスの夢を見てるんだ。でも、なんでこんな化け物の夢なんか見るんだ? と思ったと同時に閃いた。昨日、大学生の弟がラインしてきて、新しいゲームを買ったから、いつでもやりに来いよって言っていた。眠かったからイマイチちゃんと読まなかったけど、ギリシャ神話をモチーフにしたロールプレイングだったはずだ。
なぁんだ、やっぱり夢じゃないか。
「………………」
キュクロプスが迫ってくる。ゆっくりだがデカいから歩幅がすごい。あっという間に、五メートルくらいまでに迫ってきた。
いや、夢だから。
目前三メートルくらい?
夢だから、こわいって思っているだけだって。
一メートル……か?
「ちょ」
棍棒を振り上げて。
「げふっ! ぎゃっ」
脇腹に強烈な激痛。それから浮遊感と、衝撃。
めまい。
頭痛。
夢なのに、なんだよ、この痛みと感覚――
額を押さえてからその手を見たら、赤く染まっている。それから気配を感じて顔を上げると、キュクロプスが目の前に立っていて、またしても棍棒を振り上げている。
ヤバい。
慌てて身を起こして四つん這いになってその場を離れる。
ガツン! という音とともに小さななにかが複数体に当たったのを感じたが、気にしている間はなかった。必死で立ち上がって駆け出した。
たっ、助けてくれっ。
腹いてぇっ。頭もガンガンする。
夢なのに、なんだ、この強烈でリアル感いっぱいの感覚。それから衝撃。夢じゃねーのかよ!
必死に走っているから呼吸もつらい。
息が上がるっ。
俺の出す荒っぽい呼吸音と、靴音が煉瓦の通路に響き渡っているのを耳が拾っているが、意識はバラバラだった。
なんで!
そればかりだ。その言葉だけを何度も繰り返す。
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