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第2章 ここどこだよ! 2
確かに日本では名の知れた大学を出た。それから一流企業とされる大手商社にも潜り込めた。だが、所詮そこまでの話で、入ったらすげぇ連中がゴロゴロいて、まぁすごいのなんのって。
俺はしがないリーマンでしかないと痛感し、上の目につかないようおとなしく仕事をすることにしたんだ。目立たぬように、出る杭にならぬように。
ところがたまたま当たった上司が、専務の一人の外戚ってことで威張り散らしているヤツで、俺のリーマン生活は最悪な状態なってしまった。周囲にダメリーマンの印象を植えつけられてしまったのだ。
だが、俺だってやられっぱなしじゃない。ストレス解消のために新宿で夜の副業に従事することにしたんだ。短気を起こして転職したって、世の中どこも同じだ。きっと同じことを繰り返す。
仮初の時間、女とキャーキャー盛り上がれば憂さだって晴れる。それでいい。あのパワハラ上司だっていつか異動するんだ。いや、俺が異動する可能性だってある。そう考えれば、現状がどれだけ続くかわからない。
俺が外でストレスを発散させあのクレイジー上司をやり過ごしているうちに状況はきっと変わる。
そう思って『アポロン』で働き始めたら、けっこういい感じだったんだ。子どもの頃から妙にハマって読みふけっていた〝夢占い〟がこんなところで役に立った。
女はもとより占い好きだ。タロット、手相、四柱推命、いろいろ。でも子どもの頃、俺は自分が見る夢に興味を持ち、夢辞典なるものを学校の図書室で見つけてから読みふけるようになった。
小説じゃないから、どこからどんなふうに見てもいい。だからかなり分厚い本だったけれど、けっこう覚えたものだった。
最初は興味本位、次に少し進歩して〝趣味〟になって、とうとう営業のネタになって金を生むようになった。
と、そんなことを回想している場合じゃない。この夢をなんとかしなければ!
というか、いったいどうなってるんだ! 夢だろ! おい!
俺はしがないリーマンでしかないはずなのにっ。なんだよ、この状況っ。
さっきからジンジンと熱く湧いてくる痛みと、息苦しいほどの恐怖感、必死に走るがゆえの呼吸困難。すべてが〝ヤバい〟を指している。
なんとかしないと!
はぁはぁと俺の吐く息は冷たい煉瓦造りの世界にこだまする。俺の耳は息づかいを拾うだけで必死で、後方にいるキュクロプスの様子を振り返って確認するなんてこと、絶対的に無理だった。
どれだけ引き離したのだろう。もう姿は見えないのだろうか。
それともまだすぐ後ろにいるのだろうか。
察していないだけで、怪物が振り回しいてる棍棒は俺の頭上にあるのだろうか。
喉が、肺が、心臓が、悲鳴を上げている。
苦しい――
走っても、走っても、先に進んでいる気がしない。これこそが夢の特徴で、目が覚めたら「無意味だった」と笑って終わってしまうことなんだ。だから必死になって逃げなくていい。適当に、手を抜いてやる過ごせばいい。
そう思うのに、止まれない。こわくてしかたがない。
わき腹がやけに痛む。というか、全身が痛いし、頭もガンガンする。
逃げないと殺される、その思いが前進させる。俺の中では夢と現実が交錯していてどっちがどっちか判断できない。
「あっ――ぐうっ」
足がもつれて無様に転倒した。痛む体にさらなる殴打の痛みが加わる。
なんでこんな目に! そう思いつつ踏ん張って起き上がろうとしたら錯覚の中に埋もれていた現実がクリアになった。
俺はただ真っ直ぐ走っていたが、キュクロプスが脇から出てきたとおり、ここにはたくさんの通路=道があるんだ。同じ景色だから目が捉えられなかっただけで。
倒れた状態で顔を上げると、目の前がT字路になっていることに気がついた。
曲がれ!
痛みをこらえて立ち上がる。一瞬後ろを見たらキュクロプスは遅いながらにまだ俺を追いかけてきていた。
真っ直ぐではなく角を曲がり、なんとかキュクロプスを撒こうとした。
目を凝らし、空間を見つけながら曲がって曲がって……
かなり走って、とうとう俺の心臓が悲鳴を上げた。
「ふえええ……」
もうこれ以上走れない。息も上がりきっていて、うまく呼吸もできない。
壁にもたれかかって座り込み、胸を押さえて必死に呼吸しようともがく。大きく息を吸い、吐く……を何度も繰り返した。
少しずつ落ち着いてきて、周囲の様子に意識を向けることができ始めた。
闇の中のようで天井も通路の先も真っ暗で見えないが、等間隔にある篝火のおかげで自分のいる周囲はある程度見ることができる。煉瓦造りの通路はどこも同じで錯覚を起こして空間を掴めないほど。扉がないから部屋もないのだろう。
ってことは……俺の中で思い浮かぶのは一つしかなかった。
迷路。
迷路をさ迷っている夢を見ている?
そう思った時、脇腹からズキンと大きな痛みが襲って反射的にその場を押さえた。で、ふとその手を見たら――血で染まっている。
「え――」
頭も痛い。額の少し上のあたりを逆の手で押さえ、また手を見たら、ここにも血がついている。
痛みと血――こんなにリアルな夢なのか? それとも、これは現実?
いやいや、待て待て、シン。どうして丸ノ内線に乗っていた俺が迷路にいるんだ。
やっぱりこれは夢だ。冷静になれ。
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