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第6章 ジェラシーはどこでも迷惑 1

「シン、ごめんよ」  ジュリアの部屋でティータイムとなった。ジュリアは俺なんかよりはるかに不機嫌だ。申し訳なさそうに謝ってはいるが、顔はかなり怒っている。  実の母よりも腹違いの兄を思っている姿は少々複雑ではあるが、それが王妃の人徳であるなら仕方がない。子どもは大人の感情を察知するのがうまい。ジュリアはきっと王妃のアルフィーへの嫌悪を肌で感じているのだろう。 「気にしなくていいよ。俺が元いた世界は、あんなの比べ物にならないレベルのイヤぁ~なヤツがいたから」 「ええ! そうなの!? シンに嫌がらせするの?」 「ああ。毎日毎日、イヤな思いをして仕事していたから、それに比べたらここはパラダイスだ」 「ひどい! そいつがもしこの国に来たらぼくが成敗してあげるよ!」 「それはありがたいし頼もしい」 「ホント!?」  ジュリアが目を輝かせた。頼もしいって言われて嬉しかったようだ。男の、あるいは子どもなりの、自尊心をくすぐられたのかな。  子どもは苦手だがジュリアとはうまくやっていけそうな気がする。 「母上はアルフィーのできがよくて、ぼくのできが悪かったら、みんなに笑われる、王さまにはアルフィーが相応しいって思われたら困る、そう思っているんだ。でもぼくはぜんぜんかまわない。それどころか、みんなが王さまはアルフィーになってほしいって言ってくれないかなってと思ってる。そのほうが絶対いいもん」 「どうして?」 「そりゃあアルフィーのほうが優れているからだよ。勉強だってできるし、剣術だって上級騎士レベルなんだ。あんなに剣の稽古に時間をかけているのに、勉強する時間少ないのに、すごく成績いいし! ぼくはどっちもあんまりだから、アルフィーの手伝いができたらそれでいいのに」 「でもジュリアが王太子なんだ。自分は王さまになるんだって思わないと」  途端にジュリアの頬がぷっと膨れた。こういうところはやっぱり子どもだな。 「ジュリアの気持ちはわかった。でも、そこにはアルフィーの気持ちがないな」 「アルフィーの気持ち?」 「俺がアルフィーから聞いたのは、王太子の補佐をしたいっていうものだ。アルフィーはジュリアを押しのけて王さまになることは望んでなくて、敬愛する王太子のために働きたいって言っている。アルフィーが大好きなら、その希望をかなえてあげるのがいいんじゃないか?」  ジュリアはふくれっ面のまま考え込んだように俯いてしまった。  しばらく考えて、それから顔を上げる。 「それはぼくもずっと聞いている。でもやっぱり、優秀な者が王さまになったほうが国民は喜ぶと思うけど」 「それはそうだな。けどさ、ジュリア、王妃さまはこの国を支えるために王さまと結婚したんだろ? 正式な王妃さまが産んだ子どもが王位を継げない国というのはどうだろう?」  ジュリアが目を丸くして首を傾げる。 「どうって?」 「役目を与えられた者が自分のその役目を果たしているのに報われないってことじゃないか? それが単なる職業の一つならまだしも、王妃という位だ。女性にとっては最高の位だろ? それなのに蔑ろされてしまったら、この国は働きに対して正当な評価をしないのかってならないか?」  我ながら言いつつも、子ども相手にえらく難しいことを話していると思う。それにいかに正当な血筋であっても、愚人が権力を握ったら末は目に見えている。有能な者が継ぐのがいいことは当然だが、アルフィーとジュリアの関係を見るに、ここはこう説得するほうがいいだろうと思うんだが……どうなんだろう、自分でもわかんねぇけど。 「でも……」 「今すぐ答えを出すことじゃない。ジュリアはまだ七歳だし、これから勉強していったらアルフィーを超えてしまうかもしれないだろ?」  ジュリアは俯いて黙り込んでしまった。 「じゃあ、こう考えるのはどうだろう。ジュリアが自分よりアルフィーのほうが優れている、と考えていることを前提に言うんだけど、アルフィーが王さまになったら、頼る人もないのでなんでも自分で決めてしまうだろう。みんなアルフィーを頼ってしまってアルフィーはプレッシャーの中でたった一人で王という職務を全うしようとすると思うんだ。それってとてもつらいことだとは思わないか? だって弱い自分や迷っている自分を人に見せられないからだ。でも、ジュリアが王さまになったとする。ジュリアが悩んだり迷ったりしたら、アルフィーに相談できる。ジュリアのプレッシャーは軽減されるし、アルフィーだって精神的に楽だ」 「あ」  俺の言いたいこと、わかったようだ。この子は頭の回転が速い。 「つまり苦労を共有し、分かち合うことができる。王さまとしての立場の辛さはジュリアが、政を行う大変さはアルフィーが、それぞれ担って、助け合える。どうだろう?」 「そっか」 「アルフィーがジュリアに〝そういう星の下に生まれたのだから逃げたらいけない〟って言ったのはそういうことじゃないかな」 「わかった! シン、ありがとう。ちょっと気持ちが楽になったよ」 「そうか、ならよかった」  ジュリアが子どもらしい笑顔になったので俺も少々ホッとした。 「失礼いたします。殿下のお昼寝のお時間でございますので、どうかこちらへ」  ジュリア付の小姓がそっと申し訳なさそうに声をかけてきたので、俺は手を振ってこの部屋をあとにした。    ***  自分の部屋に戻り、広いバルコニーに置かれている椅子に座る。広大な庭園とその奥に広がる農園ののどかな景色が素晴らしい。そこに心地のいい爽やかな風が吹いている。  ここ、最高にいいな。やっぱトリップしてよかったと思い始めてきた。自分の意志じゃないけど。  そうそう、不思議なことに、アルフィーが俺の名前を読めないと言ったから、俺もてっきりこの国の文字は読めないと思っていたのに、それが不思議となにを書いてあるかわかるんだ。もちろんそこにあるのは日本語じゃない。この国の文字だ。アルファベットによく似ているけど、よく見たら見たこともない文字がある。まぁ、俺はギリシャ語やロシア語のような、記号みたいな文字は有名どころ以外知らないから、もしかして複数の文字が入り混じっているだけかもしれないけど。  しかも読めるのはこの国のものだけじゃなく、クロノス王国以外の言語で書かれているものも理解できるのが驚きだ。アルフィー曰く、トリップして異空間の境界線を越えた時、この世界のあらゆる人種や言語の形成を超越したのだろうとのこと。  なんだそりゃと思ったが、最後に「だから魔導士なんだ」と言われて妙に納得してしまった。  でも、ということは、この世界にいる魔導士は、俺を含め必ずしもこの世界の住人ではない、ということになる。ってことは、俺と同じ世界(この場合、地球上と言えばいい?)の住人がいるかもしれないってことだ。  いたら会いたいな、と思うんだけど。 「なにをしている」  え?  背後でアルフィーの声がした。景色を見ているだけ、と答えようと振り返って硬直する。  俺の真後ろにはカイトがいて、さらにその後ろにアルフィーが立っていて、カイトの右腕の手首を掴んで捻り上げている。 「ちょっと」  という俺を無視し、アルフィーはカイトに向けて言った。 「どういうことだ、説明しろ」  なにをしている、というのは俺に言った言葉ではないようだ。 「殿下、あっ」  カシャンと音を立てて落ちたのはナイフだった。  え、ってことは、カイトが俺を刺そうと?  ウソ、マジで? 「事と次第によっては斬首だ」  斬首! 「ちょっと待ってくれ、アルフィー」 「待てんな。私が召喚し、お抱えとして証を授けた魔導士を狙うとは言語道断だ。しかも私の侍従頭が」 「いやいやいや、だからって斬首ってのはないだろ。あ、ほら、果物とかなんとか持ってきてそのナイフで剥こうとか切り分けようとか、そういうためにだな」 「黙れ」  う。 「こういうことをする輩に情けは無用だ。城内で殺人などあってはならんことだ。しかも私の侍従頭だぞ。それがどういう意味を持ち、どういう顛末を引き起こすか、カイト、わからんわけがなかろう」 「――――――」 「私に傾倒するのは勝手だが、私の立場を危うくするようなの真似は迷惑極まりない。それとも貴様は信者の顔をした間者か? 私の足をすくうために送り込まれたのなら、首謀は誰か吐いてもらおうか」 「……申し訳ございません、殿下。得体のしれぬ者が、殿下の傍にいることが……」  アルフィーの眉がヒクリと動き、さらに目が鋭くなった。俺すらもこわいと思うくらいだ。 「貴様の行動は極刑に値する重罪だ。牢で聴取を行うゆえ、その場で申し開きをするがよい」 「待てって!」  咄嗟に叫んだ俺の声に二人がこちらを見た。それを目視して続ける。 「俺を案じて怒ってくれるのはありがたいが、それは俺の本意じゃない」 「お前の本意などどうでもいい」 「いや、違う、聞けよ。カイトはアルフィーの侍従頭だ。いかに主が召喚したと言っても、怪しい者かそうでない者かを冷静に見極めようとするのは当たり前のことだ。主の言葉を鵜呑みにして、惨事を引き起こしたら、なにをやっていたってことになる。それに、アルフィーの侍従頭が事件を起こしたと知られれば、主であるお前の責任問題にもなりかねない。ここには俺と、お前と、カイトしかいない。茶の用意を頼んだ俺へ、併せて出されているデザートを切り分けるために切れ物を持ってやってきたが、肝心のデザートはまだ用意されていなかった、それでいいことだ。お前の懐内で事件が起こったという記録が残るほうが問題だ」  アルフィーの眉間に寄っている皺がより深くなった。 「お前は私に、このあってはならない場を隠蔽しろと言うのか」 「違う」 「――――――」 「俺とアルフィーの見解違いだと言っている」 「見解違い?」 「そうだ。解釈が違うだけだ。俺は刺されてなどいない。怪我なんかしていない。アルフィーの考え違いだと指摘している。なぁ、カイト、そうだろ? 俺の、魔導士シンの言っていることが正しいだろう?」  重い沈黙が降りる。三人が三様の表情で互いを見合い、黙り込んでいた。  だが、カイトがうっと嗚咽をもらしたかと思うと大粒の涙をいくつも流し始めた。

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