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第33話 ひよっ子、受け入れる

 ヤンは握りしめた拳に力を入れる。その態度に、レックスは宥めるようにヤンの頭を撫でた。 「そんな……僕だってレックス様に触れたいです……っ、それをこんな条件……っ」 「ああ。だからこそだ」  レックスの言葉に、すべて見透かされた上で出された条件だと知り、思わず彼を睨んでしまう。けれどやはり表情を変えないレックスに、本気なのだと悟った。それは、少なからずヤンにショックを与える。  ――ここでも、自分はレックスの役に立てないのか。ただでさえ秀でたものがない自分だ、唯一これで生きてきたという仕事で、それが活かせないなら何をすればいい? どうしたら、レックスを喜ばせることができる? 「ヤン」  静かに名前を呼ばれた。視界が滲んだことを悟られないように俯くと、顎を掬われる。 「お前の生き方は、いわば捨て身の攻めだ。俺はお前に死んで欲しい訳じゃない」  分かるか? と問われ、ヤンはレックスの視線から逃れるように顔を逸らした。騎士として、守るもののために死ねるのなら本望じゃないか、と口にはしないけれどそう思う。 「生きるか死ぬかの瀬戸際で生きてきたからこそ、俺と剣を合わせた時も、ナイルに立ち向かった時も、生き残ることを考えずに突っ込んだ」  俺はお前のそんなところに、危うさを感じている、とレックスは言う。  生きることに必死だったのは、今に始まったことじゃない。だって本当に、そうしないと酷いことが待って――……。 「……っ」  ヤンは思わず口を手で塞いだ。喉につかえた何かが、ヤンを喘がせる。  嫌だ、このまま彼に甘やかされたら、元に戻れなくなる。そうしたら、愛想を尽かされた時に今度こそ、野垂れ死にするしかなくなるのではないか。 「いいか。よくしてくれたと言うなら、お前の前の主人は、ひとりでも生きていけるように教育したはずだ」  ヤンは口を押さえたまま、首を振る。違う、そんなんじゃない。自分は、あの中でも扱いは特別だった。 「でも実際はどうだ? 食事にカトラリーを使うことも知らず、フォークすら、ろくに扱えない。簡単な文字も読めないし、雑魚寝が落ち着くとか……、それは、逃げられないように一箇所に集められていただけではないのか?」  その時だけは、少しは安心できたからじゃないのか? と聞かれ、ヤンはまた激しく頭を振った。まさか、村での扱いをヤンの言動で言い当てられるとは思わず、混乱する。  どうしよう、このままじゃ本当にここにいられなくなる、と。  そんな状態で生きてきたヤンが、どう考えてもレックスに釣り合うはずがないのだ。これが周りにバレたら、今度こそ不釣り合いだから出ていけと言われてしまう。そんなのは嫌だ。 「ちが……違います……」  弱々しい声が出た。レックスはヤンの背中を宥めるように撫で、すまない、と謝ってくる。 「最後のは俺とハリア様、アンセルの予測だ。俺たちはヤンを守りたい」  ヤンはレックスにしがみついた。そうしないと、喉につかえたもので嘔吐(えづ)きそうで、グッと息を詰め耐える。 「もう、ここは村じゃない。無理して一人前になろうとしなくても、生きていていいんだ」  レックスのその言葉に、ヤンはそろそろと顔を上げた。そこには今までにないくらいの、優しい恋人の瞳がある。 「俺はお前のかわいさと、いざとなった時の強さに惚れた。けど、捨て身でいて欲しくはない」  どう言ったら伝わる? とレックスは顔を歪めた。レックスは不器用ながらも、一生懸命伝えようとしてくれている。それはずっとそうだった。ヤンは、彼のそういうところが好きだと思っていたじゃないか、と改めて気付く。 「死に物狂いで、というのは美談に聞こえやすいが、そもそもそこまで追い詰められるのは、騎士としてどうだろう?」  ええと、つまりだな、とレックスは珍しく困ったような表情をした。彼自身も、気持ちを言葉にすることに慣れていないようだ。けれど、このひとの話は、ちゃんと聞かなければいけないような気がする、と耳を傾ける。それは上司だから、ということではなく、恋人として……ヤン個人として。 「ヤンの素早さと、危機察知能力、いざとなった時に力が発揮できるのは、俺も見習いたい程だ。だから……話が堂々巡りだな」  そう言ってレックスは苦笑した。要は、無理して俺の役に立とうとしなくてもいい、と言われ、ヤンは俯く。  正直、レックスの話はまだ一割程しか納得できていない。けれど脅さず、諭してくるひとは今までにない相手だった。自分を傷付けようとするひとより、案じてくれるひとの方が、まともだろうということは、城での生活で感じたことだ。  だったらまずは、このひとの言うことを聞いてみよう、と思う。  だって、レックスがヤンの特別なひとと言うのには、変わりはないのだから。 「レックス様……」 「好きだ。俺はヤンを失いたくない」  レックスのストレートな言葉は、ヤンの心に直接響いた。あれこれ回りくどい言い回しより、頭の悪い自分にはこちらの方が分かりやすい、と思う。  そして、その直截的な言葉が胸にストン、と落ちた時、涙が溢れて止まらなくなった。 「レックス様……っ」  レックスはそんなヤンの頭を、優しく撫でてくれる。 「すぐに意識を変えるのは難しいだろう。けれど、少しずつでいい。お前は『商品』ではなく、命ある、ヤンなのだから」  はい、と言う返事が震えた。レックスの腕がヤンを柔らかく包み、その逞しい腕に絶対の安心感を得られ、クラクラするほど嬉しくなる。 「レックス様っ、……好きです! 僕は、レックス様と一緒に生きていきたい……!」 「ああ、俺たちはもう(つがい)になっているからな。大丈夫だ、心配ない」  安心して心を癒せ、そう言われて、ようやくヤンは自分が傷付いてきたことを理解した。しかしそれを受け入れようとすると、途端に身体が拒否したように落ち着かなくなるので、辛いな、とレックスは大きな手で背中を撫でて慰めてくれる。  ヤンはそんな彼の手を取り、自分の頬に当てた。温かい手が無性に愛しくなって、離したくなくなって、触ってください、とお願いする。  レックスは数秒考えたものの、いつもの表情で聞いてきた。 「……先程の条件、のめるか?」  ふと、彼の目に、先程見た欲情の色が乗る。その鮮やかな変化に、ヤンも興奮を隠せなかった。自分からレックスに触れないのは残念だけれど、先程までの彼の役に立ちたい、という気持ちのままでは、きっと上手くいかなかったに違いない。 「はい……っ」  ヤンはそう言うと、レックスの唇を受け入れた。

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