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第3話

抑えきれない。幾度も重ねる唇。腕の中から片時でも相手を解放するなんて、考えられない。  貪る合い間に洩らされる、甘かったり非難めいていたりする短い喘ぎや吐息を聞きたくて、持てる全てのやり方で唇を舌を愛撫する。  ……爆発、しそうだ。体も、心も。ぴったりと重ね合わせた体が逃げたそうに蠢いて、逃がしたくない僕はあきとの腰をがっちりと掴み、抑え込む力を込める。行為の始まりと誤解したらしく、あきとが不意に強く暴れた。  どうにか必死の力で唇を遠去け、僕の肩口を乱暴に押し、激しく嫌悪を滲ませた声を張る。 「嫌、だっ!!」  ぎりっと睨む目で、濡れた紅い唇が僕をそそる事の自覚もないあきとは、それでも精一杯の主張を叫びにして表した。 「まだっ、痛えんだよっ。ついさっきまで散々やっといて、まだおれは少しも回復してねえんだよ!! また無理矢理やるつもりなら、考えがあるからな、噛みちぎってやるからな!! ハッタリじゃねえぞっ!!」  畳み掛ける様に言い切って、本気を裏付ける様に剣呑な雰囲気に身を包んで。  余りに威嚇を剥き出しにしているので、僕はひとまずの休戦にしてやる事にした。  本当は離したくなんてない腕を緩めると、飛び退く様にあきとは僕から数歩下がった場所に移動し、盛大な溜め息を一つこぼした。そのまま僕との距離を一定に保とうとするのか、油断ない目で僕を制している。  生命力に溢れた、真っ直ぐな陽の強さ。なのに垣間見える、昏く凍える陰の影。引き立て合うそれらを知らず背負っているらしい、純真な魂の持ち主。強烈に人を惹き付けてやまない――僕の様ないかれた人種なら、尚更に。  見つめるままの僕の視線を一瞬も反らす事なく、あきとは抑えた口調で呟いた。 「お前、おれのこと好きだって言ったろ。だったら、嫌がることくらい分かれよ。分かろうとしてくれよ」  相手を無条件に信頼した、頼りない子供の様に。ぞんざいな悪ぶった口調は、付け入れられる隙を隠す威勢でしかないのだ。  可愛い、と思う、もう何十回目か分からない。抱き締めたいけど、今はこの距離を守らなければならない。あきとが次に警戒を解いて自分から僕に近付いてきてくれる為に。 「……分かった」  だから、笑って僕は折れた。 「努力する。誓うよ」  安堵に肩の力を抜いたあきとを微笑ましい気持ちで見つめて、僕は思う。努力するよ、君に嫌われない様に、君を嫌わないで居られる様に。君はずっとここに居るんだから。  この先もずっと、……なるべく少しでも長く、暖かな君に触れていられる様に。  あきとは深く眠っている。一途に僕を信用して。  すぐにも彼が加わる筈だった秘密の場所に、今僕は立っている。  地下に、それはある。そこそこの財産を遺して亡くなった祖父と、愛情の替わりにいつも大金だけを置いてくれていた、突然の交通事故で亡くなった両親、ビジネスライクに線を引いた、時給分の関わりしか持ってこなかったお手伝いさん達に、僕は感謝する。  普通なら成長と共に歯止めを掛けてくれる事になる干渉を、僕は一度も誰からもされた事がない。隠す必要もなく止められもしなかった異常な歪んだ欲望に、常識的で良心的な是正が成される事はなかった。だから、募る思いのままに、僕はコレクションを増やしていった。  ターゲットを決めたらまず相手の行動パターンを把握し、計画的に暗がりで後ろから襲いかかり、相手の体を宅急便の段ボールの中に隠し入れて台車で運び、家に持ち帰る。日用品や調理の必要のない食事などを通販で頼む僕の家には段ボールが溢れているし、そういう届け物を運ぶ姿はいつもの光景として映る筈だ。郊外の、辺鄙な僕の家をもし誰かが見ていたとして、の話。  さて、無事家に運び込んだ獲物は、充分に体を反応を楽しんで、殺し、吟味していたその持ち主に相応しい飾り方にディスプレイする。ただそれだけだ。  水中に漂わせてこそ映える者。  吸血鬼の衣装で棺桶に納めた姿こそ威風堂々とする者。  僅かな布をしか纏わせず十字架に張り付けにしてこそ神々しさを増す者。  二人で殺し合う形こそが互いを引き立てる者。  首から下を切り落とした事でより端整な顔立ちが際立つ者。  病室に見立てた空間で本物の人工呼吸器を置き、見よう見真似で開いた喉元にチューブを突っ込みそれらしく繋いだ、誰よりも病衣が似合う者。  略奪をイメージした藁小屋で男に捕らえられ床に引き倒された、恐怖にひきつる表情こそが最も美しく心を揺さぶる者。  ……他にも色々あるけれど。  部屋の中央、緑を敷き詰めたベッドの上で肌が見えなくなる位に草の蔓を巻き付け、色とりどりの花々を全身に散らした、柔らかく優しい表情で横たわる一体に、僕は近付く。一番のお気に入りを決めるなら、これだ。  最期迄泣いていた瞳は、今は薄く開かせてある。泣き声と耐える顔が抜群にそそった。 ……ちょっとあきとに似てる、と僕は思う。こちらは諦めに屈したけれど、向こうは憤慨に歯向かった。結果的に生と死を分けたのかも知れない強さ。  ターゲットと決めた初めから、あきとはこの青年の隣に並べる事を決めていた。あきとにも、明るい花こそが似合うから。  控え目な冬の色の花々に彩られた青年――ゆうき。対するあきとには、大ぶりで派手な夏の花がいい。並んだ鮮やかな草花に埋もれた二人を想像すると、今すぐにでもあきとを殺してしまいたくなる。だけど、まだ彼には生きていて貰わなくてはならないのだ。  その甘い体を、最期の一滴迄味わい尽くしてあげたいから。  貪る程に、花開く。まだ自分からは動かないけれど、充分に僕を受け入れ僕に応える体が次第に大胆に開放的になっていくのは、余りにも心躍る嬉しさだ。  あきと、気がふれた様にまた、僕はその名を繰り返す。あきとが僕の名を呼んでくれる事は、まだないけれど。  軟禁される事を、自分から受け入れて。彼には守る何かはなかったのだろうか。  どこかへの連絡すら、している様子はない。充電が切れた携帯にはもう電源が入らないからだろう、そこら辺に転がして放ったらかしだ。  家族や友人は心配していないのだろうか? 却って僕の方が気になる位だ。突然の数日の不在は失踪の扱いを取られる筈だろうに……。  まさか、とは思うけど――彼は囮としてここに潜入してきたのかも知れない?  後ろ苦しい地下を持つ僕は、まずそう考えた。もしかしてあきとは警察関係者で、何かしらの僕の秘密の殺人の情報を得て、探ってこいと上司に送り込まれたスパイで、僕はまんまと奴等の罠に嵌められた側で、今頃数台のパトカーや機動隊に僕の屋敷は囲まれているのかも知れない――  疑い出すと、全てが怪しく思えてくる。愛してる、の一言だけで、こんな暴虐を赦す人間が居るだろうか? 彼に見えたほの昏い影、ちらつく二面性は、実は僕を騙している事を隠しきれずに滲み出てしまうものではないのか……?  疑惑は抑えきれない大きさに膨らみ、僕の手を止めさせた。行為の真っ最中で唐突にぴたりと動きをなくした僕に、少し遅れてあきとが気付いた。息が上がるのを堪える中、不審な顔で僕を見上げている。  相手のどんな態度も見逃すまいと、僕は神経を研ぎ澄ましている。動きは止まってもまだ僕に挿入されたままで、あきとには動きようがない。戸惑った瞳でただ僕を見つめている。  そんな状況で僕が無言なのに、彼は耐えられなかったらしい。彼は余り忍耐強い方じゃない、接してすぐに分かった事だけど。 「どうかしたのか?」  そうして、真っ直ぐに聞いてくる。どんな言葉も誘い水かも知れない、疑う僕は答えない。より近くに僕を見ようとでもしたのか、あきとは上半身を起こそうとして、自分の動きが繋がったままの箇所に走らせた刺激に、あっと身を竦める。  こんなのも、演技なのかも知れないのだ――だけど実際のところ駆け引きなんていうものに無縁な僕には、それすらも嘘か本当か分からない。不利だ、と僕は思って。  単刀直入が売りならば、その設定を貫いてみせろ……挑戦的な気になって、僕は口を開いた。 「何故、囚われる気になった?」  何を聞かれたのか分からない、と言った顔をして。ぽかんとしたのはけれども一瞬、ああ、と破顔して、すぐにあきとは言葉を返した。 「寂しかったんだろ? 顔に書いてあったぜ。おれもさ、すがられちゃ断れるタイプじゃねえしさ」  あっけらかんと答える。寂しそうに見えた、だって? 僕が?  同情……? 今は問題にすべき部分じゃないそこに、僕は引っ掛かってしまう。不意に声音を低く落として、あきとは続けた。 「おれさ、家族次々に亡くしてさ。ひとりぼっちなんだよ。……お前もひとりなんだろ? こんな広い家でさ」  すっと手が挙がる。僕の冷えきった頬を暖かく染め変える、あきとの手。 「傷のなめ合いみてえの、おれ嫌いなんだよ。だから、そんなつもりじゃねえ。……いいじゃん、お前が呼んで、おれが呼ばれて。どっちも嫌じゃなく収まるんならさ、オッケーじゃん」  にっ、と笑う。恐ろしく理解し難い、随分と大雑把な結論じゃないか、それは……唖然とする僕の頬を両手で挟んでいたあきとは、ぐりぐりと手の平を動かして僕の顔を歪ませてくれて、つんけんした口調を装って言ってきた。 「おれ、同情とかするヤツじゃねえからな。お前のこと、ひとりで可哀想とか思ったわけじゃねえ。そういうんじゃねえんだ。おれがお前に惹かれたのは――って、や、ウソ、今のウソな!! 聞かなかったことにしろ!!」  瞬時に耳迄赤くして、真っ直ぐな事しか口に出来ないらしいその人は、照れ隠しに変えるには凶暴な台詞を吐いてくれた。 「ってかさ、今聞くことかよ!? 聞くんだったら抜け、やりてえんだったら聞くな!! 噛みちぎんぞマジでっ!!」  くすっ、と僕は笑ってしまう。結局ははぐらかされた様な形になってしまったけれど……、疑った自分が恥ずかしく思える程に、あきとには裏がなかった、と言う事だけは分かった。  流れ込んできた、優しい温もり。言葉を誤魔化す事の出来ない純真さ。信じられる。  信じたい、気持ちが勝るからだろうか。ふいと顔をあさっての方に向けて、拗ねた態度を隠しもしない心から愛しいひとに、僕は顔を近付ける。  強情に力の入る唇を優しく捕まえて、僕は――そしてまた、のめり込んでいく……。

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