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第2話 キスってなに?
――ピコン。
メッセージアプリRINNEの着信音で目が覚めた。世の中の家族や恋人たちはクリスマスの予定を立てるのに忙しくって、俺になんかは構ってくれない。だからまず、誰からだろうと不思議に思う。
いつものようにお昼寝していた別棟のセツのベッドの中で、伸びをしたついでに枕元のスマホを握る。
研究所で獣人を創って売っている小鳥遊財閥の中では俺たちは『売れ残り』、または『実験体』で、スマホを持つことは認められていてもパスワードをかけてプライベートを持つことは禁じられていた。
獣人を連れ歩いて、この遺伝子操作された美しさを他人に見せびらかして優越感に浸るのがお金持ちの間で流行ったのは昔のことで、今は働かされる獣人が多いみたい。
俺は幸運にも買い手がつかずに今も、『ショーケース』と呼ばれる獣人たちが住む離れで毎日のんびり暮らしてる。
ちょっとボーッとしてたけど、メッセージの相手がセツだと分かると、俺はその場で小さくジャンプして喜びを爆発させた。
セツ! セツからだ! クリスマス商戦でしばらく忙しいって言ってたのに。
▶明日、会える?
ビックリして、光速で返事を返す。
◁えっ、明日? お屋敷で、立派なクリスマスパーティがあるんじゃないの?
▶ぼくは正直……歓迎されてはいないんだ。
日本で一番のお金持ち、小鳥遊財閥の四番目の男の子なのに、そんなことってあるんだろうか?
素直にその思いを伝えようとするけど、俺が発信するより早く、セツのメッセージが着信した。
▶明日はお腹の調子が悪いからって、すぐにパーティを抜け出して離れに行くよ。ショーケースに。
◁えっ、セツおなか大丈夫!?
ベッドの上で正座してスマホを顔の前まで持ち上げて、お行儀よく画面を見詰めていたら、大笑いする猫のスタンプがポンと現われた。
▶大丈夫だよ。それは言い訳だから。
◁よかったあああ。
ホッとしたのも束の間、また漠然とした不安がわき上がる。
ショーケースが、お喋りなメイドさんたちの間で『檻』だと言われていることを知ってる。小鳥遊のひとは、誰も足を踏み入れたことのない。獣人と、その世話をする下々しか居ない檻。
そんなところに、セツが来るの? クリスマスに?
また発信する前に、着信した。
▶午後八時半にはそっちに行くから、待ってて。ターキーレッグの一本か二本はくすねていくかも。
▶じゃ、ごめん。まだ仕事だから、明日ね。
「あ……」
セツは凄く忙しいから、『明日ね』と言ったら本当に明日まで既読はつかない。
嬉しい気持ちを伝えられなくてちょっと残念だったけど、俺は厳かに目をつむって、そっとセツの『明日ね』に口をつけた。それがキスっていう行為なのは知ってたけど、二歳の俺にはまだそれがどんな気持ちなのか、自分で自分が分かってない。
思い切って……明日セツに訊いてみようか? キスってどんな気持ちなの? って。
セツは賢いから、きっと俺でも分かるように、優しく教えてくれると思うんだ。
* * *
翌日、十二月二十四日。今日が『クリスマスイヴ』っていう特別な日なのは知ってたけど、その日を誰かと過ごしたことはなかったから、実はよく分かっていなかった。
ショーケースでは、クリスマスだろうが誕生日だろうが、みんなでお祝いをすることはない。
セツだけが個人的に、別棟のあの部屋で、時々夕食を作ってくれた。誕生日も、当日ではないけど一歳と二歳をお祝いしてくれた。
午後、八時、二十九分。俺は部屋の掛け時計とにらめっこしながら、シングルベッドの上にお尻と内ももををぺたんと着いて、今か今かと待っていた。
――コンコンコン。
午後八時半、ジャスト。小さなノックの音がした。俺は跳び上がって、もどかしく三メートルの距離を駆け、ドアを開ける。
いたずらっ子みたいな笑顔のセツが素早く滑り込んできて、後ろ手にそうっとドアを閉めた。
はち切れそうなほど嬉しくて、歓迎の声を上げようと息を大きく吸い込んだら、シッとセツの長い人差し指が俺の唇に当てられる。顔が少し近付いて、吐息で囁いた。
「ズルして君に会いに来たんだ。大きな声は出さないで」
俺は一気に緊張して、唇を噛んでぶんぶんとただ頷く。
セツが笑った。目を細めて笑う、俺の好きなセツの笑顔。
「声は出していいんだよ。大きな声じゃなければね」
「セツ!」
俺はセツに飛び付いた。
「会いに来てくれてありがとー!」
「うわっ」
ぴったりくっつきたくて、ベッドの上に押し倒す。別棟のキングサイズじゃなくてシングルベッドだから窮屈だけど、望み通りきゅうきゅうにくっつけて俺は満足だ。
間近でセツの顔を見下ろす。よっぽど急いで来たのか、唇がリップグロスでも塗ったみたいに食事の油で艶やかに光っていた。
これは、スモークターキーの香りだ。お肉の好きな俺は、思わずペロリとそこを舐めた。美味しい!
「こら」
だけどふと、昨日の疑問を思い出してぽつりと尋ねる。
「セツ。これって、キス? 俺、セツを見るとキスっていうのをしたくなるんだ。キスってなに?」
「……ベンジー」
「セツは賢いから、教えて貰えるでしょ?」
てらてら光る唇から言葉が出るのを待ったけど、言葉の代わりにうなじにセツの手がかかった。ゆっくりと、だけどいつもお上品なセツにしてはワイルドに、噛み付くように唇が合わされた。
分からない。分からない。だけどこれがキスなんだっていうのは分かる。
舌が自然と蠢いて、荒い吐息と共に絡め合う。キスって、美味しいし気持ちいい。
でも何処か頭の片隅では冷静で、怪我をさせないように気を付けて犬歯で肉厚の舌を食むと、驚くほどビクン!とセツは硬直して仰け反った。
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