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第17話

「……どけ」 薫が下りるのと入れ違いに上体を起こし、覚束ない足取りで室内を突っ切っていく。 「どこへ?」 「シャワー。一日歩き回って汗かいた」 壁伝いに歩む背中を追えば、浴室のドアの前で通せんぼされた。 「付いてくんな。うぜえ」 袖口のボタンを外す。 「覗くなよ、絶対」 尖った牽制に気分を害し、不承不承引き下がる。 「泣き付いたって知りませんから」 「上等」 ややあって籠もった水音が聞こえてきた。仕方なくベッドに取って返し、遊輔のぬくもりが残るシーツを撫ぜ、ささくれた気を紛らわす。未練たらしい行為に自嘲の笑みを浮かべ、先ほどまで遊輔が寝ていた場所に仰向け、瞼を下ろす。 「……煙草くさい」 気怠く寝返りを打ち、残り香を求めてシーツに包まる。浴室からは絶え間なく水音が響いていた。シャワーを浴びる遊輔を思い描き、漠然とした不安にいや増す自己嫌悪に溺れる。 「はあ……」 両目に片腕を敷いて嘆息。あんなことするんじゃなかったと悔いが募る一方、復讐心に似て残忍な衝動が疼く。 実際の所、薫はとても欲張りだ。こうしてる今だって遊輔が欲しくてたまらない、本当は滅茶苦茶に抱き潰したい。 憧れの人の痴態を暴き立て身も心も支配したい欲に渇き、かすかに響く水音に悶々とする。 ゲスい妄想を振り切るように起き上がり、ワードローブの扉を開け、背広のポケットから箱とライターを取り出す。 瞼の裏の残像をまね、静かに煙草を摘まむ。 それを唇の中心に固定し、ライターのスイッチを弾き、オレンジの熱源で穂先を炙る。 脳裏に過ぎる遊輔の面影、無造作にフィルターをいじる指、俗っぽい色気を感じさせる手。斜に構えた顔の角度や窄めた唇、倦んだ伏し目まで鮮明に思い出す。 一口目は啄むように浅く、二口目はやや深く。 「ごほっ」 盛大に噎せた。反射的に身を丸め、涙目で咳き込む。 嗅覚と味覚が鈍って仕事に障りが出るのを厭い、刺激物の摂取は避けてきた。遊輔が捨てた吸い殻に出来心で口付けたのを除けば、まともに喫うのは五年ぶり。 遊輔には噛み癖があり、ストローや煙草の先端は必ずと言っていいほど噛み潰す。灰皿の吸い殻には歯型が穿たれ、点線の目印に沿って唇を重ねることができた。 『煙草の喫い方に正解とかあるんですか?』 『火ィ点けんのはこっち側。ストローに見立てりゃわかりやすいか。最初は短く力強く、ふいごみてえに息吹き込んで酸素を燃焼させる。初っ端一気に吸い込んだら噎せっから気を付けろ、何回か分けて馴染ませんのがコツ』 『持ち方は?』 『好きにしろよ。俺はヤンキー持ち』 『昔の癖ですか』 『ご名答』 人さし指と中指の付け根に挟むのが遊輔の流儀。ほんの少しだけ迷い、人さし指と中指の先に持ち替える。荒れた唇の感触をまざまざ反芻し、口内に煙を溜め、肺に落として燻らす。吐き気を催す煙たさとまずさを噛み締め、ベッドの側面に凭れる。 湊の逮捕からこちら、元恋人の悪癖に懲りて喫煙者とは付き合ってこなかった。家族はもとより喫わない、父は母の妊娠を機にやめたと聞いている。 例外は遊輔だけ。 遊輔の相棒になって、一緒に暮らし始めて、初めて煙草の匂いも悪くないと思えた。 当て付け?自罰?その両方。右手人さし指と中指に吸いさしを預け、欲求不満をごまかす。 高校の頃、一度だけ煙草を買った。私服に着替えてコンビニに寄り、遊輔が持っていた箱と同じ銘柄を選んだ。深夜帯の怠惰なバイトは身分証の提示すら求めず、それは思いのほかあっさり手に入った。 帰り道、そっと咥えてみた。その場に不在の遊輔の動作をトレースし、密やかな高揚感と後ろめたさを味わった。帰宅後は部屋で火を点け、燃え尽きるまで三角座りで眺めた。一日一本、毎晩燃やして見入った。最後の一本は箱にしまってとっておいた。 匂いが知りたくて。気持ちが知りたくて。少しでも近付きたくて。 ただそれだけの為に喫えもしない煙草を買って、電気を消した部屋の中で火を灯し、思い出に焚べた。 粘着の謗りを免れない、湿度の高い執着に嫌気がさす。 純粋な尊敬の念がフラチな雑念に蝕まれ、じくじくと膿む罪悪感を蒸し返す。 上がるまでに喫わなきゃ。一本ネコババした位で怒るとは思わないが、バレたら気まずい。 苦くてまずい煙草をちびちびふかし、灰皿を引き寄せた瞬間に騒音が立った。出所はバスルーム。 「遊輔さん?」 灰皿に煙草を押し付け、名前を呼んで腰を浮かす。返事はない。 事故?転んだ?倒れてるんじゃ……約束を破る躊躇いを胸騒ぎが相殺し、安全確認の為にバスルームへ急ぐ。 突き当たりのドアを開け、脱衣所に踏み込む。まず目に留まるのは床に脱ぎ散らかされたシャツとズボンと下着。洗面台に投げ置かれた眼鏡の弦をきちんと畳み、曇りガラスを嵌めたスライドドアの内を見詰める。 単調なシャワーの音に混じり、切ない喘ぎが漏れてきた。 「……ッふ……」 ドアを細めに開け、息を殺して中を覗く。こちらに背中を向けた遊輔は気付かない。 ラブホの浴室は快適な広さを持ち、奥に大きな浴槽が鎮座していた。壁に固定されたフックにはノズルが掛かり、シャワーヘッドから降り注ぐ湯が裸の背を叩く。遊輔はプラスチックの台座に掛け、ぎこちなく手を動かしている。 「ぁ、うっ」 悪態をかき消すシャワーの音。プラスチックの台座に股を開いて腰掛け、しなだれた濡れ髪に表情を潜め、夢中で股間をしごく。 「……る」 何か言ってる。耳を澄ます。浴室に反響する水音が遠のき、予想外にはっきり声が届く。 「かおる、っは」 全裸になった遊輔が、薫の名前を呼びながらオナニーしている。 勃起した陰茎を左手で支え、右手で擦り立て、湯気に巻かれた素肌を悩ましく染めて。 薫の位置から見えるのは後ろ姿のみ。けれど十分煽情的だ。 出しっぱなしのシャワーは声を消す為。そばにはコーナーラックから落ちたローションボトルが倒れていた。 最前響いた音の正体に合点が行き、生唾を飲んで視線を戻す。 薫。薫。薫。 濛々と立ち込める湯気の中で吐息を荒げ、切実に繰り返す声が喉を潰す。苦痛の域まで快感を煮詰めて干上がる喘ぎと押し殺した呻き、不規則にわななく膝裏とヒク付く太腿、枝分かれした雫が伝い落ちる背筋。 引き締まった背中が丸まり、鞭打たれたみたいに痙攣し、ずぶ濡れのまま突っ伏す光景を窃視する。 「ッふ、ぁ、そこ」 雑にローションをぶち撒けてぐちゃぐちゃ捏ね回し、シャワーに温む肌のむず痒さや下っ腹に渦巻く熱にギュッと足指を窄め、力みすぎてすべった足でぱしゃんと水を蹴立て、顎から滴る雫が連続で粘膜に当たる刺激に震え、カウパーにぬかるむペニスを太らせていく。 「っ、もっと」 唾液が粘る口で、媚びて潤んだ声色で、自身の前立腺を開発した男を呼ぶ。乱暴にカランを捻り、冷水に切り替えたシャワーの下に上半身を突っ込み、無理矢理火照りを冷ます。 「!ッ、」 俯けた肩がびくんと跳ね、両手の指にドロリとした白濁が絡む。 「はぁ、はぁ」 自分がしたことが信じられず、さりとて手を汚す証拠を否定もできず、悔しさと情けなさのせめぎ合いの果てに愕然とする。 悪夢みたいな虚脱感と引かない熱に当てられ、プライドをズタズタにされた男がそこにいた。 「何回目ですか?」 服を脱いで踏み込むと同時、ぎょっとして振り返る。真ん中で分けた前髪が水分を含んで垂れ、少し印象が変わっていた。 「あっち行け」 「そんな状態で残していけません」 耳輪に唇を寄せる。 「俺の名前呼んでましたね」 「うぬぼれんなカス」 「ちゃんと聞いてました。薫、薫って何度も」 「盗聴は得意だもんな」 「俺のこと考えながらしてたんですか」 カランを閉めて水を止め、熱い湯を注ぐ。掴んだ肩はすっかり冷えきっていた。なのに陰茎は頭をもたげ、遊輔を追い詰めていく。 「ムラムラおさまんなくて……」 「わかりました。喋らないで」 ローションボトルのポンプを押し、手のひらで受けた液体を均す。粘り気が増した頃合を見て下肢をこじ開け、入念に後孔をほぐす。 「ん゛ッ、く」 壁に手を付いて上体を支える遊輔の背後に回り、ローションをアナルに塗す。 「指入れただけで感じてるんですか」 人さし指と中指の第二関節まで入れて抜き差しすれば、じれきった遊輔が急かす。 「も、いい、とっとと突っ込め!」 「駄目ですよちゃんとしなきゃ。こっちは触ってないでしょ?」 こりずに振り返ろうとする後頭部を押さえ込み、ローションを足した手で窄まりを探り、前立腺のしこりを掠めて拡張していく。 「名前呼びながらイくなんて……俺のセックス、そんなに良かったですか」 抜き差しする指を三本に増やす。ローションを吸収した襞は根元まで指を咥え込んで離さず、括約筋が収縮する。

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