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第18話

「っ、は、早く」 シャワーの音が耳元で響く。目の前には口半開きのだらしない顔、身も心も蕩け切った遊輔が夢中で求めてくる。粘り気のあるローションが透明な糸を引いて指と指を繋ぎ、手から垂れ落ちていく。 「ちゃんと慣らさなきゃ痛いですよ、女性と違って自然に濡れないんだから」 薫は性急なやり方を好まない、普段はローションで十分慣らしてから挿入する。 「わざと、か?」 弱々しい吐息に紛れて消えそうな、疑問形の語尾に眉を上げる。 「心外」 気の毒な遊輔はどこもかしこも敏感になっている。カクテルに混ぜられたドラッグのせいだ、きっと。全身の皮膚と粘膜が性感帯に作り替えられ、少しの刺激で足腰が萎える。 もともと痛みに強く快楽に弱い体質を差し引くにしても、効きすぎて心配になる。 「この手のクスリ本当に初めてなんですか」 「ヤクに手ェ出したことなんかねえ」 「風邪の時も市販薬飲むの嫌がりましたね」 「誰がひかせた誰が」 数秒の沈黙を挟み、よそよそしく目を逸らす。 「……中学の先輩が咳止めシロップのやりすぎで病院送りんなって」 咳止めシロップに含まれるジヒドロコデインはモルヒネの仲間で、家庭内で手軽に摂取できるドラッグとして知られている。「楽に死ねる」「気持ちよくなれる」などの体験談がネットに出回り、若者の乱用が深刻化しているそうだ。遊輔の身近な人間も中毒者だった。 「それで薬と病院苦手だったんですか。全然免疫ないんですね」 「金持ちの坊ボンにゃ想像できねえだろ」 「遊輔さんだって……のこと、わからないでしょ」 わからないからわかろうとした、死に物狂いで近付こうとした、その動機まで否定させるものか。シャワーの音が空隙を満たし、湯気の靄が視界を包み隠す。 「あんだけ来んなって言ったのに、ホント約束守んねえよな」 「大きい音立てるから」 「手伝いはいらねえ」 「俺がしたいんです」 「座薬以下の分際で」 「遊輔さんの処女切った座薬と比べられるなら本望です」 タイルを叩く水音に被さり、お互いの声が籠もって響く。 「興奮してるのバレると恥ずかしいから、隠れて一人でやってたんですか」 「…………」 「服脱げって言えなくて、俺が来るの待ってたんですか」 「んなわけ」 キスで言葉を遮る。至近距離で熱っぽい視線を交わす。 「……裸でするの初めてじゃないですか?」 「……かもな」 セックスの時、遊輔は裸になるのを嫌がる。薫も無理に脱がさずにいた。大抵は服を着たまま、ズボンと下着だけずらし事に及ぶ。 早く抱きたい欲求と一片の羞恥心がまざった結果、シャツは脱ぐかはだけるかしてカウチで交わるのが習慣になっていた。リビングで脱ぎ散らかすのは却って手間だ。 翻り、目の前の遊輔は弱々しく見える。背広とシャツを脱ぎ去り、全身しとどに濡れ、眼鏡も掛けず俯いている。 殆ど筋肉が付かない体質の薫と比べ、遊輔の体は引き締まっていた。腹筋は固くて弾力がある。おもむろに手を握り、バスタブの方へ連れていく。 「場所変えます」 さすがラブホというべきか、浴室のコーナーラックにはローションボトルが準備されていた。大きめのバスタブは二人用で、一緒に入っても身動きできる程度に広い。 シャワーヘッドをフックに掛け、直接注ぐ。みるみるバスタブの底に湯が溜まっていく。 「立ちバックキツいから。掛けて」 バスタブの縁に誘導し、渋々座ったのを確認後両足をこじ開ける。 「!ぁっ、」 前立腺のしこりを押した瞬間、低く呻いて前傾する。両手は縁を掴んだまま、目の前の薫に縋り付いてこない。赤黒く剥けた陰茎は完全に勃ち上がり、粘ったカウパーを分泌していた。 「やめ、も、ぅぐ」 「ローションでぬるぬるして全部入ってく」 胡桃サイズの前立腺を中指と人さし指の二本で揉み解し、そこに薬指を増やす。 根元まで沈めた指をじらすように引き抜き、すぐまた奥まで穿ち、収縮する直腸にローションを塗りこめていく。 「うっ、ぐ、ふ」 「俺のことは気にしないで。手、使っても構いません」 膝まで湯が溜まる。下半身を浸す。遊輔は右手を噛み、左手で縁を掴み、前立腺から込み上げる快感に耐えていた。 そろそろ限界近いはずだが、薫に見られながらオナニーする気はないようだ。 「噛まないで。痕になる」 「~~~~~~~~~!」 三本まとめた指を勢いよく引き抜く。滑った体を慌てて支え、注意深く縁に戻す。水位はさらに上昇し、既に腰まで届いていた。 「休憩します?」 答えはキス。薫の後頭部に手を回し、残りの手で抱き寄せ唇を塞ぐ。勢い余って前歯が当たり、新鮮な痛みが爆ぜる。顔を離した遊輔が憮然と睨む。 「煙草の味」 「貰いました」 「やった覚えねえぞ」 「……盗みました」 「手癖悪ィのはどっちだ」 「すいません」 「返せ」 「無茶な」 首の後ろに手が回る。器用に蠢く舌がタールとニコチンの溶けた唾を吸い上げ、啜り、歯の裏表をこそいで唇を柔くはむ。遊輔はキスが上手い。ずっと味わっていたくなる。 舌と舌が複雑に絡まって唾液が泡立ち、口内のわだかまりとセブンスターの後味を根こそぎ浚っていく。 貪欲に求められ、それを上回る貪欲さで求め返す。脳髄が痺れるような快感に恍惚とする。 一途な願いと裏腹に唇を離し、排水溝に向かって唾を吐く。 「挑発してます?」 「ぬるい前戯に飽きたからお留守の口を構ってやった」 張り付いた濡れ髪を透かし、切れ長の双眸が弧を描く。 「欲しかったんだろ。喜べ」 火照った頬に手を添え、脅しと憐れみを織り交ぜた、ふてぶてしい笑みをよこす。 「知ってんだぜ、吸い殻拾い食いしたの」 箍が外れた。 「~~~~~~~~~~~~~~~い゛っ」 「慣らしたでしょ」 バスタブを満たす湯が溢れ、渦巻きながら排水溝に流れ込む。 「手加減しません。煽ったのはそっちなんで」 熱い湯が盛大に波打って纏わり付く。挿入と同時に遊輔が低く呻き、白濁が飛び散る。 「入れた途端にイッちゃいましたね。そんなに待ち遠しかったんですか」 「やめ、ぁっ、揺すんな、ィったばっか」 休む間を与えず前立腺を突き、尿道に残った精液の残滓を搾り出す。掴む物を求めて泳ぐ手を捕まえ、自分の肩に掛ける。 「しっかり掴まって」 「っふ、ぁぐ、ぁっ」 既に数回射精したペニスはふやけ、鈴口に薄い汁を滲ませるのみ。承知の上で前立腺を狙い撃ち、ピストンの強弱とストロークの緩急を調整。絶頂の余波は体内にまで及び、抜き差しの都度肥え太るペニスを締め付ける。 「薫抜け、当たっ」 一回目の中イキ。 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」 「危ない」 落ちる寸前に受け止め、固く太いペニスで前立腺を挽き潰す。姿勢が変わった反動で鋭い快感が生じ、遊輔の手が肩口を搔きむしる。 「うっぁ、あっぁ、そこよせ、あっ、感じすぎてやば、ッぁ」 暴れる足を抱え、繋がったままバスタブに沈む。追加分の体積と等しい湯が溢れ出す。 「ぷは!」 乱暴にほどかれ雫が飛び散る。逃がさない。這いずる足を掴んで引き戻し、背中に押し被さって貫く。 「っ、熱、中まで」 縁を掴んで体を引き上げる相手を組み敷き、後ろから滅茶苦茶に突きまくる。 「げほげほっ!」 水面に突っ伏し、束の間溺れてから息を吹き返す。 「湯が、ぁふ、奥まで」 気道に入った水に苦しがってごほごほむせ、顔中の孔から体液を垂れ流す。 「ふっうぅっ、そこやめ、繋がったまんまじゃもたね、っ、ぐちゃぐちゃすん、な」 「びくびくうねって絡み付いてくる。お風呂エッチ気に入りました?」 ぱちゅんぱちゅん尻を打ち、赤いペニスを出し入れする。直腸に流入する湯を粘膜が吸収し、陰茎で塞いだ孔がぐぷぐぷ鳴り、中から体温を上げていく。 「あっ、とまんね、っあ゛ぁ、お前のでかっ」 上半身をシャワーに打たせ、下半身は揺れる湯に揉まれ、腰を揺すって喘ぐ遊輔。薫は止まらない。律動的な腰遣いをさらに速め、顔から首筋に至るまで口付け、一際強く抱き締める。 「はっ、は――――――」 「二回目」 胸の突起を摘まんで潰す。 「勃ってる」 根元をギュッと揉み絞り、芽吹いた先端をいじり倒す。中には薫自身が入ったまま、膨れ上がった存在を感じる。 「ぁっ、ぁっ、ぁ」 「三回目」 薫は止まらない。遊輔も止まらない。乳首を抓られた弾みに仰け反り、三度目のドライオーガズムを迎える。 「張り合いない。もっと口答えしてください」 からかいながらうなじを吸い立て、縮こまった股間を揉みくちゃにする。 「残弾尽きたか」 かれこれ三十分は入浴している。のぼせた体はぐったり弛緩し、抵抗の気力を失っていた。 「出ますよ。歩けます?」 手早くコックを閉めてシャワーを止め、果てた遊輔を伴い浴槽を跨ぐ。脱衣所のタオルで申し訳程度に体を拭き、パープルのネオンに染まるベッドに行く。 「眼鏡掛けさせろ」 「逃げるから駄目です」 「煙草くれ」 「あとであげます」 全裸で仰向けた遊輔を見下ろし、湿り気を含む髪を分け、耳の縁をなぞっていく。 「痕が残らなくてよかった」 観覧車で聞いた過去を回想し、両方の耳にキスをする。 「残ってたらどうだってんだ」 「お母さんの彼氏殺してました」 「冗談に聞こえねえ」 「本気です」 今の俺ならそれができる。 この人の代わりに、この人を虐げた奴等に仕返しすることが。 「名前教えてください。秒でクレカ番号と住所突き止めてやります」 「忘れちまった」 「嘘だ」 「覚えてたってしょうがねえもん」 遊輔の体には沢山の傷が散らばっていた。薫の滑らかな肌とは大違いだ。 「ピアス穴とおんなじ。塞がりゃ痛みも忘れる」 とぼける遊輔の足元に回り、小さく呟く。 「俺は覚えてます」 「初めてピアス開けたのは?」 「父の通夜の日です」 一呼吸おく。 「怖がりなんですよ、俺。痛いの嫌で……いざとなるとひびって、それまでイヤーカフ使ってて。ずっと興味はあったんですけど」 「それだけか」 「開けるなって言った人がいなくなった記念に」 父の通夜の当日、自由になった証にピアス穴を開けた。 ピアスは開ける部位によって意味が違い、薫が選んだのは最も初心者向けで痛みが少ないとされる耳たぶ……スタンダード・ロブだった。 「遊輔さんとお揃いならホッチキスの芯でもよかった」 痛みを分け合えるなら。半分持たせてもらえるなら。 「気持ち悪」 「言うと思いました」 「膿んだ?」 「少し。自分でピアッサー使ったから、結構血が出てびっくりしました」 「今度開けてやろうか」 意外な申し出に硬直。 「上手いんですか」 「ダチの頼みでよくやった」 「場所開けとかなきゃ」 あの日、薫は賭けた。 父が死んでから泣き通しだった母が、喪服代わりの学生服に着替えて隣に座った、息子のピアスに気付くかどうか賭けをした。 あの時耳に通したのがホッチキスの芯だったら、母さんは気付いてくれたかな。 「18Gでも痛かった。遊輔さん、よく頑張りましたね」 他の誰も言わないなら、俺がこの人を労わる。 遊輔はまだ起きない。風呂で無理させたのが祟り、怠そうに寝転んでいる。確かめるなら今だ。おもむろに足首を掴み、裸足の足裏を覗き込む。 そこには赤く丸い火傷の痕が並んでいた。どれも古いものだ。右足に六個左足に六個、合計十二個。 「これ、どうしたんですか」 風呂で足を引き戻す時、偶然見てしまった。セックスの間も靴下を脱がず、服を着ていたから見落としていた。 「お袋の彼氏」 「ホッチキスの人?」 「それとは別」 「男の趣味最低ですね」 「ご機嫌斜めだったんだろ。ハロワ帰りとかパチスロでスッたとか」 「クズですね」 同居から半年以上経過するのに何故知らずにいたのか、自分の鈍さに殺意を覚える。気付けなかった理由はとても簡単で、同情されたくない遊輔が隠してきたのだ。 「足の裏でツイてた。運動靴や上履きや履いちまえばバレねえし、靴下脱がなきゃごまかせる」 「だって……痛いでしょ」 「まあ」 「痛かったでしょ」 べこべこにへこんだランドセルを背負った、小学生の遊輔を想像する。徒歩で登下校した通学路。火脹れが破れ、靴下は真っ赤に染まったはず。靴敷だって汚れたはず。 なんで誰も気付かなかったんだ? 俺だったら。 俺がそこにいたら。 俺がこの人より早く産まれていたら、せめて同い年だったら、走って走って助けに行けたのに。 認めるのは悔しいが、パソコンでできることには限界がある。 「……学校、サボりませんでした?」 「家にいるよかマシ。給食もでる」 「ランドセル……重くありませんでした?」 「置き勉してたからそんなでも」 右足に手を添えて指を含む。ぎょっとして跳ね起きた遊輔を強く制す。 「動かないで」 誠意と愛情を証立てるように一本一本唇を当て、裸足に散らばる火傷にキスしていく。 踵と土踏まずに口付け、愛しむように目を瞑り、秘された足裏に頬ずり。 「汚えぞ」 「風呂上がりなのに」 「じゃなくて」 「感じてるんですか?」 「ばっ」 右が終わったら左に移り、啄む。遊輔は肘を立て、くすぐったさを堪えている。 「ここにキスしたの、俺が初めてですよね」 「あ~~~~~~そうだよ」 「足の裏の火傷知ってる人は」 「五人目」 「仕方ない。譲ります」 足をシーツに置き、膝這いで元の位置に戻り、遊輔の目を見詰めたまま一個一個ピアスを外していく。 「全部見せます」 そうしなければ釣り合いがとれない。一個一個献身を証立てるように上から取っていき、最後に辿り着いた耳朶を指す。 「父の通夜の日に開けたピアスです」 「さわっていいか」 「どうぞ」 距離感が狂って空振り、視力の低下した裸眼に舌打ち。 薫は苦笑いを浮かべ、宙を滑った手を掴み、自分の耳たぶへ導いていく。 ためらいがちに指先が触れたのを確めたのち、厳粛な表情で最後のピアスを外し、空虚な孔をさらす。 「これが俺です」 再び指をとって導き、耳輪と軟骨に並ぶ孔をなぞらせる。 「穴ぼこだらけでお揃いだな」 遊輔は右手と足裏、薫は耳。場所は違えど穴を穿たれ、そこから人として大事な何かが零れ続けている。 「ねえ遊輔さん、俺のピアス増えたら気付いてくれますか」 視界が曇る。 「俺は……貴方にこんなことした奴、全員ぶち殺したいですよ」 社会的に抹殺するだけじゃ足らない。壊れるまで殴り続けて、全身に煙草を押し付けて、直接息の音を止めたい。俺はろくでもない人殺しだから、どうせ殺すなら好きな人の― 「お前の手が折れたら、誰が俺にただ酒飲ませるんだよ」 嘲りの声が思考を断ち切り、額の中心に痛みが炸裂する。デコピンされたと鉄砲に見立てた指の形で察し、瞬く。

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