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後日談 セルフレアリティ

「で、俺のターンだ」 開口一番わけがわからない。遊輔が右手に持ったドライヤーで謎が解けた。 「先日の仕返し、もといお返しってわけですか」 「わざと間違えたろ」 「そんなことより見てください窓の外、冬晴れのいいお天気ですよ、ブルーキュラソーのソーダ割りみたいにカラッと澄んだ青。遊輔さんには何に見えます?」 路上ではちょうど駐車違反の取り締まりをしており、急いで戻って来た運転手が警官に抗議していた。そのすぐ横を明らかに法定速度をオーバーした銀色のバイクが掠め去り、車体の塗装を削られた運転手が「あっち先逮捕しろよ!」と、我関さず切符を処理する警官にキレ散らかす。なお声は届かないため、台詞は雰囲気から意訳した。 遥か眼下のパントマイムを退屈げに眺めていた遊輔が、ドライヤーの先端でジグザグに宙を切る。 「パチンコ台。釘と釘の間を銀玉が行ったり来たり、しまいにゃ向こうに弾かれてホールインワン」 「性格出てますね」 「るっせ」 「電柱を釘に見立てる感性が生粋のギャンブル狂ぽくて素敵です。それはそれとして今日もスッたんですか、タワマン仮住まいにしてパチンコ通いがやめられないとは悲しい性だ」 「競艇競馬雀荘も追加しとけ」 「先週は一日連れ回されて貴重な休みが潰れました。俺がビギナーズラック当てるたびへそ曲げて食い下がるの、本当の本当に大人げないですよ」 「ありゃお前がやってみたいって駄々こねっから」 「確かに言いましたけどね、普段遊輔さんが遊んでる所に連れてってほしいって。特に高田馬場の雀荘は衝撃でした、イマドキ全面禁煙じゃないお店が普通に営業してるなんて昭和にタイムスリップした気分が味わえました」 「そーやってブチブチしょうもねえ文句たれんなら次から平成生まれ出禁な」 「遊輔さんだって平成生まれでしょ一応。そもそも経営者じゃないのにお客を出禁にする権限ありません、残念でした」 「クリーンが売りの雀荘は十八歳未満お断りなんだよ、俺は中坊の頃から潜り込んでっけど」 「健康に良い煙草みたいな言葉ですね。とりあえずヤニ臭い壁紙張り替えたほうがいいと思いますけど、今の子は匂いや汚れに敏感なんで若年層取り込めません」 ギャンブルで負けが込むと遊輔は態度が悪くなる。こないだ出掛けた時は大穴狙いのレースで惨敗し、無言で煙草の自販機を蹴っていた。 薫は他人のふりをした。 もとい、他人のふりをしたくなるのを辛うじて自制して止めた所「煙草代スッちまったんだからしょうがねえだろ!」と凄い剣幕で逆ギレされた。やっぱり他人のふりをすればよかった。 「蹴りすぎて靴の底抜けたのは正直面白かったです」 「ワンチャン落ちてこねーかなって」 「テレビも叩けば直ると思ってます?」 「昭和生まれか」 ちなみに自販機はノーダメだった。三十路の至り改め若気の至りを思い出した遊輔がしみじみ呟く。 「最近のヤツは頑丈に出来てんだなって感心したぜ、地元じゃ自販機のベコベコ具合で治安の悪さ判断したもんだが」 「どうせドンキの安物でしょ、だから耐久力で負けるんですよ」 「イチキュッパ馬鹿にすんな」 首に巻いたタオルで濡れ髪をかき混ぜ、非難がましいジト目で遊輔の顔と手を見比べる。 「洗面所にないんで探しちゃいました。ペンをドライヤーに持ち替えて転職されるご予定でも?ごく一般的な美容師の常識として接客中は手袋脱がなきゃ失礼に当たりますが」 痛烈にして辛辣な皮肉。が、この程度で引き下がるようなタマではない。生憎毒舌には慣れている。 薫の有り難いご指摘を受けるやドライヤーを小脇に挟み、ごくゆっくりと気取った仕草で手袋を外し、肩口に挙げた手をヒラヒラ翻す。 「満足?」 手袋は纏めてズボンのポケットに突っ込んだ。タオルで髪の毛を拭いていた薫が微妙な表情で目を逸らす。 「俺は……いいですよそういうの。恥ずかしい」 「おい待てそりゃねーだろ自分はさんざん好き勝手やっといて今さら」 「あれは濡れたまんまじゃ風邪ひいちゃいそうで心配だったから」 「だ~か~らあ、今度はこっちがしてやるって言ってんの」 「自分でやりますんでおかまいなく」 薫がにっこり微笑む。圧の強さに気後れする。当てが外れた遊輔はドライヤーを持て余し、手持無沙汰にオンオフスイッチを切り替える。 「何がそんな嫌なんだ」 「わかりませんか」 への字に曲がった遊輔の口元、吸い口に噛み癖が付いた咥え煙草を指す。 「煙草喫いながら人の髪乾かそうって発想がまずおかしいって気付いてください、手袋の着脱の是非の前に真っ先に直すべきところでしょ、順番が狂ってる」 「お前が脱げって言ったんじゃん」 「だからそれはマナーで」 「ぎゃあぎゃあ神経質にうるせえな、距離取って乾かしゃ問題ねえだろ」 「下に灰落としたり地肌火傷したら」 「口より手ェ動かすから心配ご無用」 「信用できない」 「注文の多いバーテン様だな」 頑なに拒み通す薫にため息まじりで譲歩する。歩いて行った先のローテブルには昨日飲んだビールの空き缶が放置されていた。隣には横浜土産のパンダ四十八手マグカップが置かれ、飲みかけのコーヒーがすっかり冷め切っている。 二日酔いの鎮痛剤を兼ねてがぶ飲みしたのか。アルコールをカフェインで相殺せんとする、依存症末期の発想はどうなのか。 空き缶の飲み口に煙草を投入し、遊輔がドヤ顔で宣言する。 「捨てた」 缶の底でジュッと音がする。 「灰皿使ってください」 遂に薫は降参した。これ以上ごねてもこじれるだけだ。 「じゃあお願いします」 「座れ」 前回と同じ場所で逆位置。行儀よく膝を揃えてソファーに掛けてみたものの、どうにも落ち着かない。首に巻いたタオルでしきりに頬を擦り、視線を頼りなく揺らす。 背後に回った遊輔が満を持してスイッチを入れ、後ろ髪に温風を通していく。思いのほか手慣れている。 「上手いですね」 「だろ?」 「彼女さんたちに鍛えられましたか」 「無茶言って置いてもらってんだからそのぶんせっせとサービスしねえと」 「マメですね。髪に触られるの苦手で今まで乾かしてもらったことないって言ってませんでしたっけ」  「やるのは別な」 「女性の洗い髪がお好きなんですね」 「嫌いな奴少数派だろ、風呂上がりの女は色っぽくていい匂いがする」 色んな女の部屋を渡り歩いてきた男の言葉だけあって説得力がある。 「ドライヤーしてあげてる間どんなこと言ったり言われたりしました?」 「物を書くより女に媚びる方が向いてる手だとさ」 うっそりと自嘲の笑みを吐く気配。顔は見えないものの、今浮かべている表情は想像できる。 「……例の女社長ですか」 「当たり。よくわかったな」 「話聞いてれば嫌でもわかります。女性を見る目がないですね」 「手厳しいね」 「言われっぱなしで引っ込んだんですか?らしくない」 「あの人にゃ頭上がんねえから。ぶっちゃけ根っこの所を言い当てられた気がしたよ、実際このザマじゃ否定はできねえよな」 「他にも言われたんですか」 「ペンだこがみっともねえとか……よく覚えてねえ、昔の話だ」 右に左に持ち替えたドライヤーを近すぎず遠すぎず薫の髪に当て、全体に回り込んで水分を飛ばしていく。 「野郎は勝手が違えかなって思ったけど、ドライヤー掛けんのはやっぱ左手がやりやすい。細けえ作業は右向き」 指の関節と長さのバランスが絶妙な手が、ずっとずっと憧れていた人の手が、今この瞬間自分に触れていることが信じられない。 手袋を取ってもらってよかった。 「俺がその場にいたら、数年掛けて遊輔さんの切り抜き集めたスクラップブックを顔面に叩き付けてやりました」 引かれるのを危惧して丁寧に殺意を折り畳み、マイルドな表現で濁しておく。 遊輔は本当に女を見る目がない。他人の弱味は直感で見抜けるくせに、自分の事はてんで見えてない。 男だろうが女だろうがこの人のよさがわからない奴に遊輔を渡したくない、ましてやこの人の書く物の凄さを理解できない人間に馬鹿になどさせるものか。 遊輔さんは俺の恩人だ。 「俺は遊輔さんの手、かっこいいと思ってます」 あの記事が救ってくれた。 髪を直す手の動きが急に鈍くなる。訝しんで首を捻りかけ、当の本人にぶっきらぼうに言われた。 「見んな」 「照れてます?」 「目に風当たっちゃ危ねー、視力検査の滑走路のトラウマフラッシュバックすんぞ」 苦しい言い訳だ。こみ上げる笑いに合わせて肩を揺すれば、「ちゃんと前向いとけ」と頭を掴んで固定された。 注文が多い専属美容師が、薫の髪を一房すくってもてあそぶ。代謝が活発なキューティクルには若さが漲っていた。 「髪型にこだわりアリ派?行き付けの美容室の話してたよな」 「最近は銀座のダフネってお店にお世話になってます。代官山にピエタって姉妹店もあって」 「そこ雑誌に載ってたな。店長がイタリア帰りのカリスマ美容師で、芸能人やインフルエンサーが大勢通ってるとかなんとかセレブ御用達って触れ込みで」 「普通の人もいますよ全然」 「髪切りに行くのにわざわざ銀座出んのか、近場で済ませりゃいいじゃんめんどくせー。担当とかいたりすんの」 「指名してます、相性や仕上がりの良し悪しはどうしてもありますから。今の人はバーの飲み歩きが趣味で話が合って楽しいんです、カットの技術も申し分ないしシャンプーもすごく上手くて」 「ふーん。男?女?」 「気にしますか」 「別に。聞いてみただけ」 どっちが正解か判じかねてとぼければ、髪をいじる手付きが少しだけ荒くなり、頭皮に吹き付ける風の勢いが強まっていく。 ふいに悪戯心が疼き、遊輔を試したくなる。 「どっちなら安心しますか」 「どっちに転んでも妬けっかな」 耳のすぐ裏で囁かれた。予想外の答えに狼狽する薫の後ろ、遊輔が意地悪く笑い出す。一杯食わされた。倍生きてるぶん駆け引きは一枚上手。 「チップ弾んでくれ」 「リップサービスは求めてません。手がお留守ですよ」 「ハイハイ」 馴れ合いじみた応酬に落胆の本音を隠す。遊輔がお門違いな嫉妬をするはずないとわかっていたのに、あり得ない期待をしてしまった軽率さが恥ずかしい。 雑念を振り払って目を閉じ、遊輔の手の動きと感触だけに感覚を集中させる。以前は荒れていたが、薫が贈った手袋をするようになってから肌が癒えてきた。 自惚れかな。 「前も言いましたけどよければ紹介します、一緒に切りに行きませんか」 「千円カットでじゅうぶん」 すげなく断られた。諦めずに食い下がる。 「絶対かっこよくなるのにもったいない。マスターや常連さんもよく言ってるけど、遊輔さんて見た目悪くない割に身嗜みで損するタイプですよね」 「えっ、裏でんなこと言われてんの」 まずい、本気でショックを受けてる。慌ててフォローする。 「俺はその着崩し好きですよ、ホストとインテリヤクザを足して割った結果どうにも割り切れないオーラが滲み出ちゃってるのが遊輔さんの個性だしやっぱり清潔感て大事……」 凄味を含んだ三白眼の圧に怯む。フォローになってない。 「すみません」 萎んで謝る薫の背後、むしゃくしゃした遊輔が唸りだす。 「あ~~煙草喫いて~~」 舌打ち。ニコチン切れの禁断症状のようだ。ドライヤーに左手を添え、右手で繰り返し梳かし付けるさまに苛立ちが覗く。 遊輔のファッションチェックで盛り上がった負い目に同情が合わさって、ローテーブルに投げ置かれた煙草の箱とライターを取る。訝しげな視線をよそにライターで火を点け、じっくり見せ付けるように煙草をふかす。 「おい……」 大量に吸い込んだ煙の苦しさにむせる。何やってんだと呆れる遊輔の方は見ないまま涙でぼやける目を瞬いて回復を待ち、自らの肩越しに煙草を翳す。 「どうぞ。手元と火元にはくれぐれも気を付けて」 「ん」 片手はドライヤー、片手は髪の直しで塞がっている。髪の間に風を送りながら遊輔が前傾し、薫が指に挟んだ煙草を唇でさらっていく。 間接キスを貰った。 歯型が移った。 見ないでもそれがわかる、瞼の裏にまざまざと思い描ける。 至福の吐息に乗って紫煙が拡散し、煙草の芯のように体の軸が熱を帯びていく。 ニコチン補給で現金にやる気回復し、ドライヤーによる乾燥と手櫛の二刀流をテキパキこなす。 ともすれば邪険でガサツな手付きがどうしようもなく心地よいのは、長年習慣付いた面倒見の良さと、惰性じみた愛情の残り滓がコーティングされてるから。 遊輔は母子家庭で育った。子供の頃はこうして親の髪を乾かしていたのかもしれない。何故か世話されてる光景は思い浮かばない。 それがとてもやるせなくて、ずっと忘れていた昔の事を思い出す。 「子供の頃はどうしてたんだよ。金持ちのガキ向けの店行ったのか、いい子にしてたらたまごっちくれる」 「小さい頃は父が切ってくれました。俺を膝に抱っこして、伸びた前髪を揃えてくれるんです」 「へえ」 「案外上手でしたよ。じっとしてなきゃ叱られました。パーツ単位でパソコンの分解組み立てもできたし、もとから手先が器用だったんでしょうね。母が携帯で動画撮ってたんでそっちも流出してるかもしれません」 「そっちも」にさりげなくアクセントを置いた意図を汲み、いっそ無関心なまでに平静を装って聞き流す遊輔。口より手を動かす約束をしっかり守っている。 父の膝の上でふざけていた幼い日、動画を撮りながら笑っていた母の残像を思い出す。今となっては追憶の中にしか存在せぬ手にくすぐったさとぬくもり、まどろみと安らぎだけを感じていられた頃が懐かしい。 実の息子に向ける庇護欲はだんだんと倒錯した劣情に取って代わり、徐々に物心が付き始める頃には動画を回し犯す加虐性が芽吹いて、父に媚びることを覚えてからは甘えることがなくなった。 遊輔の手は父とは別物だ。父の手は遊輔ほど荒れてないし乱暴でもなかったが、こっちの方がずっと好きだ。絶対に自分を傷付けないと確信できる手。 「父親似だなとは言わないんですね」 肯定されても否定されても惨めになる、ただの自虐でしかない独白。 危うげに接近した先端が襟足付近に仄かな熱をともす。かと思えばまた離れ、薄れる煙の弧を曳いて遠のいていく。 俺に触られるの嫌じゃありませんでしたかと聞いてみたい。でも聞けない。聞くのが怖い。もしそうだったら立ち直れない。俺はこの人にそれだけの事をしたし、嫌われて当たり前だ。本来こんなことしてもらえる立場じゃないんだ。 遊輔がドライヤーのスイッチを切って寝かせ、右手でひったくったカップの中身を飲み干す。続いてジュッと音が爆ぜ、カップの底で煙草を揉み消したのを察する。 固唾を飲んで気配を探る薫にのしかかり、両手でわしゃわしゃ髪の毛をかき回す。 「わぶッ何す」 「煙草一本分のサービス、起き抜けの自然な感じにヘアセット」 「せっかく手櫛で整えながらやってくれたのに最後の最後で滅茶苦茶じゃないですか」 身も蓋もないオチ。くだらなさすぎて笑えてきた。 遊輔の手から身をよじって逃げた拍子に肘が角に当たり、卓上に犇めく空き缶が次から次へ傾いで倒れ、ボニー&クライドが乗っ取ったブライダルカーの喧しさで雪崩れていく。 「あ~も~こんなに散らかして。ゴミ袋持ってこなきゃ、元を正せば遊輔さんが飲んだんですから集めるの手伝ってくださいよ」 早速腰を上げ回収に向かおうとした矢先、図ったようなタイミングで遊輔が手袋を落とす。 「「あ」」 反射的に手を伸ばす。その手が遊輔の手と触れ合い、お互い顔を見合わせる。 先に拾ったのは遊輔。無言のまま手袋を嵌め、タイトな革を馴染ませるべくグーパー開閉する。 「気に入りましたかそれ」 「聞くまでもねえだろ。今度はしたままやってやろうか」 「主語が抜けてますが何を」 「何でも」 詳細な描写は憚られる、過激な妄想が脳裏を駆け巡る。 思考停止状態で立ち尽くす薫の目の前、革手袋を嵌めた右手がだしぬけに頬を包む。 選びに選び抜いたフェティッシュな質感と、革を隔て顔をまさぐる指遣いにぞくぞくする。 浅ましく続きをねだる心を裏切り、じらし上手ではぐらかし上手な手が、未練を誘うように離れていく。 「あ~そうだ言い忘れてた。こないだ作ったやたらめったらキラキラしたカクテルあったろ、サクマドロップスの炭酸割り」 「コーカスレースですね。名付け親がうろ覚えはいかがなものかと」 「よくよく考えたんだけどさ、固形の飴玉入れちゃまずくね?まかり間違って喉でも詰まらせたらやべえじゃん、バリボリ噛み砕きゃ口ん中切れまくりで流血の惨事だし」 「まずくね?って遊輔さんが作ったのに今さらすぎじゃあ」 「あん時はしっとり目の雰囲気に流されちまって。誰かさんがえらくはしゃいでたし水さすのも悪ぃかなって後ろめたさが」 本当に何なんだこの人は。エピローグまで台無しにする気か。 「手ェ出せ」 度重なるノンデリ発言に憤慨しながらも、惚れた弱味に負けてしぶしぶ従えば、遊輔が背広の懐から出した袋の口を破き、中身を一粒摘まんで手の平におく。 薫はきょとんとする。 遊輔が早口に説明を付け足す。 「イギリス生まれのハリボーグミ、大人から子供まで大人気のゴールドベア。ドロップスの代わりにグミ入れたら炭酸で溶けてちょうどよくねえか、アレンジ案としてどうよ。コイツなら安心安全安牌、マスターのお墨付きばっちしで自信をもって店に出せる……薫?」 クマの形状をしたカラフルなグミを見下ろす薫の脳内では、インテリヤクザとホストを足して割ったような背広の着崩しの三十路男が、バイトの女の子に怪しまれながらコンビニでハリボーグミを会計するコントが繰り広げられていた。 「ぷっ」 堪え切れずとうとう吹き出す。眼鏡の奥の目に怪訝な色が浮かぶ。 「ちゃんと考えてくれてたんですね合作カクテルのこと」 「そりゃ……まあ。メニューに追加予定なら大事だろ安全性は、業界誌の埋め草にレビュー仕事が回ってくるかもだしよ。万一当たりゃあ溜まりに溜まったツケ見逃してもらえる」 「踏み倒す気満々じゃないですか」 「むずかしく考えんな、大人しくしてたご褒美だよご褒美」 「煙草の口直しに?」 「ガキは甘いもん好きって相場が決まってる」 全くこの人は。 いかにも面倒臭げに手を振って言い切る遊輔に苦笑し、その横を通って冷蔵庫に歩いていき、コルク栓を嵌めた酒瓶を取り出す。 「俺はハタチ過ぎたいい大人だから、この子はシャンパンでいただきます」 「その手があったか」 「暇な時に色んな組み合わせ試してみてスパークリングワインと相性抜群なの発見したんです」 祝砲めいて気前のいい音を立てコルク栓を抜き、フルートグラスにシャンパンを注ぐ。 微細な気泡が沢山弾け、金色に澄んだ水面に昇っていく。その中心に遊輔がくれたコラソンのピアスとお揃いの赤いグミを落とす。グミは儚く透明な泡沫に巻かれ、一直線に沈んでいった。カウンターに頬杖付いた遊輔の声が弾む。 「名前はコーカスレース改にすっか」 「断固拒否します」 「特別な祝いの席で開ける酒って言やシャンパンだよな。俺のぶんは」 「自分でやってください」 「ケチ」 「セルフサービスです」 「で、何に乾杯すんの」 そんなの決まっている。 窓から斜に注ぐ陽射しにシャンパンを透かし、より美味しく愛らしく、より美しく華やかに、ドロップスをグミで代用するフェイクとして生まれ変わったコーカスレースを眺め直す。 「好きな人が初めて髪を乾かしてくれた記念日に」

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