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第38話・科学的じゃない

 綺麗に整列した棚にはぎっしりと本が詰まっている。  平積みにされたり目の引くポップがついているような目立つ本は、あまり本を読まない藤ヶ谷でもよく目にするタイトルが多かった。  隣を歩く優一朗は、店全体を見渡してから歩き始める。  今日は水曜日、今の時刻は21時を過ぎたところだ。  休日に会えなかった優一朗と、お互い残業せずに帰る日を作って会えることになった。  杉野に選んでもらった服の出番はなかったが、服はまたいつでも着られるため藤ヶ谷は全く気にしない。  共に食事をしてから買いたいものがあると言う優一朗に付き合って、遅い時間まで営業している本屋に来ることになったのだ。 (そういや杉野もよく本を読んでるな)  兄弟揃って読書家なのかと感心しながらついて行くと、優一朗は奥の方の参考書が並ぶコーナーに進んで行った。その中でも、第二性に関する小難しそうな棚の一角を見上げている。  製薬会社で抑制剤の開発に携わっているらしい優一朗だ。仕事で必要とする本なのだろう。  本棚を見上げながら、抑制剤の開発は大変だろうと気軽に質問してみる。  そしてそのまま会話しているうちに、思わぬ方向に話が進んだ。 「杉野に薬が効かなかったことがある?」 「そう。しかも一番新しいやつだ。渡して直ぐ使ったみたいなんだけど、効果は微妙だったって文句を言われたよ」  目を丸くした藤ヶ谷に、優一朗は苦笑して頷く。  当然、実験なども済み実用化もされている薬だ。  即効性があり効果も高いという数値も出ているため、なぜ杉野に効果がなかったのかと頭を捻らせているらしい。  何か原因があるはずだけど、と優一朗はいくつか本を手に取った。  藤ヶ谷はその本の中に「ハイアルファ」という単語が入っているタイトルを見つけて、視線を向ける。  いつも涼しい顔で「ヒートなら帰ってください」と言ってくれる後輩を思い出した。 「そんなはっきり言うってことは、ヒート中のオメガに会って……何かあったってことか」  抑制剤の「効果が無かった」ということは、何が起こったのかは想像に難くない。  藤ヶ谷は何か胸が痛むような詰まるような、不可解な感覚に襲われる。  泣きぼくろのある優一朗の目元が細まり、曇った藤ヶ谷の顔を見下ろす。 「秋頃のことなんだけど……その様子だと何も知らないみたいだな」 「何も……あ、でも好きな子がいるって言ってたからその時……?」 「うーん、好きな相手だったから効果が薄かった、か。ロマンティックではあるけど科学的じゃないな」  騒めく心を無視しながら思いついた「理由」は、優一朗を納得させるものでは無かったようだ。  杉野もそうだが、相当現実的な思考をしている。  だが藤ヶ谷は、更に言葉を重ねた。  抑制剤など関係なく、もし好きな人が相手ならば。理性の強い杉野でも止まらないこともあるだろうと考えた。 「好きだからヒートとか関係なく興奮したとか」 「その可能性は無くはない……か?でもそれなら誠二朗は薬に文句を言わなさそうだな」  この言葉には藤ヶ谷は納得するしかなかった。  薬が効いているのに自分が止まれなかったのであれば、真面目な杉野のことだ。ひたすらに自分を責めるに違いない。  今回は本当に効果が無かったのだろう。  だが藤ヶ谷のヒートに立ち会った時に抱きしめるだけで耐えた杉野であれば、例え薬のせいでも責任を感じていそうだ。  それにしては以前と変わらない様子のため、藤ヶ谷は何かが引っかかったが口には出さなかった。  腕を組んで本格的に唸りだした藤ヶ谷を見て、優一朗は小さく笑う。 「『運命の番』にでも、出逢ったのか」 「杉野の、運命の番」  自ら復唱しながらも、今度は内臓がズンっと重くなる心地がした。  藤ヶ谷は自身の体調の変化に混乱し、無意識に片方の手のひらを腹部にずらす。 「そ、それは。科学的、かな?」  唇を引き攣らせる藤ヶ谷の言葉をどう受け取ったのか、優一朗は本の壁に目を向ける。 「運命の番の絆とかは信じてないさ。でも、抑制剤が効かないくらいフェロモンが奇跡的に合う相手っていうのはいるかもしれない」 「そか」  どこまでも現実的に考えている優一朗を見て圧倒される。  藤ヶ谷は蓮池との一件で「運命の番」が都市伝説でないことは知っていた。  だがそのメカニズムは全く知らないし解明しようとも思わない。  ただ、「杉野が運命の番に出会ったかもしれない」ということだけが頭をグルグル回っていた。

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