55 / 110

第54話・すぐに捨てるからね

「何の話をしてたんですか?」 「え」  せっかく並ばないようにしていたのに、廊下に出てすぐに杉野が歩調を合わせてきた。  いつもこうして藤ヶ谷の歩幅に合わせてくれるのだが、今はその気遣いがむず痒い。  妙に隣の体温を意識してしまう。  本当のことを言えるはずもない藤ヶ谷は、なんとかそれっぽく誤魔化そうとした。 「えーっと……見合いってなかなかうまくいきませんねって。特に部長みたいな素敵なおじ様は居ないな」 「そうですね」 「俺、惚れっぽいからまた勝手にテンション上げて撃沈しそうだし。なんか他の方法も探すかー」  まだ見合いは一度しかしたことがないのに、既に藤ヶ谷は諦めモードだ。  自分の恋愛傾向が客観的に見られるようになったことは進歩だと言えるだろう。 「……年上にこだわらないとか、どうですか」 「へ?」  後頭部で指を組んで自嘲する藤ヶ谷を澄まし顔で見下ろしてくる杉野。その提案を聞いて、目を丸くする。  間抜けな声で聞き返した藤ヶ谷に、杉野は声の音調を変えずに言葉を紡ぐ。 「年下も圏内にいれたら、意外といません?」 「……年下……って……」  藤ヶ谷は言うべき言葉を探し、口をただ開閉させた。  また胸が高鳴ってくる。  緊張で乾いた唇に軽く舌を這わせて微笑みを浮かべた。 「昨日みたいな時にそばにいてくれる、お前みたいなやつならありだな」 「あの、だからそういうことなんですけど。会社で言うのもどうかと思いますがタイミング見計らってたら邪魔が入るので言いますね。俺は」 「分かってるよ」  突然早口になった杉野の肩を、藤ヶ谷は物分かりのいい顔をしてポンと叩く。  杉野はいつも通りのようで耳が赤くなっている藤ヶ谷を見て、言いかけた台詞を飲み込む。 「お前の友達紹介してくれるんだろ?」 「はい?」 「アルファとオメガで合コンでもするか! 俺はオメガ集めるからお前アルファな!」  明るく声を弾ませる藤ヶ谷に肩を何度も叩かれ、体を揺らしながら杉野は遠い目をする。 「はは……また騙された……」 「お疲れ様です」  最早感動すらしているような杉野の呟きは、たどり着いた小会議室の中から手を振る山吹の爽やかな声でかき消された。  山吹の顔を見ると、藤ヶ谷は真っ先に両手を合わせる。 「すみません山吹さん、俺ちょっとだけ外します。杉野、先に資料渡しといてくれ」 「……わかりました」  頷いた杉野は、小走りでトイレのある方へ向かう藤ヶ谷を見送りながらため息をついた。  山吹の前の席に座ると、彼はニヤケ顔で人差し指を杉野に向ける。 「何かあったツラだな」 「年下でもいいんじゃないかって言ったら、合コンするからアルファ集めろって」 「お前じゃダメなのか」 「そうらしい」  杉野は眉を寄せ、投げ槍に喋りながら持っていたクリアファイルを白いテーブルに滑らせる。  それを難なく受け取った山吹は、ファイルの中身を出しながら口笛を吹きそうな雰囲気だ。 「俺ならどうかな」 「友だち辞めるぞ」  冗談混じりの山吹の言葉に、杉野は真面目に反応して睨みつけた。  だが常人ならば縮み上がるような凄んだ声を聞いても山吹は調子を崩さず、眼鏡の奥の瞳を資料に落とす。 「ところで珍しく疲れてないか?」 「一睡も出来てないだけだ気にするな」  杉野は仏頂面で目頭を抑えた。  ◆  藤ヶ谷はトイレの個室で、便座の蓋の上に座り込んで顔を覆っていた。  これからヒートになるのではないかというほど体全身が熱い。  鼓動も早い。 (ビビったーっ! 勘違いするとこだった!)  年下でも良いんじゃないかと言った杉野の顔を思い浮かべる。  まるで自分にしろとでも言っているかのように藤ヶ谷には聞こえていた。  あと少しで「じゃあお前が付き合ってくれ」と言いたくなったのを耐えた自分を、藤ヶ谷は心の底から褒め称えたい。  そんな都合のいい話は無いと学んだ。 (でも、あー……俺ってほんと……)  頬を擦りながら大きくため息を吐く。  仮にも昨日失恋したばかりなのに、と笑えてきた。 「惚れっぽいな……」  だが杉野には好きな人がいる。  好きになった瞬間に失恋することには慣れていると己に言い聞かせて藤ヶ谷は立ち上がった。  誰にも知られてはいけないと、潤んだ瞳を手洗い場で洗い流す。 「よし、また次だ」  藤ヶ谷は杉野への恋心を自覚した。  そして、すぐに捨てると心に誓う。                二章・完

ともだちにシェアしよう!