65 / 110

第63話・何言っちゃってんだ

 山吹が着ているコートの襟首を掴んだ杉野が、元旦の空気よりも冷たい目をして立っている。  触り心地の良さそうなモフモフとした毛で出来た襟が千切れてしまいそうなほど力が入っているのが、手の震えから伝わってきた。  何故そこまで杉野が凄んでいるのか分からない藤ヶ谷が固まっていると、襟首を掴まれている山吹がへらりと表情を緩める。 「怖い怖い。藤ヶ谷さんに告白したらフラれたんだよ慰めてくれよー」 「あ? 告白?」  引っ張られた弾みにズレた眼鏡を中指で直しながら、山吹は軽いノリで状況説明にもならないことを言う。  間に受けた杉野の声は更に低くなるが、藤ヶ谷は構わずに2人の会話に割り込んだ。 「頭を真っ白にしてあげられるなんて告白、聞いたことねぇよ」 「つれないなぁ」  大して残念そうでもない調子で、山吹はため息と共に首を振る。  藤ヶ谷は友人同士のじゃれあいと受け取って適当に流すつもりだったのだが。 「お前……」  杉野は山吹に眉を寄せた顔で迫る。  襟首のフワフワの毛が、杉野の指の間からパラパラと数本落ちていった。  2人でいた時の余裕はどこへやら、山吹は藤ヶ谷の腕を掴んで助けを求めてくる。 「藤ヶ谷さーん! あなたの杉野、怖すぎなんですけどー」 「いや俺のじゃねぇけど」  また山吹がふざけているのだと、藤ヶ谷は呆れた声で否定する。  自分のものになったら嬉しいが、そう言えるほど図々しくもなれないと本気で思っていた。  しかし山吹は、 「さっき言ってましたよ。『俺の杉野に触るな!』って」  と、今度は杉野の方を振り返って胸に縋り付く演技をした。  それを聞いた藤ヶ谷は両頬を押さえて大げさに口を開ける。 「えー? そんなこと言ったか?」 「言いました」  ほんの一瞬前まで山吹を責め立てるオーラを放っていた杉野は、スンッと真顔になって力強く頷いてきた。  先ほどはヒート中のオメガに杉野が発情してしまったらと、居ても立っても居られない気持ちだった。  どうやら、無意識のうちに口走っていたらしい。  どうも思い出せなかったが、藤ヶ谷は軽快に杉野の背中をバシバシと叩く。 「まぁ大事な後輩だしな! 間違ってねぇか! な?」  不自然なほどの満面の笑みを浮かべる藤ヶ谷は、内心ではのたうち回っていた。  1人きりで家にいたら床中を転がり回ったのち、布団にダイブして1時間は出てこなかっただろう。 (うわぁあああ! 何言っちゃってんだ俺! 誤魔化せた? 大丈夫?)  杉野の顔を恐る恐る見ると、さして気にした風でもなく頷いている。 「そうですか。そうですね」 「そうそう!」  何度も忙しなく首を縦にふる藤ヶ谷に小さく息を吐いた杉野は、山吹への怒りをおさめて保冷剤を差し出した。 (良かった! 杉野が意外と鈍くて良かった!)  寒いはずなのに変に汗をかいてしまった藤ヶ谷は、マフラーを緩めてパタパタと仰ぐ。  山吹は保冷剤をハンカチで包みながら、呆れ返った表情で杉野に耳打ちした。 「納得すんのかよ。もっと押せよ」 「押せもなにも……本当に何も考えてないんだよあの人」 「なんかもう泣けてくるんだけど」  山吹は目元を覆って項垂れる。  これまでの経験で藤ヶ谷の言動に深い意味はないと思い込んでいる杉野は、最早ガッカリもしていない風だ。  そんな2人のやりとりに、藤ヶ谷はもちろん気が付いていない。相変わらず杉野と山吹は仲がいいなと思っているだけだ。  噛み合っていない藤ヶ谷と杉野を交互に眺め、山吹はまぁいいや、と呟いた。  そして、頬を押さえながら片手を上げる。 「じゃ、デートの邪魔して悪かったな。助けてもらった礼はまた後ほど。邪魔者は退散するからごゆっくりー」  あっさり立ち去ろうとする山吹に、このまま一緒に周辺を回るつもりでいた藤ヶ谷は目を丸くする。  だが隣の杉野が何も否定せずに手を振っているので、止めることができずに黙って見送った。

ともだちにシェアしよう!