77 / 110

第75話・アットホームな職場

(何してんだ俺ー! あいつが優しいからって! どうしようセクハラで訴えられるかも)  ヒートが終わり、ようやく出勤できるようになった藤ヶ谷は営業部カラー部門の部屋の前でペシャンコなボストンバッグを抱えてウロウロとしていた。  やりたい放題しすぎて、杉野に会わす顔が無いのだ。  しでかしたことを思い出すだけで顔から火が出そうだった。  正気に戻ってからの藤ヶ谷は、ごめんなさいのメッセージを送ることすら出来ずにいる。  しかし、いつまでもそうしているわけにもいかない。  意を決して自席へと向かう。  そして杉野の顔を見るなり、ボストンバッグを差し出しながら思い切り頭を下げた。 「ごめんなさい!!」 「おはようございます藤ヶ谷さん。仕事のことなら謝る必要ないですよ」 「……や、違うだろ……」  想像以上に普段と変わらぬ態度の杉野に肩透かしを食らう。  しかしそれも杉野の気遣いの可能性があると思い直し、改めて謝罪と感謝の気持ちを伝えることにした。  藤ヶ谷は頭を下げたまま、ポツポツと言いたいことを口に出していく。 「あの、ヒート中のこと、色々おせわになりました。でも俺、本当に誰にでも言うわけじゃなくて。……お前だから……」  周囲の視線を感じて、具体的なことは口に出せなかった。  それでも杉野はポン、と優しく頭を撫でてくれる。  ヒート中、妄想し続けた大きな手に藤ヶ谷の心臓が跳ねる。  おずおずと顔を上げれば、温かい目をしたら杉野が藤ヶ谷を見つめていた。 「俺のこと、部長くらい信用してくれてるってことですよね」 「そう! そうなんだよ!」  番にしてくれ、と八重樫にも言ってしまったことを思い出して強く首を縦に振る。  罪悪感で死にそうだ。  後で八重樫にも謝りに行こうと心に決める藤ヶ谷に、杉野は涼しげな顔でバッグを振ってみせた。 「ところで、バッグの中身は?」 「つ、使い物にならなくしちまったから新しいの買って返す。ほんとごめ」 「そのまま返してください」 「え」  想定外の言葉に、藤ヶ谷は固まった。  ヒート中のオメガに服を貸し、しかも「巣作りしたい」という願いを了承したのだ。  その貸した服がどうなっているかなど、杉野なら聞かなくても分かるだろう。  藤ヶ谷は、最早ナニで汚れてるかわからない状態になった杉野の服を思い出す。  量が多かった上にヒート明けでまだ洗濯すら出来ていない。  洗濯したとしても、とても返す気にはなれない。  真っ青な顔で言い訳を考えている藤ヶ谷に、杉野は詰め寄ってきた。 「ぐちゃぐちゃのままでいいんで、あれを返してください」  杉野の口ぶりからは、どうなってしまっているか分かっていることが窺える。  そしてヒートというデリケートなことで、からかってふざける人柄ではない。  つまり、本気でアレを返せと言っているのだ。  意図が全くつかめず、藤ヶ谷は困惑と羞恥で頬を赤く染めて声を荒げた。 「そんっなに大事な服なら貸すなよバカ!」 「服は別にどうでもいいです」  真顔で淡々とした杉野の態度に余計意味がわからなくなった。  不可解すぎる状況に、藤ヶ谷は半泣き状態になってしまう。 「ならいいだろ買って返す、から」 「ダメです。使ったやつ返してください」 「なんなんだお前は!」  バシーンと景気のいい音が職場に鳴り響く。  混乱がキャパオーバーしてしまった藤ヶ谷の平手打ちが、座っている杉野の頭頂部に決まった音である。  そんな2人のやり取りを見ても、同僚たちは誰も止めない。 「あの2人、いつ番うの?」 「次のヒートかな」 「もう一生、ああやってるんじゃないですか?」  皆が生暖かい目で2人を見守る、アットホームな職場なのだ。

ともだちにシェアしよう!