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第100話・世話が焼ける(杉野目線)

 蓮池との一件の際、あのベッドルームには抑制剤が抜けた藤ヶ谷のヒートフェロモンが充満していた。  その濃厚なヒートフェロモンを浴びたとき。  杉野は身体でも心でも頭でもない、何か芯のようなものが打ち抜かれるのを感じたのだ。  あれは恋心とか、ただヒート中のオメガに欲情したとかそういう類のものではない。 「このオメガは俺のものだ」  と、本能が叫んでいた。  ヒート中の藤ヶ谷を相手に気が付いたのだから、杉野がラットに入れば藤ヶ谷も気が付くかもしれない。  杉野の真剣な言葉に耳を傾けていた山吹は、突拍子もない言い分に笑うことはなく。  ただ普段通りの声で相槌を打った。 「ふーん……せーっかく抑制剤無効薬を飲ませたのに」 「何やってんだお前」 「抑制剤のせいでフェロモンが変質して気付かねぇんだとしたら、無効にしちまえば良いのかと。ちなみに後6時間はそこにいろよな。無効薬も切れて薬が全部抜けたら、もしかするかもだから」 「お前……兄さんの差金だろ」  抑制剤無効薬など、病院以外では早々手に入るものではない。  山吹の実家の伝手で用意は可能かもしれないが、仮定を立てて実行している様子は製薬の仕事に煮詰まっているときの優一朗を髣髴とさせた。  下着の件もあるため、優一朗が今回のことに手を貸していることは確かだ。  運命の番という稀な存在を使って実験でもしているのだろうか。  ドスの利いた声で迫る杉野に対して、山吹は笑い声を出すだけだった。 「どうせ1回しかシてなくて足りてねぇんだろ?起きたらもっかい襲え」 「俺は満足してる」 「はいはい。じゃ、そろそろお前も寝ろよ」  山吹は全く信じていない声で話を終わらせてしまう。  杉野は隣で安らかな寝息を立てている藤ヶ谷へと目をやる。  枕に沈む仰向けの寝顔には涙の痕が残っている。それでも幸せそうな表情に気持ちが安らぐ。  実際に、まだまだ欲が腹に燻っている状態で杉野は引いた。  藤ヶ谷に、身体を重ねることは心地よいというイメージを持ってほしかったし、自分に付き合わせたら壊してしまうと危惧したからだ。  しかし、山吹に伝えた言葉に嘘はなく。心は完全に満ち足りていたのだ。 「山吹」 「ん?」  電話を切ろうとしている山吹を引き留めた。  その真面目な重みの声に、山吹が呼吸を顰める空気を感じ取る。  杉野は口元を緩め、オレンジ色が広がる足元を見下ろした。 「お前には、いつも助けられてる」 「いきなりなんだよ怖いぞ」 「茶化すな。今回は、本当にありがとう。強引だったけど」 「そんくらいしねぇとくっつかないだろお前ら」  世話が焼ける、と言う山吹の声は相変わらず爽やかで柔らかい。  高校時代からなんだかんだと文句を言いながらも杉野に合わせてくれる友人に、改めて感謝する。 「良い友達を持って俺は幸せものだな」 「だろ? 一生感謝しろよ。何よりもお前の幸せを一番に願う、友達の俺様にな」  恥ずかしげもなく涼しい声で伝える杉野を、山吹はもう笑わず。  だがとぼけた口ぶりはそのままに、電話を切った。  杉野は電話を置いて藤ヶ谷の隣に滑り込む。  人肌で温かくなった羽毛布団の中で、深い眠りについている愛しい人を抱き寄せた。 ◆ 「ただの友だちに、ここまでするわけねぇだろ鈍ちん」  通話を切った後。  夜景が彩る窓際で、満足げにワイングラスを傾ける。  密やかな恋心に最高の終止符を打った「友だち」の声は、誰にも聞こえない。

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