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第65話・香りがしない

(結局合コンも不発だったなー)  ぼんやりとパソコン画面を眺めながらため息を吐く。  せっかく杉野が友人を呼んでくれたのだが。若いアルファたちは驚くほどに藤ヶ谷の琴線に触れなかった。  杉野が藤ヶ谷の友人のオメガにモテているのを見て、ひたすらイライラする時間になってしまったのだ。  友人たちは楽しそうだったことだけが救いである。 「おはようございます、藤ヶ谷さん」 「お、おう。おはよう」  仕事には関係ないことを考えていると、隣に杉野がやってきた。  出勤後、喫煙ルームで部長を覗き見てから自席でメールチェックをするのが藤ヶ谷の日課である。  いつも誰よりも早く出勤する部長に合わせているため、営業部カラー部門の部屋には藤ヶ谷しか居ない。  そして、二番目に高確率でやってくるのは杉野だった。  藤ヶ谷は杉野が真面目だからと思っているが、実際には2人きりになれるタイミングを見計らっているだけである。  今日も他の人が来るまで、2人は隣同士のデスクでパソコンを叩いていた。  すると挨拶しかせずに黙っていた杉野が、コーヒーの紙カップに口を付けながら横目で見てくる。 「藤ヶ谷さん、そろそろヒートですよね」 「あれ、わかるのか?」  頸に手をやりながら、藤ヶ谷は鼻をひくつかせて自分の匂いを気にする。  ヒートの時には自分でも少し香りが変わっていることが分かるのだが、今は特にフェロモンが溢れている感覚はない。  体も普通だった。  藤ヶ谷は普段であれば「そうなんだよ! また仕事休むから頼むな!」と手を合わせて笑う。  だが今は不思議そうに首を傾げているため、杉野は不審げに眉を寄せた。 「逆です。昨日までヒートが近そうな香りがしてたのに、今日は全く香りがしないから気になって」 「あー……」  鋭い指摘を受け、藤ヶ谷は言いにくそうに視線を彷徨わせる。  実は藤ヶ谷は今日、普段は使わない強い抑制剤を飲んで出勤してきている。  ヒート中にも出勤できるように病院で処方してもらったものだ。  ただ初めて使う薬のため、体に合わなければすぐに飲むのをやめるようにと念を押されてしまった。  この薬の効果は絶大だ。  昨日の夜からヒートに入っているのに、問題なく電車に乗って出勤することができている。  誤魔化せなさそうな杉野に白状すると、案の定、険しい顔つきになっていく。  だが、藤ヶ谷はへらりと笑った。 「お前が分からないくらいなら、大成功かな」  杉野はアルファの中でもオメガのフェロモンに敏感だ。普段からアルファ用の抑制剤を飲んでいるのに加え、藤ヶ谷のヒートが近づくと追加で強い薬を足している。  それでもヒート前なのかヒート中なのか判断できるほどだった。  その杉野が「全く香りがしない」ということは、他の人も何も気づいていないはずだ。  フェロモンで杉野に迷惑をかけることも、仕事を休む必要もない。  そう説明したのだが。  杉野は眉を寄せたままスマートフォンを取り出した。  画面にオメガタクシーを呼ぶためのアプリを開くのが見える。 「藤ヶ谷さん。俺の言うことちゃんと聞くって言ってましたよね?帰ってください」 「でも、今は何も感じないんだろ?」  藤ヶ谷が慌てて杉野のスマートフォンを奪おうと手を伸ばすが、サッと避けられてしまった。  淡々と、いつも通りの説教が始まった。 「抑制剤は絶対じゃありません。万が一仕事中に効果が切れたら大変です。それに強い薬ほど副作用が」 「それは分かってるけど……なんか、ヒートが嫌で」 「嫌?」  手を膝に下ろして俯いた藤ヶ谷を見て、杉野はスマートフォンに滑らせていた指を止める。

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