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第7-1話

 空は重く垂れ込めていた。  悲しげに鳴り響く虎落笛(もがりぶえ)は、白煙を織り交ぜたような空を鋭く切り裂く。烟った景色には結んだ花も色あせて春の景色はすっかり衰え、吐息は吐くそばから凍てついた。  草深い笹藪の中にようやく見つけた青の手がかり。  折れた細い管に手を触れて、崖下へと続く入り乱れた様子には、獣か何かが転がり落ちていったように見える。  清瀬は枝を掴んで崖下を覗き込む。深い谷底には霞が立ちこめて冷気が滞るよう。もしここに落ちていったのなら無事ですむはずがない。しかもこの寒さで夜を過ごしたとなると、身体は芯まで冷え切っているはず。一刻も早く見つけなければ命が危ない。清瀬はそれが青と思えば身体は自然と引き寄せられるようで、今に駆け下りようとして、聞こえた馬の嘶きに意識は引き戻された。 「若君!」  駆けつけた嵐が(はか)らずとも身投げしようとする主人の格好と居合わせた。  彼は瞬間、全身の血が引いた。  青を失った動揺でとうとう気でも触れたのかと思ったのだ。 「何をなさっているのですか!」  声を荒げ、血相を変えて駆けつける嵐の様子に、清瀬は苦笑いする。  常に平静を保ち心身を落ち着かせ、切り上がった(まなじり)から横目にものを見るような彼である。その嵐が、恐ろしさにゾッと目を見開いて、その上転がり落ちるように鞍を下りて駆けつけるのだから、それほど目も当てられない状態にみえるのだろうかと清瀬は思った。 「何か、勘違いをしているようだな」  勢いよく足を挫いた嵐の前に膝をつく。  嵐の切れ長な目は清瀬をじっと見上げ、小心のウサギを前にするように慎重な顔つきになった。 「今の若君のお姿であれば、誰もが勘違いをいたします」 「そうか」  崖下を確認してみたかったのだが、と清瀬は振り返る。しかし清瀬の手さえも拒んだ青だ。怪士から逃れてどこへ行くというのか。溶けかかった雪が雪崩を起こしたのだろうと、一抹の不安を振り払うように思い直す。  夜通し馬を駆け、怪士の行方を追っていたのは嵐だけではない。その主人である清瀬は尚更屋敷には戻れまい。  丈夫な身体であっても心労に深く蝕まれ、冷たい風に吹き曝されて顔色は悪い。失意に沈む目は絶えず春のほころびを探すようである。 「葛氏からの返事は」 「破談はなかったことにしてくださるそうです。討伐までに青殿をつれてくることが条件の一つと」  葛氏に文を出したのは、爽が萩氏の屋敷を追い出された後のこと。萩氏に討伐の中止を呼びかけて欲しいと葛氏に訴えたはいいものの、清瀬は娘との縁談を断った男。虫がよすぎると思われたのだ。 「ありがたい話だな。なかったことにしてくださるか」  清瀬は微笑む。 「ないままにしたいのだ」  この気持ちの寄る場所はしっかり定まっている。清瀬が浮かされるのはたった一人の相手。  青が怪士の所にいたいというのならそれでも構わない。ただ戦にだけは巻き込みたくない。それなのに討伐を止める手段に青を寄越せというのであれば、清瀬の思いとは相反する。  瞼を伏せて思い出すのは、淡い光りが降り注ぐ彼の影である。  垣間見えていたのはいつも楽しげな彼の影ばかり。事もなく怪士と言葉を交わす青年の柔らかな笑い声は蕾が囁くように耳に触れ、囀るように語りかける声は春の心地と思わせた。奇怪な怪士でさえ受け入れてしまえる人。いつしかその眼に自分の姿もありたいと願ってしまった。それが、玉の花のようにすみきった青年とは思いもしない。  彼の瑞々しい恋慕が花をこぼすように咲き乱れ、穏やかな海に一途だというのなら、清瀬が竿を差す隙はない。砕けた水の玉だけでも掌に包んで温めていられたらそれだけで心も満たされる。

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