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第7-2話

 清瀬は糸を紐解くように細い茎を手折り、掬った清水を花弁の内に注いだ。  掻き曇った空は雲を厚く重ね、残花は次第に雪と散り交じり、大地に蔓延る百々草(ももくさ)(ことごと)く包まれていく。  白い六花の片を帳にして、萎れた野花は毛氈(もうせん)のかわりに。突き立てた刀は萩の拵えと清瀬の太刀を交わらせる。水辺の森から聞こえてくる悲しげな声は、水恋鳥(みずこいどり)の神秘的な鳴き声である。厳かな婚儀に花婿が一人。椿の枝は鳥に化け、落ちた花は小姓となり、竹の影で烏鷺(うろ)はつるみ、葉はすすり泣くように散り続けた。  閉ざされた蕾みの中に戻るような静けさには、息吹の一つも聞こえてはこない。この静かな祝宴に清瀬は誓う。  一期を彼の為に尽くす。  水に満たした杯を口にして、その残りを彼の刀に注ぐ。峰に伝う水滴は霞をうつし、刀刃には乱れる萩と、そこに寄り添う真男鹿(まおしか)の後ろ姿をのぞかせる。衣の下に覆われた清瀬の背に浮かぶのもまた木枝の絡むような角の痣である。  金色に輝く美しい痣を見せるのは、鹿氏が生涯を一人に決めた相手のみ。  のぞむのはたったのそれだけなのだ。  その思いさえ叶わないとは……。 「父君がお呼びです」  降り積もっていく名残の雪は、やがて通い路さえ覆っていく。  清瀬は刀を戻し、素早く鐙を踏みしめた。 「すぐに向かう」  雪が覆う枯れた芝を、二頭の馬は駆けていく。花絶えた野面(のづら)には冬薔薇(ふゆそうび)が綴れ咲き、わずかな花の明かりが細々と続いているのみ。  門には目印の釣燈籠がかかっている。萌え出た楓に囲まれて、もみじが彩る鹿氏の屋敷。秋になれば青葉は赤く翻り、虫の声が(せせらぎ)を賑わせる。  清水を跨ぐ太鼓橋は月夜烏(つきよがらす)の色である。懐手に立ち尽くす爽が、南天の朽ちた花を手にしながら、中島の庵で清瀬を待っていた。  装束を整える暇もなく、清瀬は馬を乗り捨てかけつける。 「父上、ただいま参上いたしました」 「はしたないぞ、清瀬」  乱れた清瀬の容姿を目にかけて、爽は苦虫を噛み潰したような顔で振り返る。間髪入れずに言い放った。 「青殿のことは諦めろ。無駄なことだ」 「今更何を」  出し抜けに横っ面を殴られたような衝撃に清瀬は目を剥く。  目に飛び込むのはいつの間にか背の縮んだ男。増えた白髪は細くよれて、目はよぼよぼと垂れ下がり、精彩に欠いた顔つきである。麗とは見違えるほど年老いていく父親の姿に、清瀬は急激に冷めていく思いを自覚した。 「萩氏に遅れをとるわけにはいかない。討伐に向かわねばならん。お前もだぞ、清瀬」  たかがそんなことをいうために呼び出したのかと、清瀬は唇を噛む。 「討伐よりも青が大事だと言っているのです」 「あんな萩氏の男を大事だと。笑わせるな。たかが種をつけるために寄越されただけ。それの何を大事だという」 「父上が到底受け入れない私を受け入れてくれます。これ以上に理由などない」 「そんな人間、掘ればどこにでも埋まっているぞ。どこぞで野垂れ死んだって惜しくもない。葛氏がせっかく許してくれるという。その姫君との婚姻を無駄にするわけにはいかない」 「俺を、殺そうと企んでいる花一族に婿入りをしろというのですか」  こともあろうに、麗が清瀬を迎えるつもりなどないことを、説明させるつもりか。 「お前を殺すだと?」  鼻を鳴らし、突拍子もないと笑い飛ばすようである。 「萩氏の麗はそのつもりで青をこちらに寄越した」  思わず噴き出す爽は愚かな息子と忽ち眉をひそめる。 「では、お前は命を狙われておきながら青を助けるというのか」

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