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第3-2話
チラリと視線を下ろせば、目つきの悪い男の顔がある。
討伐について行く彼の身体は傷だらけで、襟首から覗く身体はいくつの命を犠牲にして成り立っているのか定かでない。日に焼けた肌を、首の下へと続くその傷を指でなぞりながら彼の襟をひっかけた。
――傷、いくつ増えたか。
額際に走る白い刀創を見つめる。
更 闌 けて、蔓延る静けさの中、矢を突き立てた馬と共に戻ってきた凪は、咽せるほどの血の匂いをまとわせていた。屋敷中に広がる不気味な匂いには、深い闇の底へと引きずり込むようで、青は駆け寄ることもできないほどの恐ろしさを覚えたのだった。
その傷跡に手を伸ばす。
すると、弾かれたように顔を上げ、瞳に戸惑いの色を浮かべた。
分別もわからない頃からの付き合いである。黶 の位置もその数も、皺の付き方も筋肉の流れ方も、見飽きるほど知り尽くした相手。それがいつの間にか彼の父親に倣って刀を握るようになると、顔立ちは逞しくなっていき、青を揶揄 うこともなくなった。肉親よりも近く、兄弟よりもつながりは深い。おそらく凪の気持ちも同じであろう。
麗に誓った固い忠義の心は、青と結んだ契りを前に揺らいでいるはず。そんな彼を思うといたたまれない。
「俺を、殺せそうか?」
真面目な顔が、微笑を零した青の目を捕らえる。
と、唾液を絡ませた指を、憚 らず、花径にねじ込んだ。あふれ出す花の蜜に、青は咄嗟に彼の腕を引き掴む。
「おい、もう少し優しく」
「殺せるはずがないだろう。もし、それでも殺せというのなら、俺も後を追う。一人にはさせない」
たまらず身体を起こそうとする青の肩は、叩きつけられるように押さえられた。
凪の指は深く花径を潜り、その実の在処をまさぐる。肌に触れる時とは違い、丁寧な動きはわざとらしく掠めていき、青は少しずつ発していく。
「凪……!」
そこを指先がひっかけて、青は堪えきれず唇を震わせた。激しく催 される快感に水茎がそそり立つ。逃げようと背けた視線の先に、ぎょっとした。
「き、清瀬」
いつからそこにいたのだと、問いかければまるで猥 りがわしい男のようではないか。
高坏を手にした清瀬は言葉なく凪を睨み据えていた。青の声に顔を上げた凪もまた、清瀬の姿に色を失う。
「二人は、情を通わせ合った仲か」
煮え湯を飲み込んだように、苦々しい清瀬の声である。冷淡ともとれる声色に、青の心臓は凍り付いた。
清瀬に撒き散らされた花布は、彼に染め出されてその型付きとなったというのに。誤解されたままではこの純な思いさえ彼には汚らわしい物と思われる。
青は咄嗟に言いつのる。
「違う。金蘭のちぎりは交わしたが、男女の情を交わすには支障がある」
「どんな支障があるという」
「義兄弟だ。義理とはいえ、兄弟も同然。そんな相手に情を興すはずがない!」
白い顔をして、凪の手から逃げようと青は身じろいだ。必死にいい重ねるその姿は、凪の胸に悲痛を忍ばせる。
小さな淡い感情と思っていた。心の片隅に、彼と思い大事に育てながらも持て余していた感情のうずき。それが、潰えたのだ。決して彼を染め上げることはできない、と。
凪は悔しさに奥歯を噛みしめて再び清瀬を見上げる。
「果実の確認をしていただけです」
眉一つ動かさない男に、清瀬は額を押さえた。直前に聞こえた彼らの会話のやり取りは、交わす内容さえわからずとも耳に残るほど睦まじいものと記憶している。
色立つその身体を好きに出来るのは、俺だけではないのかと、凄まじい嫉妬に襲われて清瀬はささくれ立つ。
「果実の確認に指を入れるのか」
「他にどのような方法がありますか」
「青にやらせるか、婿の俺にやらせればいい」
会話の最中にも、凪の指は骨を抜かれるほどに気持ちいいところを刺激する。青は堪えきれず、身体を蹴り飛ばした。腰を転ばせる凪がすぐさま青を睨み付け、抗議の声を上げようとするが、しかし、真っ赤な顔をして、涙ぐむ青の顔をみてしまえば何も言えない。
「婿殿の身体は、葛氏の姫君のもの。ここまで足を運ばれる必要はありません。儀式が無事終われば屋敷へ帰ることになっています。青は、それまでの間ここにいるだけです」
乱れた髪を撫でつけて、平然と言ってのける凪に青は苦笑いを含んだ。
終われば屋敷などと、よくもそんな嘘がつける。
じっとりと滲む花径の熱さに身体はまだ火照ったまま。それを悟られまいと必死に瞼を伏せた。
清瀬の顔は静かな怒りを浮かべ、不愉快に凪を睨み付けた。
「婿入りまでは青が相手をしてくれるのだろ」
「青は淫婦ではない。欲を晴らしたいのなら遊女を呼べ」
強い口調に、青は咄嗟に凪の襟を掴んで口を塞ぐ。鹿氏の若君になんて口を利くのだと、肌が粟立つ。
「朝餉を持ってきた」
高坏をおろす清瀬の目が青を見据えた。
「いらぬ世話だったか」
その貫くような眼差しに青はドキリと身体を揺らした。
「い、いや、ありがたい」
「随分ぐっすり眠っていたようだから起こさなかったが、動けるようなら俺のところへこい。従者に案内をさせる」
青は頷きつつ、彼が行ってしまうのを名残惜しく見送った。
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