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第3-3話

「あんな男のどこがいい」  憤然と凪が言い放つ。  青は視線を仰ぎながら頭を振る。 「言うな。惨めだ。考えたくもない」  あの酒宴では、大層穏やかに見えた鹿氏の男が、と息を吐く。それも姫君の前での話なのだと思うほど込み上げてくるものがある。 「あいつの所へ行くのか」  引き留めるような彼の口ぶりに、青は苦く笑った。 「行かないわけにも。このまま追い出されてしまってはお前に迷惑がかかる。それに婚儀の前に鹿氏との溝を深める訳にもいかない」 「その割には消え失せろと言っていたが」  なぜそれを知っているのだと、言いかけた言葉をぐっと飲み込んで凪を振り返る。彼はさっと顔を背けた。つんと尖った唇はまだ何か言いたげに苛立ちを潜ませている。 「聞こえていたのか」  一体どこからどこまでと、尋ねてしまえばそれもまた恥ずかしいだけである。たかが戸一枚隔てただけでは、中の様子は筒抜けなのだ。  あの淫らな水音も、抑えようもないほどに高ぶった嬌声も。すべて聞かれていたと思えば、火がでるほどの恥ずかしさに襲われて、青は誤魔化すように赤い首をさすった。 「凪、顔を見せて。清瀬の所に行ってくる。お前はここにいろ。呼べば、来てくれるのだろう」  促された凪の目が、青の視線を絡み取る。  花も劣るほどともてはやされた青の美しさは、人の心を容易に捕らえる。だが、気付いていないのは本人だけなのだ。牡丹の花が滲むような目元は柳の糸のように風に流され、その宿る所を探している。時折垣間見せる隙をこじ開けて慰めたって構わなかった。求められさえすれば、と。  だが、彼は決して寄りかかろうとはしない。そこがまた凪の心をざわつかせる。  青の指先に手を重ねようとして、するりと逃げてしまった冷たい指先が浅黒く日に焼けた頬に触れた。掌は仏頂面を包み込む。  凪は痛いほどの恋情に焦がれていた。青の指先が悪戯に耳たぶを擦ると、花房(はなぶさ)がさしかかるような快い気持ちが湧き上がる。  好きなのだと、堪えて、息を呑む。  青の刻む鼓動の音は心地がよく、思わずその身体を抱き込みたくなるのだ。 「必ず、駆けつける」  皺を寄せ、厳つくつくられた凪の顔は、青を前に情けないほど緩む。  青はこの清らかな青年に、麗を裏切らせるような真似はさせられないと思うのである。  そうとなればあの若君の首を掻き斬るのみ。どうすれば麗の目を誤魔化すことができるのか。それこそ難しいこと。 「青殿、こちらへ」  程なく、穏やかな顔つきの従者が迎えに寄越された。  青が身を置く離れは、池に浮かぶ島を経て、築山の奥に佇まいを置く。それは少なくとも鹿氏の青に対する扱いを見るようである。  それもそのはず。花一族の男児の身体は女のような陰と男の陽を持つ。しかも花嫁との初夜を前に抱かねばならないしきたりに、節操もなく、煩わしいものとの思いを抱くのも無理はない。 「あとは出液だけと伺いました。滞りなくすむのなら喜ばしいことです」  青は乾いた笑いを口にした。 「ああ、だが、実の具合による」 「一日二日でなるものなのでしょうか」 「それほど時間はかからないと聞いたことはあるが、どうだろうな」  青を連れる従者の立ち姿や指先の動きは、何やら細々とした心遣いを思い出させた。  そういえば、と屋敷での男雛を思い出す。鹿の面をつけ、花一族と交じって娘と親しくしていたあの男。思えば妙なことである。青が酒宴を抜け出した先で出会ったあの男こそが清瀬だというのなら、鹿の面をつけた花婿は一体誰か。 「名前をなんという」  青の声に、男が肩口に振り返る。 「(あらし)とお呼びください」  名にそぐわない柔らかな声色であった。凪とは正反対の男。 「花一族の酒宴に、お前もいたか?」  嵐はふと、切上がった眦を細めた。 「いい宴でした。あのような華やかな宴は他に類を見ません」  なるほど、と青は得意な顔になって嵐を見やる。  さてはこの男が清瀬のふりをしていたとは、麗も葛氏の姫君も、気付いてはいないだろう。  嵐が立ち止まると、鉤丸(くまる)の垂れ房が五色に輝いた。  巻き上げた几帳の中には、春の弱い陽ざしに注がれた清瀬が、ゆったりとくつろいで庭を眺めていた。気を張った青が腰を下ろそうとして、彼は緩く首をかしげる。 「傍までこい」

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