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第3-6話

「口巧者なやつ。誰から仕込まれた」  身を乗り出す清瀬の手が青の手首を捕らえる。腰を引く青に、清瀬の身体が深く追う。 「わかっているのだろう。なぜそんなことをいう。ここにいただけでは、どうしてもお前に会いにいく口実がない。そういっている」  心臓は強く鷲づかみされたように一つ呼吸をするのもままならない。  なぜ俺に会いに行く口実が必要なのだと、頭の中ではぐるぐると駆け巡る。 「だが、俺は、屋敷には戻らない」  清瀬の唇が戯れるように青の鼻筋に触れて様子を探るように口元を掠めた。重ね合わせるつもりなのだと、青は思わず目を逸らす。柔く唇を結び、彼から与えられる無上の快感から耐えようとした。しかし彼は顔を離してしまう。  口づけではなかったのだと名残惜しむ。その待ちわびるような気持ちに火がつくように熱くなる。やはり、彼にもてあそばれているだけなのだ。  むずがゆく絡み合う胸に息が詰まる。 「期待したか? 俺の思いには応えないくせに」  すると、彼は赤く染まった蝶花形に自らの唇を重ねた。  それは青の気持ちを引きずり出そうとするものである。  青は杯を握る手を震わせて、上澄みに浮かぶ清瀬の顔にたまらず飲み干した。  喉を焼き、胸へと落ちていく液体に眩む。いっそのこと打ち明けてしまいたかった。あなたが好きなのだと。しかし一度でも口にだしてしまえば、二度と叶うことのないこの思いは狂うはず。  決して言えない。 「中々頑固な奴。だが、そこも気に入った」  清瀬の手が赤く染まる額際を掻き上げた。振り払えば身体は崩れる。抱き留められなどされたら、それこその彼の腕の中で身体は言うことを聞かなくなるだろう。青の顔は苦痛に歪み、清瀬の胸を押す。 「はなせ。実も、まだだというのに……」  彼と交われば突きつけられるのだ。青が仕損じても、おそらく萩氏の武士が仕留めるつもりであろう……。  せめてあと数日。それまで少しでも清瀬の傍にありたいと願ってしまう。  青は唇を噛みしめた。 「用がないのなら、戻る」 「一息で飲んだか。もう少しここにいろ。嵐を呼ぶ」  ゆっくりと清瀬の前から退く青は思わず蹌踉めく。その身体を支えようと伸ばす手を、無意識にはね除けてしまう。あからさますぎたと、慌てて顔を上げれば、ひねくれた清瀬の横顔がどことなく寂しそうに影を落としている。  青はたじろいだ。  凪にするのと同じように彼の顔を包み、「悪気はなかった」と、伝えればいいのだ。だが、その手は意識するほど汗ばんで、相手が清瀬だと思うほど震え、身体は硬く強張り、じっくりと熱くなる。  青は掌を握りしめた。 「来た道くらい、覚えている」  そんな青の姿に、清瀬はたまらず息を吐き出した。  青は逃げるように背を向けて、振り向くことなく足速に立ち去っていく。橋に足をかけてようやく主殿を振り返った。ぼんやりと浮かぶ明かりを眺めて、簾や帳から少しでも清瀬の姿が見えればと思ったのだ。  身体は熱く、花径は清瀬を望んでいる。考えたくないのだと、引きずるように冷たい離れへと戻れば、青は静かに座り込んだ。  春の日は遅く暮れ、長く蔓延る夕焼けはその一時を限りと激しく燃え上がる。  覚悟を決めなければならない。出液を終えると同時に、自らの命の灯火をかき消すのだ。せめて彼にこの種を渡す。  腹の奥底が重く、引き捕まれるような苦しみに青は思わず息む。するとどろりとしたものが花径から漏れ出たような気がして、頭の中が妙に冴え渡った。  裾をたくし上げれば股の間から黒いものが流れ出ていた。  手に取って触ると、どうやら花びらが混じっている。  まさかと青は掻き出すように花径に指を入れた。  実をつけず、花は一生を終えたということか。  引き出した指先には花びらがはりつく。  確かに、花が朽ちればと願ったが。 「……凪」  そっと立ち上がる。婿に種も授けられないでは、なんのために青が寄越されたのか。知られれば今日にでもこの命は果てるぞ。  空にはじわりと宵が深まっていく。その深い暗闇の底から、何者かが青に迫っていた。

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