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第6-5話

 青は血の気が引いて衝撃的な感情に意識を手放しかけた。  あまりにも恐ろしくて直視ができないのだ。気色の悪い正体に肌は粒立ち、原始の恐怖を蘇らせるような彼の姿をそれと認識してしまえば、身体は逃れようと暴れてしまう。僅かな震えでさえ切れてしまう糸なのだ。戦慄(わなな)きなどできない。せめて蜘蛛の群れの中だけは落ちたくない。  その必死と堪えるような顔つきに男はたまらなく喉を震わせる。 「望みはなんだ?」  自由に動く彼の手足に青はぞっと背筋を凍らせて空気を喘ぐ。瞼を強く瞑り、顔を伏せた。 「種を! 街の種が欲しい!」 「ならば、お前の膨れ上がってどうしようもない恋心を戴くとしよう」 「恋心?」  青は目を見開く。石榴(ざくろ)の実のような不気味な目とかち合い、白く柔い腹の上に男の手足がかかると、全身は悪寒に震え上がった。 「話しが違う!」 「なくしたところで構わないのだろう。捨ててしまいたいと願ったはず」  なぜそれを知っているのだと、叫ぼうとする青の頬に、彼の鋭い指先が食い込んだ。 「選ぶ権利はない。口を開けろ」 「ま、まて!」  緻密に毛を生やした爪の先が喉の奥深くに入り込み、見えない糸を繰るように細やかに動く。すると青の胸の中で暖かく刻んでいた恋心が、骨から皮膚を剥がすように引き裂かれ、その猛烈な痛みは四肢が痙攣するほど。 「――!」  手を振り払い、今すぐにでももんどりをうってのたうち回りたい。藻掻いて逃げだそうにも簡単にきれてしまう糸を思えば身じろぎ一つできもしない。不安定な足場に悶え苦しむこともままならず、喉の底から絶叫を掻き鳴らし、彼の指に嗚咽を漏らした。 「やはり、いいなり具合」  舌の上に引きずり出された恋心は白い小さな花をつけたフウセンカズラである。脂汗(あぶらあせ)を浮かべた青の肌に、彼の爪がなぞる。 「青いな。お前のようだ。だがやはり重すぎる。これではもらいすぎだ。もう一つ種をやろう」  男は鷲づかみした金魚の影を握りつぶし、掌に残った小さな心臓を、大きく息を上下させる青の懐に差し込んだ。 「とったのか? 俺の……」  男の手から引きずりだされた恋心は清瀬への思いをため込んだもの。掌に転がされたフウセンカズラは今にもはじけ飛びそうなほど膨らんでいた。それほど思っていた感情のはずなのに、暖かく脈を刻んでいた胸の中にはその残影(ざんえい)もない。  浅く呼吸を繰り返し、青は流れ出る涙を止められずにいた。痛みに呆然とし、冷え切るような身体に涙が次々とあふれ出す。触れてほしいと願った彼を思い浮かべても、少しも心が弾むことはない。終わったのだ。それも、百花に乱れた花畑をむしり取られたように。打ち破れた花の残骸と悲嘆だけが残ったのだ。  胸に手を伸ばし、ゆっくりと動く鼓動を静かに感じた。 「こんなにも慕われるなど、相手はさぞ嬉しいに違いない。上等なものだ」 「どうして……」 「街の種はお前の中に」  男は現れたときと同じように忽然と消えていった。 「種を寄越せ」  ベベが青の襟首をひきつかむ。それさえも抵抗ができず(はす)の葉の上に座りこんだまま力なく項垂れた。  すかさずヤンが割り込む。 「ジャムに伝えたはず。どうするかは俺が決めると」 「ヤン! 種を独り占めするつもりか!」  足下から上がった怒号に視線を落とす。錆びた髪色の男、ジャムはすでに出入り口を固めていた。

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