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第7-5話

「いいえ。北殿から常に見ております。どうか、ご自身を侮らないでください」  青は俯く紫の顔を覗き込むように膝を抱えた。 「すべてお見通しか?」 「はい。すべて。紫はずっと、兄上の事をみておりましたから」  紫はほんのりと顔を赤らめた。  純粋で初心な妹とこの兄は信じている。それこそが真っ白な青の心を見るようで、紫はたまらなく胸が締め付けられた。  なんてあどけない。  朝な夕なと兄の肌を思い浮かべては恍惚に耽るような妹と知ったとき、彼はどう思うだろう。青と交じって生まれる色、人を惑わせる色の名。少女はその名を冠しているのだ。こんなにも美しい名前が他にあるというのだろうか。  さては、兄妹の名付け親となった麗の強情なほどの執着心も、自ずと目に突きつけられる気分であった。夢が覚めていくような嫌な寒気に肩を張る。  女の園では美しい男児の名前を連ねて暁に始まり、儚い花の運命に涙して曙を迎えるほどなのだから。かつての美少年の話さえも何度と耳にした。  その名を(しずか)という稀代(きたい)の美少年。彼の気配に鳥は盛り、息を吹きかければ蕾みは綻び、恋に狂う男たちが情欲の炎に身を焦がして競って愛欲を求めるほど。まさに垂涎(すいぜん)の的であった。  当時、萩氏に婿入りする運びとなった麗によって花を催され、一通りの相手をした男児である。日も高く、働き出した雑色や侍女の目にさらされながら、屋敷を訪れる客の挨拶の最中であっても、砂さえ焼けるほどの熱い交わりを憚らず繰り返し、簾から漏れ聞こえてくる花鳥の色音は甘くじれったく、麗によって締め付けられた春琴(しゅんきん)の調べは屋敷中に高く響いていたという。色に尽くされた静を見れば、それは勇壮で精力逞しい麗の激しい独占欲のあらわれである。  静を婿入り先の雑色にほしがったというが、ついには叶わなかった。というのも、麗が目をかけるような雑色もおらず、類い希なる容貌をもつ男の影さえ見ないのだからそういうことなのだ。  奇しくも兄と同じ青の字を入れた静という男に、並々ならぬ因縁すら感じるのである。静の種によって青が生まれたのだから、その青をみる麗の目に、紫が総毛立つほど気色悪いと思うのも無理はない。  そんな紫の胸中すら知らず、青は妹の隅に置けないいじらしさに微笑んだ。 「聞きたいことがある。凪の姿が見えないが、あいつはどこへ行ってしまったんだ?」 「凪は……」  紫は流れるように外へ視線を送った。言い淀み、襟をかき合わせて胸元に手を握り、小さくつぶやく。 「今はおりません……」  紫のはっきりとしない態度に青は更に問い詰めようと身を乗り出す。ところが、床につながれた縄はぴんと伸びきり、結い紐が首を絡めた。  紫は届きそうで届かない青の頬へとそっと手を差し出す。果肉の滴るような唇、不安に寄せられた細い眉、どうしてそんなにも心を乱す顔をするのか。ほんの少し、その皮膚を掠め舐め、優しく吸い付けば、口を離すのも惜しいほどの甘い味がするのではないかとさえ思えるのだ。  ――なんて芳しい。  麗はよくも耐えられるものだと唾を飲む。 「いないとは、どういうことだ」  青は蒼白になり、麗が手を下したのではないか、もしくは屋敷から追い出したのではと焦燥に駆られる。しかし頑なな紫を見れば、その固い口を無理にこじ開けさせることもできない。いないと言うのだから、命は無事なのだろうと思い、青は崩れるように腰を下ろした。 「兄上。わたくしの勝手をお許し戴きたくて参ったのです。身動きの取れない兄上を前に、明日、花見にでかけることになっております。忍びないとの思いをどうか汲んでくださいますよう」  紫の痛ましげな様子に断るわけがないと青は少し困った顔を浮かべた。 「自由に出歩いていい。紫の好きなようにして構わないのだから」 「こりずにまた、兄上のところへ、足を伸ばしてもよろしいでしょうか」  どうかこのふしだらな妹を拒まないでほしいとの思いを抱きながらも、もし再び彼の素肌を目にするようなことがあれば、押さえようもなくなるのではないかと恐ろしく思うのである。  殊勝に装う紫の姿に青は笑みを零した。 「いつでも来るがいい」 「なんて嬉しいお言葉」  甘く吐息をもらし、紫は深く額ずく。几帳の裏へと消える間際にもう一度、青を目にかけて嫋やかに頭を垂らして後にした。

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