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第7-6話

 紫の胸は弾み、暖かな気分に雲を渡るような足取りで北殿へと急ぐ。この思いを一息に語ってしまいたかった。兄は清瀬に催花され、以前にも増して心を狂わせるほどの春色をまとっている。残すのは入液に出液。梅や桜の枝を指さしながら、紫はうっとりと目を細めた。  なんとも清瀬が羨ましいばかりである。ただ触れる彼の手にいやらしく、卑猥な声を上げたのであろうか。初音はどのように鳴いたのか。か細く、不慣れに掠れた声であろうか。それとも清瀬の穂も思わず怒張するほど甘く、縋りつくような艶やかな声……。  その身体の肉は離しがたいほどに気持ちよく、忘れがたい夢を見させるに違いない。  快楽に苦しめられる兄の乱れた姿は恐ろしいほどに心を掻き立てるはず。何度と交わりを望んだところでたったの二度しか許されないのだから、清瀬も麗同様執着に燃えるはずである。彼の肌を誰にも見せたくないと。挙げ句に凪などという侍従との特別な関係を目にしてしまえば、その燃え上がりは尽きることがないだろう。  しかしはたと気を引き締めて付き従う女房を目にかけた。  心の内を明かすこともせず、ひたすらに思いを隠し続けている凪。その凪は、青を探しに出ていったきり戻っていないのだ。 「凪の事を、調べていただきたいのですが」 「凪殿がいかがいたしましたか?」  顔を上げる女房に紫は袖を手にかけて口元を覆う。 「凪がどこにいるか、気にしていただきたくて。兄上のためにも是非お力を……」  鹿氏の種付けが終わった後、青をもらい受けるつもりとは、屋敷中の知るところである。手数を入れられた青を欲しがるとはどこまでも一途な男。役目を終えた花一族の男児は一族の氏に雑色として召し入れるとはいうが、果たしてどこまで事実かも知り得ないのだ。幼なじみの男の元へ行けるというのなら、青にとってはこの上ない幸福に違いない。そんな凪が行方知れずのままでは、麗からの執着から逃れる手がなくなる。 「姫君のご要望とあれば」  瞼を伏せる女房はそんな紫の思いを受け取り、素早く踵を返す。  その足取りを横目に見送って青を取り巻く男たちを垣間見た。  浅黒く日に焼けた健壮な姿はない。必ず青の傍にあり、どこへ行くにも目障りなほど付き従っていた男。青を萩の花と思えば凪は撫子の花のよう。そう、何度思ったことか。  紫は裾を引いてそっと立ち去った。

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