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第9-6話

 すると氷の粒が舞うような霧の中から、草原に揺蕩う薄のごとくふらりと歩みを進める少女の姿が見えてくる。 「あにうえ……!」  草笛のような甲高い声を上げ、地を這う少女の姿に清瀬は立ち止まる。 「構っている暇はない」  冷淡に吐き捨てるベベを横目に睨み付け、清瀬は歩み寄る。  ベベは舌を打った。清瀬を一人にするわけにはいかないとわかってはいるが、しかし種を手に入れるために協力しているようなもの。苛立ちを抑えることもできず拳を振り下ろした。 「おい! 戻れ! 迷子になってもしらないぞ!」  怒鳴りつける声を後ろに聞きながら、清瀬は少女の手を取る。 「何をしている」  はっと顔を上げる紫は、狩衣姿の清瀬に凜と冴え渡っていくような高貴な気配を感じ取る。鹿氏、その名が閃くほど、彼の真男鹿ぶりの神々しさに目を奪われた。  鹿が恋い慕う花の妻は萩の花である。青と並べば見劣りしない彼の美丈夫さはますます青を美しく際立たせるはず。もしや、彼こそが鹿氏の清瀬。紫は思わず、あの洗練とした青の身体にどこまで触れたのかと問いかけようとして、そんな場合ではないと唾を飲み込んだ。 「突然霞がかかり、何も見えなくなってしまったのです。屋敷の影も見失ってしまいました」  膝を下ろす清瀬の目は肌を透かす単衣にとまり、その上に自らの狩衣を着せた。薄汚れた少女の姿では屋敷のはしためと相違ない出で立ちではあるが、美しい髪はカラスの濡れ羽色に違いなく、それは青々として見えるほどの艶やかさである。 「どこの屋敷だ」 「萩氏の屋敷です。兄上に、急いでお伝えしなければならないことがあります」  清瀬は目を見開く。  萩氏の屋敷、兄上とは青のことに違いない。急いで伝えなければならないこととは一体。  しかし、と手を伸ばした傍から消えていくような怪しい煙の中を手探りに進もうとすると、背後からベベが現れた。 「迷子になるといっているんだ」 「おとなしくついてくればいいだろ」  紫を置いてはいけないと目を配る清瀬に、ベベは舌を鳴らして彼女の身体を抱き上げる。膝を抱くベベの力強い腕に驚きながら、紫は思わずベベの頭に手を触れて、咄嗟に小さな悲鳴を上げた。 「暴れるなよ」  紫は頬に朱を散らし、瞼を伏せてベベの声にこそばゆく笑う。 「殿方の身体に触れるのは初めてのことです」  ベベはため息をのみ込んだ。萩氏の屋敷、青を兄上というのであれば、彼女は妹の紫。婿入りの男が怪士で、その怪士がこのベベだとはつゆほどにも思わないであろう。 「この霞の中でも屋敷の場所がわかるのですか?」 「青は屋敷にはいない」 「では、どちらにいらっしゃるのです」

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