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第9-7話

 食い入るような問いかけに、ベベはなんとも気丈な娘だと鼻をならす。この娘は琴と筆しか手にしたことのないような雅な手に、蕾を愛でるための愛らしい声を持つ。屋敷を抜け出す青と違って繊細な姫君が、怪士と聞いただけで気を失うかもしれない。  ベベはにやりと笑みを浮かべた。 「怪士の住処だ」 「ヤンとギューのところ?」  大きな瞳を瞬いて、紫はそっと顔を近づける。  やはり兄妹。驚きもしないのか、と、ベベは皺を寄せた。 「あの兄弟を知っているのか」 「凪を、彼らにお願いしたのです」  清瀬は思わず振り向く。 「凪がどうかしたのか」  戸惑う紫は唇に指先を触れ、流し目に清瀬を認めながら悩み抜いた。凪の傷は誰につけられたか定かでない。しかし鹿氏の仕業であれば清瀬が驚くはずもない。さては麗が内密に人を向かわせたのだと踏んだ。 「酷い傷を負っていました。まだ息のあるうちに兄上に会わせたいのです」  頭上にさしかかる枝は蛇のように柔らかく首をもたげ、木の根は獣の足のように張り出している。霞の絡みつく森を抜けたとき、その行く手の先で軍旗を背負った一団を捕らえる。  旗印は萩氏。六、七人の武士たちが雪のように被さる草原の端を駆けていた。  先頭を走る男の指物は麗を示す。  清瀬は目釘を湿らせた。 「先に。後で合流しよう」  武士たちの行方を追おうと踏み込む足に、煙を縒りだしたベベの指先が弓と靫を握りしめる。矢種は四つ。それを清瀬に放った。 「思い通りに扱え。でないと矢は野に放たれた途端、野生を取り戻す」  靫を背に抱え、弓を掴む。声を背に応じながら、股立をとると素早く駆け出した。  見晴らしのいい場所といえば点々と佇む松の木くらい。清瀬はよじ登り、旗印を翻す男たちを見据えた。  片肌を脱ぎ、差し矧げる。ハッと、射かける矢は風を切り、ビュッと唸って彼らの足下に突き刺さる。  その襲撃に足を止める男たちは矢羽根の先を辿って清瀬を見つけだす。  麗の血走った眼が清瀬を睨み、その交わる視線に息を呑む。  ――殺せ。  そんな声が聞こえてきそうなほどであった。  飛びかかるように駆け出す武士たちに、清瀬は再び矢をつがえて静かに呼吸を繰り返し、狙いを定めて弓を振り絞る。続けざまに二本、三本と放つと、鋭い音を響かせる矢は白頭の鷲と姿を変えて力強く羽ばたき、もう一つは白虎となり白い山を跳ね上がった。  荒々しく蹴立てる脚が白煙を上らせ武士へと飛びかかる。降りかかる刀を避けつつ二頭の獣は次々と身体を食い破っていく。  そんな中、清瀬の放った四本目の矢は次第に蛇となり、それは雪の波を連れ雪崩を起こし彼らをのみ込んだ。  とどめを刺さずとも雪に埋まればどのみち命は助からないはず。清瀬は雪煙を睨み付け、素早く身を翻した。  ベベらの元へ戻る間に、一本目の矢はゆったりと姿を変え、身の丈を越えるほどの大きなヤモリが現れた。  澄んだ空気を漉して聞こえる討伐の足音に、清瀬は身軽に雪上を駆けながらあのヤモリだけでは不足だろうかと足を緩める。背後の森にはベベの作った霞が立ちこめている。あの執念深い麗は雪に埋まっただけでは簡単に這い上がってくるような気がするのだ。しかし所詮彼も人の子に間違いはない。  清瀬は踵を返し、先を急いだ。

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