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第11-4話
ヤンは花径の種と交換するつもりだと言っていた。あのとき青の花は枯れていた。だから恋心を持って行かれただけ。
無駄な喪失ではない。ベベを恨む必要もない。ミズグモの言うことを信じて大切なものさえ見失ってしまっては、それこそ清瀬の隣に相応しくない。
「戻らないと」
青は吐き出すようにこぼした。凪の姿が戻ったとして彼の命は助からない。姿などどうでもいい。命さえあれば。
だが、もう何も手立てがない。
迫り上がるような壁を前にして、青は穴の外へ出ることができず呆然とした。
だが、と思い出す。炎の波から逃げるとき、他の穴から外へ出たはずではなかったか。
青は大きく息を吸い込み、水中へと潜っていく。水の流れは次第に緩やかに青の身体を導き、融け出した川へと流れ出る。
はっと顔を上げ、岸へと上がるとびしょ濡れの衣のままヤン・ギューの家へと向かう。そのとき、開戦の火蓋が切って落とされた。崖の上には萩氏の旗印と、将軍の馬印が揃っている。
「まさか、父上」
慌てて駆け出す青は、垣根の後ろから対する鹿氏の武士たちを見つける。待ち構える鎧姿の男たちの中、清瀬の姿を探して視線を走らせた。
崖の上からは次々と砲弾が打ち込まれ、背後の山を削り土砂が流れる。その平らとなった崖を、萩氏の武士たちが勢いよく飛び出した。
豪雨のように降り注ぐ矢が武士らの額を貫き、喉笛に突き刺さる。
怪士たちが身を低くして駆け出し、萩氏の旗印へと飛びかかっていた。
その凄まじい勢いと血肉の匂いに、青は血の気が引いていく。
清瀬。清瀬は無事か。
「青、ここを出ろ!」
背後から抱き込むように口を塞ぐ清瀬の手に、青は顔を上げる。
思わず涙が込み上げて、彼の頬にすりよった。
「一人ではどこにもいけない!」
「いうことを聞け。失いたくない。二度と手放すのはごめんだ」
抱き上げる清瀬の腕に青は藻掻く。
「清瀬、一つ、謝りたいことがある」
「頑固なことか?」
ふと、和らいだ彼の眼差しに青は苦く顔を歪め、彼の首に手を触れた。
「違う。あんたを殺そうとした!」
朱色の瞳は優しく色を浮かべて、そぼ濡れた青に視線を落とす。
「殺す気がなかったことくらい知っている。茵にのらず、枕にも手を伸ばさないお前のことを信じていた」
「妹の婿に種を渡すことも」
「それでも俺に残すつもりだったのだろう」
全部見抜いていたというのか。
あんなにも頑なに隠していた清瀬への思いも、絡まるほどの熱い思いを抱いていることも、彼は知っているのだろうか。
「せめて、俺の種をあんたにもらってほしい」
清瀬は激しい動揺を押し隠しながらも二の句が継げず絶句した。青はしまったと顔色を変える。こんな時に何を言っているのだと呆れているのだと青は思った。
「冗談だ。今すぐ下ろせ。こんな時だからいったんだ。何も残せないのは嫌だから。状況をわかっていないわけじゃない」
慌てて顔を背けて、清瀬の身体を押しのける。その腕を解こうと掴む青に、清瀬の声が低く囁いた。
「少し、痛いかもしれない」
「痛い――?」
途端、清瀬は歩みを止めて青を下ろす。冷たい水面が衣を濡らし、凍えるほどの寒さに青はハッとして身体を跳ね、清瀬の首にしがみつく。
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