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第2話
「やる気でねぇー」
バーの夜ははまだまだこれから、な午後十一時。
俺は鏡の前でオールバックにした黒い髪を整えながら一人でため息を吐いた。
凛々しく見えるように整えた眉毛、笑っていないと怖いと言われることもある濃い二重の目がこちらを見ている。
それに加え高い鼻と分厚い唇という、彫りが深い造形と白い肌が理由で、子供の頃からハーフかと聞かれることが何度もあった。
ちなみに、男女問わずモテるし男女共にいける。
特定の恋人がいたのは二十四の時が最後だから、もう五年もワンナイトやセフレでやりくりしている。
そんな三十前の男が、一年もただ一人の男を眺めにカフェに通っているとは誰も思うまい。
そして今日、仕事に身が入らないのはそのバリスタが原因であった。
いや、原因と言っても本当に一方的なものだが。
「お気に入りのバリスタが休みだったからってそんなテンション下げなくてもー!」
バックヤードから店内に戻ると、後輩の木下 がグラスを拭きながらデカい声で笑う。
頸近くで結ばれた茶髪が声に合わせて揺れた。
俺がカウンターの下で思いっきり足を踏みつけてやると、ベビーフェイスに似合わない、カエルが潰れたような音が喉から鳴るのが聞こえてくる。
ざまぁみろ。
「一応、お客さまの前だぞ」
「一応って……俺は歴としたお客さまだぞ」
透明な色の液体の入ったカクテルグラスに口をつけて、目の前の男も笑う。
黒縁眼鏡の奥にのぞく目は、お気に入りのおもちゃを見つけた子どものように煌めいている。
この清水 は常連客の一人かつ、俺の高校時代からの腐れ縁の男だった。
お互いの好みや性癖まで良く知る関係だ。
「だいたい、一年もストーカーしてたら休みの日があることくらい知ってるだろ」
「そうなんですよ! その度にこんな感じなの、どうかと思いますよねプロとして」
「喧しい。お前もこの間フラれたからって目の周り真っ赤にして出勤してきただろーが。それよりはマシだマシ」
「それぶり返さないでください! ようやく立ち直ったんですよ俺!」
無駄話に花が咲く。
落ち着いた音調の洋楽が流れる店内は薄暗くしてあり、ランプが手元を照らしている。テーブルは光沢のある黒色で、椅子もクッション部分は黒い革の素材だ。
カウンターに立つ俺たちバーテンダーの背後には、酒瓶がずらりと、ラベルが見えるように置いてある。
サラリーマンが仕事や食事の後に立ち寄ることが多いこの店は、日曜日の今日は客の入りがゆったりだ。今なんか、客は清水一人だけしか居ない。
余計にやる気が出ないというわけだ。
「よくまぁ手の早いお前が一年も見てるだけですんでんなぁ…感心する。仕事終わんの待ち伏せすりゃいいのに」
「その時間には俺は仕事してんだよ。圧倒的に時間が合わねぇの」
休みの日に店に行って、終わるまで居ようかと思ったことが何度もある。
だがその度、万が一にも落とせなかったらもう店に行くことすら出来なくなると思い留まった。
その日限りの関係であればフラれてもじゃあ次、となるのだが。
一年も思いを拗らせてしまった結果か、年のせいなのか。
ようやく、少し雑談が出来るほどになってきたのを無に帰すようなことはしたくなかった。
ふと目線を落とすと清水のグラスが空になっていた。
「次、なんか飲むか? それとも……あ、いらっしゃいま……せ……」
もう中身の無いグラスへと手を伸ばすと同時に、チリンチリンと高い鈴の音が鳴った。
入り口に営業スマイルを向けてから俺はグラスを取り落としそうになる。
奇妙な声が出そうになるのを空気と共に飲み込んだ。
そこに立っていたのは、サイドアップバングにした茶髪、ダークスーツに白い光沢のあるネクタイを締めた美男。
そう、あのカフェのバリスタだった。
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