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第3話
いつもと雰囲気の違う服装だろうと見間違えるはずがない。
俺は上から下まで舐めるように見てしまう。それほど、スーツ姿が衝撃だった。
どこも露出していないのに、醸し出される色気に充てられて見ているだけで勃ちそうだ。
(かっっ、かっこよすぎる……!)
「いらっしゃいませー!」
笑顔のまま固まってしまった俺の代わりに、木下が声をかけて席に案内した。清水とは二つ席を空けて座らせる。
そのまま注文を取ろうとしているのに気がついて、我に返った。ぼんやりしている場合ではない。
これはチャンスかもしれない。
「こんばんは、小金澤と申します。ご注文は何になさいますか?」
我ながら異様に素早い動きでお通しのナッツを皿に出し、テーブルに置きにいく。
興奮がバレないように穏やかな声を出しながら、名刺を差し出した。最近、デザインを新調したお気に入りのものだった。
カウンターの裏では木下の足を軽く蹴ってあっちへ行けと促す。意外と察しのいい木下は何も言わずに俺の足を小突いた。
そして、興味深そうにこちらを見ている清水の方へと移動していく。
「こんばんは、 春日 孝明 です。カカオフィズをお願いします。」
「春日さま」
噛み締めながら名前を復唱する。
名前を知ることができたことに、拳だけで小さくガッツポーズをとった。
一年かかってようやくだ。
しかもとても自然な流れで向こうから教えてもらえた。律儀にフルネームを。
そうか、春日孝明というのか。それで「タカ君」と呼ばれていたのか。
「カカオフィズ、甘味と酸味と炭酸とのバランスが絶妙ですよね」
心の中で小躍りしながら、早速背後の棚からリキュールの瓶をとり出し声を掛ける。
すると、爽やかな笑い声が聞こえた。
「あはは、実はカクテルって、カルーアミルクとそれしか飲んだことがなくて」
「へぇ、なんだかバリスタっぽいな」
「……え?」
カクテルの材料をシェイカーに入れながら微笑ましい気持ちになっていると、戸惑った声が耳に入る。
(しまった、やっぱり俺に気づいてなかったのか!)
毎日のように通っているとはいえ、髪型が違えば与える印象も全然違う。
普段フレンドリーに話しかけてくれる人が敬語だったのだから気をつけるべきだったのに、舞い上がってしまった。
嫌な汗が背中を伝う。
恐る恐る顔を上げると、こちらを真っ直ぐ見つめる瞳と視線が合った。
店内の照明が暗いせいで気がつかなかったが、よく見ると目元は赤みが差し少し潤んでいた。
おそらく彼はすでに酒が入っている。
不審に思われている最中だというのに、艶のある表情に鼓動が大きく鳴った。
「気づいてたのか!」
「え?」
口角を上げた明るい表情と声に、俺が聞き返す番だった。
こちらの混乱に気づいているのかいないのか、バリスタは照れ臭そうに髪に手をやって言葉を続けた。手の甲の骨格が男らしく綺麗に浮いている。
「今日、色んな人から『パッと見じゃ誰だか分からない』って言われたからさ。なんか嬉しいよ!」
「確かに、普段と全然雰囲気が違うな。普段と言っても、カフェでバリスタやってる春日さんしか知らないんだが……」
「プライベートもあんな感じだよ。もちろん、服はもっとラフだけどな」
カウンターに腕を置いて朗らかに話す様子に、気分を害したわけではないと分かり、安堵して作業に移る。
複数人と話す状態で、白ネクタイを締めているということは結婚式にでも参加していたのだろうか。
どのくらいの頻度で会う相手なのかは知らないが、仕事前には必ず彼の姿を味わいにカフェへ赴く俺ほどではないだろう。
会ったことのない誰かに優越感を覚えながらシェイカーを振る。
液体と氷が混ざる音を聞きながらこちらを見ている春日は「テレビで見たやつだ」と楽しそうに呟いた。
「バーは初めて?」
「そう。入るの緊張して入り口のとこでちょっと看板と睨めっこしてた!」
「じゃあ、また来たいって思ってもらわないとな」
こんなに見てくれの良い男が店の前で立ち往生している姿を想像すると微笑ましい。
可愛すぎる。変な奴に声をかけられなくて良かった。
カクテルを混ぜたマドラーに口をつけて味を確認する。カカオの甘みと爽やかなレモンの香りがいい具合に舌に乗って唇を緩めた。
「お待たせいたしました」
ロンググラスを満たす透き通る茶色、その上をレモンとチェリーが彩る。
テーブルに置くと、バリスタは礼の言葉を落としてすぐに手に取った。
グラスの中を興味深げに眺める姿に見惚れる。唇からアルコールが流れ込み、喉が動く様子はやけに扇情的に俺の目には映った。
初めの一口をゆったりと味わうように目を細めている。
「美味しい!」
弾む声での賞賛は、人の少ない店内に響いた。
すでに回っているアルコールのせいか、想像より大きな声になってしまったらしい。口元を押さえて恥ずかしそうに謝罪する声は消え入るようだった。
体は大きいのになんと愛らしいことか。
カクテル言葉、というものがある。知っていても知らなくても好きな味のものを飲めばいいのだが、知っていると話の種くらいにはなるものだ。
カカオフィズのそれは「恋する胸の痛み」。
甘酸っぱいその味にピッタリな言葉だった。
その話をした時に、
「しばらくそんな恋してないなぁ」
と目を細める様子もまた、こちらの目には楽しく映った。
過去の恋人でも思い出しているのだろうか。
「へぇ、じゃあ今はフリーなのか。モテそうなのに」
「はは、ありがとう。今の恋人はコーヒーかな~なんてな」
と、カクテル言葉をダシにしてこんな風に有益な情報を得られることもあるのだ。
そのまま春日は日付が変わる頃まで店に居た。俺がカフェに行くのは丁度忙しい時間帯のため、こんなに春日とゆっくりと話したことはなかった。
酒のおかげか元々の性格なのか、とても饒舌でずっと笑っている姿は仕事中のイメージを崩さない。
そして、完全に酔い潰れてしまったらしい彼はテーブルに突っ伏して寝始めてしまった。
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