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第7話

   身体を重ねた夜から、俺たちの関係は変わった。  俺が一方的に店に通う客だったのが、向こうも俺のいる店に週一で来てくれるようになった。土日の方がうちの店は空いていると雑談の中で話したら、日曜日に来てくれるようになったのだ。  必ず来てくれるとも限らないのに、店長に頼んで日曜日のシフトは全部埋めて貰った。我ながら、子どものようなはしゃぎようだ。  そして期待通り、六週連続で通ってくれている。 「俺も明日休みなんだ!」  半分ほどになったグラスをテーブルに置き、春日が瞳を輝かせた。  何気ない会話の流れで「明日は休みだから映画でも行こうかな」と言った時だった。  身を乗り出す勢いでこちらを見る笑顔が可愛すぎる。尻尾を振る大型犬の様だ。  何を言わなくとも、「一緒に過ごそう」と言われているのが分かる。  俺としても、これをスルーする気はない。駆け引きの「か」の字もなく食いついた。 「じゃあ、明日一緒に出掛けるか。休みが合うなんて珍しいからな」 「行こう行こう! 見たい映画あるか? あ、でも一人で見たい派なら食事だけでも………」 「いや、そんなこだわりは皆無だ。一緒に観よう」    そういうわけで、翌日の昼過ぎに映画館で待ち合わせることになった。  初デートということで服装に迷ったが、どうせ私服を知られている仲だ。  いつもと同じようなグレーのジャケットに黒いシャツ、ベージュのチノパンにした。  春日は白いインナーの上に長袖のブルーグレーの襟付きのシャツを羽織っていて、ボトムスはライトベージュの緩やかなデザインだ。  似合う。爽やかにキマっている。やっぱり顔もスタイルも良い。  ベージュのパンツが被ったが形も色の濃さも違うし無難な色だから仕方がないな。  少しずつ会話が出来るようになってはいたものの、最近までは眺めているだけのファンのようなものだったのだ。街中で並んで歩けるとは思ってもいなかった。  幸せを噛み締めていると、自然と口角が上がる。   ◆  映画が終わり、部屋が明るくなると共に長くため息が出た。知らず知らずのうちに作品にのめり込んで体が硬直していたようだ。  隣を見ると、どうやらそれは春日も同じようで、平日の人が少ない座席で腕を思いっきり上げて伸びをしている。 「犯人、分かったか?」 「んー、なんとなく分かったけど、トリックとかはさっぱりだった」  へらりと笑う表情に更に気が抜ける。  先日来ていた客が教えてくれた推理物の映画を観た。なんでこんな時に一人になるんだよ! ほら殺された! というようなお決まりもありつつ、主人公二人の軽快な掛け合いが愉快な物語だった。  そんな映画だったから、暗い中でのロマンスは皆無だったのが惜しいところだ。集中しすぎて体を寄せたり手を触れ合わせたりなんて暇はなかった。  何のための映画館だよ、しっかりしろ俺。  しかし、あそこがあーだった、ここでびっくりした、など、感想を周囲に気を遣って小声で話しつつ自分とは違う感性や視点を楽しめた。普通に考えて、このための映画だよな。    映画館を出てから、春日のおすすめの喫茶店がこの近くにあるというのでそこでお茶することになった。  本当は春日のコーヒーが飲みたいところではあるが、今日は休みだから仕方がない。  店内は照明が暗めで落ち着いた雰囲気だった。  明るい茶色の石造りの壁には抽象的な絵が飾ってあり、ダークブラウンの床には似た色のテーブルが並ぶ。  案内された二人掛けのテーブル席に向かい合わせに座った。深緑の椅子は、クッションがふかふかで座り心地が良い。  春日が黒い表紙のメニュー表を手に取るのを見ながら、他の席にも軽く目線を走らせる。  女性が多い店内だったが、ブレザーを着た男子高校生が二人、四人掛けの席に横に並んで座っているのが目に止まった。  もう放課後の時間なのだろうか。  片方のスマホを覗き込んでいる、おそらくカップルだ。  距離が近いのはあの年代ならよくあることだが、よく見るとテーブルの下で指を絡め合っているのが見えた。初々しい。  バレていないと思っているだろうところがかわいらしい。  あんな頃もあったと懐かしさを感じながら、女性の店員に一番シンプルなコーヒーを注文する。コーヒー豆を挽く音が聞こえ、程なくして香り高いカップがやってきた。  真っ白な飾らないカップを持ち上げ、さっそく口に含むとさすが、おすすめするだけあってうまい。口に広がる苦味も酸味も、俺はとても好みだった。 「うまい」と呟いた俺をみて、同じくカップに口を付けていた春日は「良かった」と顔を綻ばせる。 「ここ、友だちの夫婦がやっててさ」 「へぇ……」  春日の優しい視線は、カウンター内にいる男性へと向いた。若いが、ここの店長らしい。視線に気づいたその人は軽く手を上げて明るく笑った。  類は友を呼ぶのか、爽やかな印象の人だ。春日は手を振り返した。 「あいつのコーヒーを初めて飲んだ時、感動して……」  学生時代、すでにコーヒーに精通していた彼に淹れてもらったことがきっかけでバリスタを目指すようになったらしい。  美しく、大切な思い出を浮かべる表情は少し艶めいて見えた。 「……もしかして」  好きだったのか、と聞きたかったのだが。  言葉を出し切る前にやんわりと首を横に振られる。カップを持っていない方の手が、テーブルの下で密かに膝を撫でてきた。 「もしそうなら、わざわざ小金澤さんに言わないさ」  真っ直ぐこちらに向けられた瞳も声も真剣な色を帯びていて、心臓を撃ち抜かれる心地だ。触れられている箇所が異様に熱く感じる。  なんという思わせぶりな言い方をするのか。これは、脈アリだと思っていいのだろうか。  俺は例え恋人だったとしても、昔の恋を許容するくらいのことはできるつもりではあるのだが。わざわざそこを知りたいとも思わないので、違うのならそれはそれで嬉しいものだ。 「はは、良かった……って、言うのは変だな」 「変かな?」  カップを片手に緩やかに微笑む姿は、このカフェに似合っていて絵になる。 「違うか?」  曖昧な返答をして再びコーヒーを舌に乗せた。  空いている手の指を、膝にある手の甲に円を書くように触れさせる。軽く指を絡ませあった後、すぐに手は離れていった。  お互い、核心には触れないままで探り合う。それもまた、恋愛遊戯の面白いところだろう。 「そういえば、小金澤さんていくつだ?」 「二十九。何でだ?」 「なんだ二つ上か~! 人のことボウヤ呼ばわりするほど離れてないじゃないか」 「一歳差だろうと十歳差だろうと、年下は年下だろう?」  頬杖をついて首を傾げると、「えー」と、不満そうに唇を尖らせる。  仕事中は本当に穏やかな落ち着いた男に見えるのに、表情豊かな様子はどうにも幼く見えた。  二つ以上年下なんじゃないかと感じてしまうくらいだ。  その違いもまた、胸をくすぐってきた。  

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