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第8話
コーヒーを堪能した後は、特にあてもなく街を歩く事にした。
しばらく行くと、目の前で信号が赤色になった交差点で足を止める。その瞬間、まるで待ち構えていたかのように声をかけられた。
「ねぇねぇ、お兄さんたち二人だけ?」
振り返ると、二十代前半くらいに見える女の子が二人立っている。黒い髪のストレートのロングヘアの女の子と、パーマがかった茶髪をアップにしている女の子だ。
時間や場所を考えると、商売で声をかけてきたわけではないだろう。純粋にナンパをしてきている。
「ああ、そうだよ」
「わぁ! 私たちも二人なの! 良かったら一緒に夕飯どう?」
緩く笑って答えると、声のトーンを上げて二人はもう一歩詰め寄ってきた。
もし一緒にいたのが清水であれば俺は、「茶髪の子にするな」と喜んで乗っただろう。アイツとは好みが被らないからすんなり決まるはずだ。
しかし、今一緒にいるのは、ようやくデートに漕ぎ着けた相手だった。
出来れば邪魔をされたくはないという気持ちと、もしかしたら春日はこの子たちと一緒の方が良いかもしれないという気持ちがせめぎ合う。
返答に迷いながら、「決めてくれ」とアイコンタクトを送る。意思が伝わったのか、春日が口を開いた。
「はは、ありがとう。でも今日はこの人から大事な報告があるらしくてさ。また会えたら、こっちから誘うよ!」
明るい声であっさりと嘘を混じえて断ってしまう。「大事な報告」と言ってしまえば、他に相手がいる可能性もなんとなく匂わせられる。
残念、と唇を可愛らしく尖らせながらも彼女たちはあっさり引いて行った。
「……こ、断っちゃったけど、良かった……?」
ゆるく手を振りながら、今度は歯切れの悪い言葉と共に横目で見てきた。
不安そうに眉を下げる様子に、口端を上げて肩を叩く。
「もちろん。こんなにいい男といるのに他に目移りしないさ」
「口が上手いなぁ」
余裕ぶってはいるが、心底安心した。断ってくれてよかった。
信号機の音が鳴る。顔を上げると、今の間で丁度青信号に変わっていた。
何事もなかったかのように、横断歩道へと足を進めていく。
「ところでお兄さん。良かったら夕飯も、一緒にどうだ?」
「ああ、喜んで」
「いいカフェを教えてくれたお礼に」などと理由を付け、行きつけの居酒屋を夕飯の場所に選ぶ。
料理や酒が美味いのはもちろんなのだが、少し道を行けばホテル街がある。デートをする時にはよく使う店だった。
店員は顔馴染みなため、俺が来るたび違う顔を連れてきていることには気付いているだろう。いや、同じ人間を連れてくることもあるのだが。
なんにせよ、余計なことを言ってこないから助かっている。
男女問わず相手をするからか、男といる時には友人だと思うのだろう。「前に一緒に来てた人がこないだ来てくれたよ」などと悪意なく言ってくる店もあるのだ。
その時の空気は了承しあっているセフレであっても辛いものがある。
「ここの料理、美味しいな!」
二人用の個室の座敷で、春日はニコニコと箸を動かす。食べっぷりも良いし、食べ方も飲み方も綺麗で一緒にいて本当に楽しい。
ベッドの上で、穏やかながらも俺を蹂躙していた男とは思えない。己の邪な欲望が洗い流されそうなほど、癒される。
「気に入ってもらえて何よりだ」
しかし、この穢れを知らぬとでもいうような笑顔が快楽に喘ぐところはどうしても見てみたい。
抱かれるのも正直相当気持ち良かった。
あの後、一度自分で後ろをいじってみてしまったくらいだ。セフレになれたら、また抱かれてみるのもありかもしれないと感じたのは初めてだった。
でも、やはり抱いてみたい。俺はあくまでもそちら側の人間なのだ。
軽く酒を入れたが、お互い酔っているというほどではない状態で店を出る。動けなくなったら何の意味も無くなってしまう。
「……この後はどうする?」
隣に視線を向け、手に指を絡ませる。
酒でほんのり色づいた目元がふわりと泳いだ。
「どう……って……お互い、明日は仕事だから帰ろうか」
真っ当なことを紡ぐ声に、戸惑いと迷いが見える。捕まえられそうだと、そう感じた。
「帰るのか?」
俺は、店のすぐ横にある狭い路地裏に春日を引き込んだ。うまく対応出来ていない内に、全身を密着させ壁に背を押し付ける。
「なに、……っんぅ!」
抵抗させる間も与えずに唇を塞いでしまう。
柔らかく吸いながら唇を動かすと、驚いていた目がトロリと熱を持ってくるのが分かる。
隙間から舌を差し込み、中をゆっくり舐め上げる。繋いだ手を強く握られるのを感じた。
「帰さないって、言ったら?」
唇を離して至近距離で見つめる。触れ合う胸が酸素を求めて大きく動いた。
「っ、は……小金澤さ、待って……!」
自由な方の手で肩を押されるが、構わず首筋に口を触れさせる。膝を股間に押し当てると、僅かに形を持ってきているのが伝わってきた。
「ダメだ、こういうのはちゃんと……!」
「……ん。じゃあ、移動するか?」
焦った声も真っ赤に染まった顔も可愛い。
耳に息を多めに送り込みながら囁き、膝を動かす。
小さく息を飲む音がした。
「……っ。そ、そうじゃなくて……! す、好きな人と、するものだから……っ」
目を瞑り、必死の声で紡がれた言葉。
とても真っ当な、反論できない言葉のはずだ。
しかし完全に感覚が狂ってしまっていた俺は、目を瞬いて復唱してしまう。
「……。 好きな人」
「なんでそんな不思議そうなんだよ」
まだ熱の引かない顔が、訝しそうに歪む。
俺は口元を片手で覆って目を逸らした。
「ここのところ、セフレか一回きりの相手としかしてなくて」
「セフレ?」
驚きの滲んだ音で復唱される。
寝た時の感じからすると、遊び慣れているのだと思っていたが違ったのだろうか。
押し倒してきた時の手際も、抱き方も、最中の話し方も。場数を踏んでいると感じたのだが。
もしも、通常は恋人としかセックスしない価値観なのだとしたら、俺は墓穴を掘った可能性が高い。
「お、俺は! 小金澤さんのそういうのになる気はない、から……!」
「……」
目線が合わなくなった。
うろうろと様々な方向を見て、何か言おうとしているのをただ眺める。
胸の中心に絶望的な感情が渦巻き始めた。
「だから」
「そうか、悪かった。嫌な気持ちにさせてすまなかったな?」
続きを聞くのが怖くなった俺は、最後まで聞いてやることもせずに絡めていた手を解いた。あくまでも余裕のある笑顔で肩に手を置く。
手が震えそうになるのをグッと堪えた。
「小金澤さん?」
無理矢理連れ込んだくせに、先に路地裏から足を踏み出し春日に背を向ける。格好つけて片手を上げ、ひらひらと振ってみせた。
「コーヒーはまた飲みにいくから、バーにも来てくれよ。」
「ちょ、待って……っ」
待てなかった。
俺は声を振り切って早足で夜の人混みに紛れていった。
寒くもないのに体が全身冷え切っている。
断られるなんて珍しいことではあったが、初めてではない。
だが、呼吸が難しくなるくらいの衝撃に、自分の胸元の布を強く強く握りしめた。
やはり、カウンターは越えてはいけなかったんだ。
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