9 / 14

第9話

「つまり、フラれたと」  飲み切ったグラスを差し出しながらはっきりと告げられた言葉に舌打ちをする。割らないように気を使いつつも、その手にあるグラスをぶん取った。  ニヤニヤする瞳を覆う眼鏡を叩き割ってやりたい。 「うるせぇ黙れ」  口調も自然と荒くなる。  隣でグラスを磨いていた木下は本気で信じられないと言いたそうに目を見開き、大口を開けてこちらを見た。 「小金澤さんともあろう人が、そのくらいで引いて来たんですか! いつもならもっと押すでしょうに!」 「そうだよ! 俺ともあろうものが! それしきで戦意喪失して帰っちまったんだよ!」  拳を震えるほど握りしめる。  あの時は、何故か強く出ることが出来なかった。  認めたくないが、完全に心を折られてしまったのだ。  そのおかげで、昨日はどうにも腰が重くてカフェに行くことが出来なかった。  しかし気を取り直して、今日はいつも通りカフェに出向いたのだ。  行くと宣言はしてしまっていたから、行かないのも気まずいという気持ちもある。  店に入ると、仕事中なので当然ではあるが、変わらぬ笑顔で迎えてくれた。カウンターに座って世間話をして、美味いコーヒーを飲んで元気を貰ってから出勤出来た。  まるで何事もなかったかのようだった。前と何も変わらない。  それで良いはずなのに、どうしても胸にしこりが残る。 「あー! いけそうな空気だったのに絶対ー! しかも今日は日曜日なのに来ねぇし! もう帰りたい帰りたいー!」  届きそうで届かなかったことが悔しくて堪らなかった。  木下と清水しかいないのを良いことに、俺は仕事中にも関わらずカウンターの下に蹲る。 「落ち着け小金澤。本当にらしくないぞ。向こうにも予定ってものがある」 「どんな予定だよ!」  落ち着いた声で嗜めてくる清水に噛み付いた直後、来客を知らせる音が鳴った。慌てて背筋を伸ばして営業スマイルを作る。 「いらっしゃいませ!」  目の前の光景に心臓が止まりかけた。   俺は、最後まできちんと挨拶が出来ていただろうか。  きちんと笑えているだろうか。  そこに立っていたのは待ち望んでいた、全身俺好みの、緩やかに微笑む男。  そして、その隣には細身の美人な男が立っていた。 (そうか、こういう予定か)  頭が真っ白になっている。  注文を受けたカクテルを作っているのに、銀のメジャーカップを持つ指が震える。それでも手際良く作ることが出来るのは、日頃の訓練の賜物だった。  会話も、全く頭に入ってこないが何とか受け答え出来ている。  爽やかなオレンジ色のプレリュードフィズにレモンを添えた。 「ありがとうございます」   テーブルに置くと、涼やかな声と共に色白で中性的な顔が微笑む。男にしては細く、爪の先まで綺麗な指がグラスを持ち上げた。 (こんな感じが好みなら、酔ってでもないと俺なんて……)  ただ友人として接してくれていただけだったのに、こちらにその気があったせいで勘違いしてしまったのだ。思わせぶりに感じた言葉は、ただの友人への冗談だったというのに、本気で受け取ってしまった。  自分で思っていた以上に舞い上がって目が眩んでいた。  清水の言う通り、全くもってらしくない。    失敗を自覚してしまったからだろうか。だんだん息が苦しく感じてくる。  胸が痛い。  出したカクテルの味は、口に合っただろうか。  (なんで、セフレなんて言ったんだろう)  今から作る春日のカクテルは何だったか。  (せめて恋人になってくれと言っていたら、色々綺麗に終われたのに)  早く作らないと待たせてしまう。  雑念が頭をぐるぐる回る。 「……小金澤さん、大丈夫か?」  ついに手が止まってしまった俺に、春日が声をかけてくれて我に帰る。 「……っ! あ、ああ悪い! ぼーっとしちまってたな。すぐ作るから待っててくれ」  思い出した、ブランデー・フリップだ。ブランデーを取り出そうと、背後の棚に手を伸ばす。  ふと、今から作る飲み物のカクテル言葉を思い出した。 (「貴方を思う切なさ」か。変にタイムリーなの注文しやがって)  当て付け、ということはないだろう。おそらく知らないで注文しているだろうし。  それとも、隣の男への気持ちなのだろうか。  ついこの間まで、恋なんてしてないと言っていたというのに。  余計なことを考えるせいで溜息が出そうなのを飲み込んで、材料を準備していると、 「あ、でも小金澤さん、もう上がりの時間でしょ? 俺が作るから、そろそろ帰って大丈夫ですよー!」  木下が精一杯空気を呼んだらしい声がした。  現在は午後十一時半。通常、こんな時間に仕事が終わることはない。しかも、接客の途中になど。  だがそんなことは店側にしか分からない。 「もうそんな時間か。ほら、早く準備しろよ待っててやるから」  清水も木下の言葉に合わせて、まるで待ち合わせでもしていたかのようにバックヤードへの扉の方へ顎を動かす。  二人の助け船にありがたく乗ることにした。 「ああ、悪いな。じゃあ春日さん、お連れ様も、ゆっくりしてってくれ」  なけなしの理性で笑顔を向け、手を振って締め括る。  向こうの表情は全く見えていなかった。  そのくらい、限界が近い。  俺はバックヤードに引っ込んで、後ろ手に素早くドアを閉める。  そのままズルズルと床に蹲ってしまった。体も心も言うことを聞かない。  胸を締め付けるようなこの気持ちは一体、いつぶりだろう。  惚れていたとはいえ、この男を抱けたらどんなにか楽しいだろうって思っていただけのはずだったのに。いつの間にか、こんなにも変な方向に拗らせてしまっていたとは。 「良い年してバカかよ……」  泣き崩れるほどの情緒はなく、ただ小さく言葉はこぼれ落ちていった。  

ともだちにシェアしよう!