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第11話

 次の休日、いつもより一時間ほど遅くカフェに足を運ぶ。  仕事を早退した日からは来ることが出来なかった。たった数日来なかっただけで久しぶりに感じる。  気まずかったわけではない。決して。  ただ、顔を見たらいきなり口説き出してしまいそうだったからだ。 (仕事中なんだから。いきなり好きだとか言わないようにしねぇと……)  理性を保たねば。社会人として終わる。  よし、と心の中だけで気合を入れて店のドアを開けた。 「いらっしゃいませー!」  ハツラツとした声と共にポニーテールヘアの女性店員がこちらに笑顔を向けた。  入ってきたのが常連の俺だと分かると、「いつもありがとうございます!」と、更に口角が上がる。  店内を見渡したが春日の姿を見つけることが出来なかった。 (休みの日だったか? やっちまったな)  顔には出さずガッカリしながら、案内されたカウンターに座る。注文を聞いたその女性がバックヤードに入っていくのが見えた。  春日がいなくとも、いつもはすぐにコーヒーを淹れてくれるのだが何か問題でもあったのだろうか。  静かに溜息を吐きながら水のグラスに口を付ける。 「小金澤さん! いらっしゃい!」  再びバックヤードのドアが開いたかと思うと、頬を紅潮させた春日が元気に出てきた。驚いて変なところに水が入って咽せてしまう。 「あ、だ、大丈夫か!?」  慌ててカウンターから出てきて背中を摩ってくれた。ゲホゲホと咳を繰り返すと涙が滲んでくる。 「は、ぁ……、す、すまない。もう大丈夫だ」  なんとか落ち着かせて大きく息を吸い込む。そして、心配そうに覗き込んできていた顔に向かって笑いかけた。  ほっとした表情になった春日の手が伸びてくる。  不思議に思いつつも避けずに止まっていると、親指が目元に滲んだ涙を拭った。  その柔らかい手つきは、まるで大切なものを扱うかのようで。目を丸くして見つめてしまう。 「いつも通り、本日のコーヒーだな? すぐ淹れるよ!」 「あ、待っ……! ちょっといいか?」  慈しむような微笑みだけを残して通常運転に戻ろうとする春日の腕を思わず掴んでしまう。今度はこちらが驚かれる番だった。  向こうは仕事中だというのにやってしまった。  そろりと離すと、やり場のない手で瞼にかかる自分の前髪を払う。 「あー……今日、何時に終わる? 休みなんだ」  もっと格好つけて声を掛けるつもりだったのに、目線も合わせられずにボソボソと言葉を落としてしまった。しかし、そんな調子でもチラリと見上げた春日の顔は見るからにパッと輝いた。 「六時!」   ものすごく嬉しそうだ。まるで意中の人にデートに誘われたかのように。  かわいい。  自分から言っといてなんだけど、ホテルに連れ込もうとしていたことで二人きりになるのは避けられるとばかり思っていたのだが。  なんなんだほんとに。    一番好きなコーヒーの香りに包まれながら「これオマケ! 待ってる間に食べて」と言って出してくれたクッキーを齧る。程よい甘味が口に広がった。  前に春日がおすすめしてくれた本のページを捲るものの、文字の上を目が滑っていくだけで頭に入ってこなかった。午後六時以降のことを考えると落ち着かない。  当たって砕けるつもりでいたのに、春日の態度を肌で感じると気持ちが揺らぐ。このまま全部うやむやにして、友人としての触れ合いを享受するのも良いかもしれない。 (でもなぁ……襲いたくなりそうだしな……)  全部終わらせた方が切り替えが出来る。  ここのコーヒーを飲むのも最後かもしれない。  そう思って、もう一杯飲んどくか、と顔を上げた丁度その時。 「つまり! 俺のことは遊びだったってことだろ! はっきり言えよ!!」   カフェタイムとディナータイムの間の、人が減ってきていた店内に大きい怒鳴り声が響き渡った。  声の元の方を見ると紺のブレザーの男子高校生が立ち上がっているのが見える。  その目線の先で椅子に座っている子も、同じ制服を着ている。 「だから勘違いだっつってんだろ! お前本当に可愛くねぇな! 妬いてんならそう言え!」  拳でテーブルを強く叩いて怒鳴り返しているのを見て、本人たちは必死なんだろうが口元が緩む。  甘酸っぱい。  店には迷惑であろうが、面白いのでついつい止めずに眺めてしまう。  座っている方は男らしく整った顔をしていて、なるほどモテそうだ。おそらくそれが原因で人を魅了し、恋人に勘違いされたんだろう。経験がある。  こっちにはその気が全くないのに寄ってくる時は、恋人にも自分にも良いことがないんだよな。  嫉妬してくれるのは可愛いが、そこを上手くフォロー出来ないとこの二人のように拗れてしまう。 「誰が妬くか! 弄ばれてたのに腹立ってんだよ! 俺だってお前じゃなくてもいくらでも相手見つけんだからな!」 (やっべ目が合った)  目を吊り上げて反論しながらテーブルに背を向けたその子とバッチリ視線が合ってしまった。俺が楽しんで野次馬してしまっていたせいだ。  偶然とはいえ、大人の男と視線を交わしたことに一瞬その子は怯んだ表情をした。その後ろにいる坊やも反応して、僅かに眉を寄せるのが見える。  そんなに警戒しなくても、さすがに高校生に手は出さない。  しかしこの状況、なんとも面白そうだ。当て馬役になってやっても良いかもしれない。  俺はその子と視線を合わせたまま、隣の席をぽんぽんと叩いた。笑みを深めて見つめると、グッと手を握りしめてこちらにやってくる。  おそらく、「目に物見せてやる」と思っているのだろうが。 (こんな怪しい男の近くに素直にくるか。この子危ねぇな)  まだ成長途中の体は、俺ならば力ずくでどうとでも出来てしまう。  本当に手を出したら犯罪だが、警告も兼ねて驚かせてやろう。 「可愛い囀りが聞こえたが、どうしたんだ?浮気現場でも目撃したのか?」  自分でも笑いそうな台詞を吐きながら、隣の席に座って足をぷらぷらと遊ばせるその子の顔を覗き込む。特にツッコまれることもなく、顔は泣きそうに歪み、首は左右に振られた。 「クラスの女子があいつとキスしたって……」  今にも俺を視線で射殺しそうなくらい睨んでいる坊やが、それをするとは思えないが。  本当のことは知らないので「勘違いかもしれない」などとフォローはしてやらなかった。  決して真似をしてはいけない悪い大人だ。 「へぇ。じゃあ君も、誰かとしてしまえばおあいこだな?」 「……お兄さんとか?」  先程の恋人への剣幕はどこへやら。上目遣いでしおらしくこちらを見る姿が愛らしい。 「お世辞でも若い子にお兄さんって言われると嬉しいな」  顎に指を添えてこちらを向かせる。  緊張して真っ赤な顔や膝の上で震える拳に口元が緩んだ。  そのまま顔をゆっくり近づけていく。  席から動かずに殺気を放っていた坊やとわざと視線を交える。「早くしないと本当にするぞ」という意図が伝わったのだろうか。  ガタンと椅子が鳴る。  顔色を変えてこちらに向かって来るのが見えた。 (意地張らずに最初から止めりゃいいのに)  圧を掛けたものの、本気でするつもりはなかったので直前で動きを止める用意をする。 「ストップ、お客様~」 「ぶっ!」  良い声が聞こえたと思った瞬間、気がついたら青いメニュー表にキスしていた。  それと共に鼻をぶつけたため、間抜けな声を出してしまう。  顔を上げると、予想通り。春日が笑顔で立っていた。  俺が動きを止めた隙に、こちらに辿り着いていた坊やは恋人の手を引いて腕の中に収めている。  必死の様子が可愛らしい。 「この人、俺の大事な人なんだ。二人の邪魔したみたいでごめんな? ちゃんとお仕置きしておくから」  柔和な微笑みで告げられた春日の言葉に、高校生二人は驚いた顔で俺と春日を見比べる。  しかし二人よりも俺の方が混乱して声を出してしまった。 「は?」 「小金澤さん、帰る支度してくるからそのかわいい子たちに浮気しないで待っててくれよ」  口調は優しいが有無を言わさぬオーラでエプロンを外し、春日はバックヤードへと消えていった。  残された俺は、若い二人に同情するような瞳で見られている。 「ご、ごめんお兄さん! 俺のせいで……お仕置きされる……」  尻すぼみになっていく焦った様子の声には、なんでもない事のように手を振ったのだが。    え、何。  俺、お仕置きされるの?  そんな筋合いは無いと思うが。  いやでも、「大事な人」って言ったな。「俺の大事な人」って言われたんだよな。  というか、まだ全然六時じゃないけど。  店内のシンプルな丸い時計を見上げながら、頭の中では疑問符が舞っていた。  

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