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一章 竜族取締機関―文月班―④
『任務/西域の森 二話』
どうにか燐を止めてから任務出立の準備を済ませると、黙ってこちらの様子を見ていた瑠璃さんが、俺たちへ念押しするように続けた。
「いいですか。『基本、単独での行動は避けること』『無茶なことはせず、危険度が変わるようなら必ず通信で報告すること』『能力の使い過ぎには気を付けること』。……分かっているとは思いますが、これらを必ず、お守り頂くように」
くれぐれもですよと、そう言い聞かせるよう告げられるその文言に、俺は正直、班長・副長の立場が逆ではないだろうかと思った。とはいえこの文月班は、双子を除いた二人ともが、自分にとって先輩やら世話になったことのある人物なだけあって、毎回何も言い返せずに終わる。
俺自身、役職は副長ではあるものの、この機関に勤めるようになってまだ五年そこそこだ。そもそも、自分が副長を任されていることも不思議で仕方ないくらいであるし、そうなるとたとえ立場上自分の方が上司といえど、世話を焼かれるこの状態は、甘んじて受ける他ないだろう。
「それでは、ご武運を」
「気をつけてね」
そう、自分たちを見送る二人に軽く返事をして、俺と燐は機関を後にした。
そんなこんなで、現在西域の森近辺。列車に揺られ辿り着いたこの地区は、言ってしまえば片田舎の辺鄙な場所だ。けれどその甲斐もあってか、喧騒の少ないこの辺りの住民は、根っからの平和気質が多い。
優しそうな村長さんに挨拶だけ済ませた後、俺たちは件の森の中へと足を踏み入れた。
そこまで深い森でもないから、さっさと目的の場所である中腹付近まで駆け、軽く辺りを見回す。そうして特に仕掛けもないことを確認した後、俺は木陰に身を潜め、俺とは別方向を注視していた燐へと視線をずらした。
「瑠璃さんの話だと、この辺りに、昔よく使われてた作業小屋が建ってるらしい。きっと、そこが連中の拠点になってるはずだ」
「小屋っていうと……あれか」
俺の言葉に、燐は静かに呟いた。その視線の先には、小さな木造の建物が一つ建っている。簡素な造りのその小屋は、パッと見た感じ、荒れてはいるものの十分家としては機能している様子で、なるほど確かに隠れ家にはもってこいの物件ではあった。
「……確かにいるな」
「ああ」
気配を探るようにじっと作業小屋へと注視すれば、人の気配を感じる。概ね、瑠璃さんの推測通りのようだ。
……だが、すぐにその気配にほんの少し違和感を覚え、『……でも、』と呟く。
「なんというか……少ない?」
感じた気配の数が腑に落ちず、ぽろ、と声を漏らす。すると、そんな俺の言葉を燐が拾い頷いた。
「だな。俺もそう思う」
「……だよな」
そう、視線の先の小屋から感じる気配の数が、情報と一致しなかった。
小屋の中から感じる気配は、四つ。事前情報だと、過激派集団の人数は最低でも六、七人はいるはず。数が合わない。
「まだしっかり調べたわけじゃないから、断言はできないけれど……」
気配には、系譜の能力上かなり聡い自信はあるものの、正直今のところはまだ勘だ。だから信じきる必要はない、そう零した俺に、けれど燐は間を置かずに一言、告げた。
「ばーか」
「……あぁ?」
そうやって、飛んできた突然の端的な罵倒に、俺は思わず眉間に皺を寄せる。
何だって急に貶されたんだ、俺は。訳が分からず燐を睨むと、当の本人はけろっとした様子で俺を見つめた。
「俺も少ないと思ったし、それにそもそも、お前がそう感じたんならそれは絶対合ってるんだよ」
そうしてさも当たり前だと言わんばかりに、さらりと続けられた燐の言葉に、は、と声が溢れた。
「……なんだよ、それ」
「事実だろ?」
茶化すんじゃないと、言外に言ったつもりだったのだが、それでも尚返される言葉。その、全幅の信頼を置いた言葉に、思わず頬がにやけそうになる。真面目な顔が保てない。
分かっている。燐のそれは、単純に俺の系譜の力に対する信頼であって、そこに深い意味はない。そんなことは分かっているのだが……それでもやっぱり、ここまで頼りにされているとなると、素直に嬉しいと思うのは仕方がないだろう。
「……やっぱ、ずるいんだよなぁ、お前は」
いつもいつも、この男の言葉は真っ直ぐで、取り繕った様子も一切なくて。おかげで、素直に受け入れるには、捻くれている自分の心では少し、難しい。
そんなこちらの心の内を、この鈍感な男が気付く筈もなく。俺が零した言葉に対し、燐は『何の話だ?』と首を傾げていた。
「……いや、なんでもない」
気付いてほしいような、気付いてほしくないような。そんな曖昧な思いが胸に過り、咄嗟に首を振る。
「よし、そうと分かればまず、残りが何処にいるか探すか」
気を取り直し話を続けたものの、燐はまだ納得してないのか、首を捻っていた。その姿に、面倒くさいなと思いながらも、仕事へ軌道修正するよう再度話しかける。
「きっと、俺たちと入れ違いで物資の調達に向かったんだろ。森からは出てないだろうから、早く探そう」
そう続ければ、燐も俺がこれ以上は話さないと分かってくれたのだろう。ふぅ、と諦めたように息を吐いた後、そうだなと呟いた。
「まぁ、そう考えるのが妥当だろう。……探せるか?」
そうして問いかけられた、短い言葉。それに、俺は気を取り直してニッと笑う。
「誰に聞いてるんだよ」
「……だな。悪い、愚問だった」
みなまで言葉を交わすことなく、俺たちは各々の言葉の真意を理解し、笑い合う。もう何年も隣にいたんだ。だらだらと長い問答なんて、俺たちには必要ない。
「それじゃあ、任せた」
燐からの言葉には一つ、分かったとだけ返して、俺は腰に巻き付けているウエストポーチから、手のひらサイズほどのボトルを一本取り出した。
ちゃぷん、と、ガラスのボトルの中で、透き通った水が音を立てて揺れた。
「んー、……多分森の奥には行ってないだろうから、この半分くらいで丁度いいかな」
事前に見た森の地図と、過激派集団の活動範囲の情報を頭に浮かべながら、ぶつぶつと呟く。そして、そのままパチン、とキャップを開けるや、それを徐に傾ける。
重力に従って、水はとくとくと地面に流れ落ちていく。その様を、燐は何を言うでもなく静かに見つめている。その視線を感じながらも、俺はそっと目を閉じ、呟いた。
「|探知《ディテクション》」
言葉を紡いだと同時、暗闇の中、神経を研ぎ澄ませる。森の全体へ、今注ぎ込んだ水の軌跡を追うように。
ここは街中とは違う。人の喧騒はなく静かで、加えて森の木々は全て、根で繋がっている。だから、水が浸透しやすい。
森の全域とまではいかない。けれどゆっくりと、確実に、俺が流した水は森の木々を伝って、波紋上に広がっていく。
木陰に潜む動物の吐息を、水辺の魚の気配を、それから木々の揺らめきを。その全てを、水に浮かぶ波紋のように感じ取る。――――すると、ある一点の場所で、大きな波の揺らぎを感知した。
「……見つけた」
それを認識するや、そう声を漏らす。
ぱちり、途端に瞼を上げた自分の言葉に、燐がおっと声を上げた。
「早かったな」
続けてどの辺りだといった問いに、家屋の左側から伸びる道を示し、続ける。
「ここから北西の、森の入り口辺り。あの道なりに真っ直ぐ行った所だ。三人いる。……あと一応、その家の中にはやっぱり四人しかいない」
そう答えながら、俺は最後にまた端的に、どうする、とだけ告げて言葉を切った。
二手に分かれるのか、否か。また、分かれないのであれば、どちらを先に片付けるのか。
その意味を含ませた問いを、燐はすぐに理解したのだろう。一言、なるほどなと呟いたかと思えば、腕を組み、顎に手を当てて考え込む姿勢を取り始めた。
そうして、束の間の静寂が二人の間に流れる。
「……よし、分かった」
数分ほどの静けさの後。燐は、特になんてことはない様子で口を開いた。
「アレでいこう」
「? アレ……?」
アレ、とは。随分と抽象的な言葉に、緩く首を傾げる。
すると燐は、にんまりと、何処となく楽しそうな顔で再度、同じ言葉を口にした。
そして、続けてこう告げた。
「ほら、昔学生の頃、よく山の中でやってたやつ」
そこまで言われて、ようやく燐の言葉の意味を理解する。……が、それと同時に俺は、ぐっと顔を歪ませる。
「えぇ……アレ? アレ、俺苦手なんだけど」
そう告げた俺の顔は、見るからに嫌だと言わんばかりの顔だったろうに……。それでも燐は、尚もけろりとした表情で続けた。
「いいだろ。あれなら開けた場所でもこっちから先手が取り易いし、何より危険が少ない。何せ、向こうの力量がなんであれ、多勢に無勢だからな」
つらつらと続けられる燐の言い分は、少なからず理解できた。……出来た、が。それでも、はっきり言ってしまえば面倒臭いことこの上ない為、できることなら避けたいというのが本音である。
「……え、本気でやる気?」
「はっはっは」
「いや、はっはっはじゃないんだけど?」
どうにか撤回させようと渋ってみるも、変わらず燐は、見るからに止めそうにはなく。
そうするとやはり、最後に折れるのは自分だった。
「……やるのか」
「俺に任せたのはお前だろう」
あっけらかんと返ってきた言葉に、ああそうだな!とこれまた俺が叫んだのは言うまでもない。
「よし、それなら準備は良いか? お前が出来次第俺も準備をしよう」
こちらが嫌がろうともどこ吹く風なこの班長は、俺の肯定の言葉を聞くや、即取り掛かりたい様子で。おかげでこっちは、先ほどからため息ばかりが口を吐いて出る。
「あーはいはい。分かったよ、やれば良いんだろうやれば……」
実の所、こっちは正直勝手が分かりづらいんだけどなぁ。なんてぼやいても、燐は聞く耳持たず。始終、俺はいつでも良いぞと言わんばかりの、なんとも爛々とした瞳を向けてくる。
その、あからさまに楽しそうなその姿を前にすると、最後には許してしまう自分がいる。分かってるんだ、燐のその顔に自分が弱いっていうことは。
惚れた方が負けだって、本当よく言ったものだと思う。
結果、俺はまったく仕方がない奴だな、と苦笑を零すだけに止まってしまい、我ながら大概だなと呆れた。多分、いやきっと、こうして毎回許してしまう自分もいけないんだろうけれど。
心の中でそんなことを思いながら、俺は一つ、息を吐いた。
「久し振りで上手く出来なくても、文句は言うなよ」
そう吐き捨てた後、俺は静かに目を閉じ、意識を集中させる。水龍の系譜である俺にとって、慣れた水ではない、こちらを操るにはひどく集中力がいる。瑠璃さんならもっと上手くできるだろうが、今この場にあの人はいない。
全く無茶を言う……そう思っていると、不意に隣から、何言ってんだと声が聞こえた。
「出来るよ、お前は。……大丈夫だ」
「……またお前は、そういうことを……」
気を練り出したその直前、落とされたいつもの根拠のない、けれど何処までも真っ直ぐな信頼に、俺はまた頬が緩む。けれどすぐに律して、ぶっきら棒にありがとうよとだけ返した。
その時、そう呟いた燐の眼差しが、とても優しげで、柔らかい光を湛えていたことを俺は知らない。
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