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一章 竜族取締機関―文月班―⑤

『任務/西域の森 三話』  拠点にしている小屋の側から伸びた小道を、北西に上がった、森の入り口に程近い道の傍。そこで俺は、大きな石に腰掛けながら一つ、大きな舌打ちを落とした。 「あー……くそつまんねぇ。人っ子一人来やしねぇし」  はぁ、と盛大にため息を吐き、言外にもう帰りたいといった思いを滲ませる。すると、すぐに隣からおい、と叱責するような言葉が落とされた。 「何言ってんだ、ゴウ。まだここに来て一時間と経ってないだろうが。流石に平和ボケしてる村の連中も、そう易々とは来ないだろ」 「そうそう。ザクロの言う通り、こういうのは気長ぁに待たないと」  自分のように粗悪な顔付きとは違って、ひどく整った造形をしたその人物――ザクロさんと、その腕に引っ付くスズが、俺の吐き捨てた言葉に対しそう告げる。きっとそう返されるだろうと思っていた予想通りの言葉に、けれど俺はまた大きな舌打ちを落とす。 「スズはいつもそればっかだろうが……! ……そうは言いますがねぇ、ザクロさん。こんなの苦行っすよ苦行。あーくそっ、やっぱあっちと代わってくればよかった」  拠点に残った四人のことを指してそう言えば、スズがきゃらきゃらと笑う。 「そんなに嫌なら帰ったら〜? 雑魚なアンタがいなくたって、ここは私とザクロだけで十分だしー」  ねーザクロ?と甘えた声でザクロさんにすり寄るスズの姿に、俺は聞き捨てならねぇと、米神に青筋を立てる。 「あ? 誰が雑魚だって?」 「アンタ意外に誰がいるって言うの? バカ?」  ああバカだったわね、とケラケラと品のかけらもない笑みを零すスズに、俺は益々苛立ちが募る。 「上等じゃねぇか、誰が雑魚だか思い知らせてやるよ、尻軽」 「はぁ〜? 冗談は顔だけにしてよね、筋肉ダルマ」  感情の昂りに比例して、自分の体温が上がる。ぐつぐつと煮える臓腑に焚べられた売り言葉と買い言葉が、俺の系譜の炎を立ち上らせる。スズの周りにも、ピリピリとした電磁波が滲み出ている。上等だ、俺の炎とテメェの雷、どっちが上か思い知らせてやる。  まさに一触即発。そんな状態の俺らの前に、ぬっと手のひらが差し出された。 「やめろ、お前ら」  淡々とした、冷静な声が俺らに向けて落とされる。視線を上げれば、ザクロさんの呆れた目が俺ら二人を捉えていた。 「仲が良いのは結構だが、ここではやめろ。カモに逃げられたらどうする」  帰ってから好きなだけやれと、そう煩わしそうに吐き捨てたザクロさんの聞き捨てならない言葉に、流石に俺もスズも声を上げて否定した。 「待ってくださいよザクロさん! こんなビッチなんかと仲良くなんてねぇです!」 「そうよザクロ! こんな頭の中まで筋肉なヤツ、私大っ嫌いなんだから! 私が好きなのはザクロなの!」  勘違いしないでよと叫ぶスズの言葉に、俺はまた腹が立ち声を荒げたものの、それはすぐザクロさんの声に掻き消された。 「あー、分かった分かった。いいから静かにしてくれ」  そんなやり取りをしながら、けれど俺たち三人は、やいのやいのと言い合いながらもその場を離れようとはしなかった。……今思えば、気が抜けていたのだ。今日この日まで、上手くことが進んでいたから。  ――――そうして、半刻ほど時が経った頃。それは始まった。 「……ん?」  その時、ふと感じた違和感。肌を撫ぜる風が、己に纏わりつくようにひどく生温い。 「……なぁ、なんか風が生温くねぇ?」  先程までは一切感じなかったというのにと、訝しみ辺りを見回すものの、周囲に変化は全くなかった。すると、俺の言葉にスズが緩く首を傾げた。 「へ? ……そうかなぁ、ゴウの気のせいじゃない?」  そう零しながら、スズは感覚を研ぎ澄ませようと目を閉じ、風に身を委ねる。けれどスズはすぐに目を開き、首を捻った。それからすぐに、ああ、と何かに気付いた様子で声を上げる。 「もしかして、ヒマすぎてついに可笑しくなっちゃった?」 「ぁあ⁉︎」  こちらを嘲笑するように口角を上げ、くすくすとスズは笑う。その言葉にもちろん俺は反論したものの、スズは聞く耳を持たない。 「ぜってぇ温い風が吹いてるって! さっきまでと違ぇ!」 「またまたぁ、なんにも変わってないって」  すると、また言い争いを始め出した俺らを見兼ねてか、ザクロさんが俺たちの間に入った。 「おいお前ら、本当いい加減にしろよ。……言われてみれば、確かにゴウの言う通り、急にさっきから温い風が吹いてるな」  ザクロさんの言葉に、俺はほら見ろ!とスズに詰める。そしたら、途端にスズは拗ねたようにえー、と口を窄めた。  そんな俺たちを見て、ザクロさんはまた仕方がないと言わんばかりに一つ息を吐き出す。 「とはいえ、所詮それだけだ。気にするほどじゃないだろ。……まぁだが、そろそろアジトに戻って交代でもするか」 「おっマジですか!」  瞬間落とされたザクロさんのその言葉に、俺は声を弾ませる。資源の強奪は確かに俺らには必要だが、正直もう、こんな七面倒くさい事をしないで済むのなら、それに越したことはない。そんな思いを言外に滲ませてしまい、ザクロさんからじとりと睨まれた。  すいませんと咄嗟に頭を下げれば、ザクロさんもそこまで深く突っ込む気はなかったのか、すぐに気を取り直した様子で姿勢を正した。 『それじゃあ行くぞ』と、そうザクロさんが口を開いた――――その瞬間。  ぽつり、と、何かが頬を伝う感触を覚え、俺はパッと顔を上げた。 「……お、?」  天を見上げる俺に釣られて、二人も空を見上げる。そっと掌を上にして腕を上げれば、瞬く間にぽつ、ぽつ、と絶え間なく、雨粒がその手へと目掛けて落ちた。――――雨だ。 「えーやだ! 雨?」  そうして雨だと認識するや、途端に雨足は強くなり天候は悪化。結果、辺り一面は雨に覆われることとなった。 「ッチ、おい、二人ともこっちだ」  流石に雨足が強いせいか、ザクロさんは拠点に戻るのは一旦止めたようで、俺らを誘導するように近くの大木の下へと身を滑らせた。その背に続き、俺もスズも木の下へと駆け込む。  そうこうしていると、途端に辺り一面には激しい雨が吹き荒んだ。 「うげぇ……さっきまではあんなに晴れてたってのに、どういうことだよ」 「そう言うな、ゴウ。この勢いだ、どうせ通り雨だろ」  せっかく帰れると思ったのに……そうぼやく俺に向けて、『すぐに止むさ』とザクロさんは語る。ザクロさんがそう言うのならと、俺は渋々といった体でそれならいいですけど、と言葉を返す。 「……ていうかさぁ、寒くない?」  すると、スズがふるり、と腕を摩りながら大きく身震いした。その言葉に、今回ばかりは俺も、素直にそうだなと腕を摩る。  先程ほんの少し触れただけではあるが、確かにその雨粒は、どういうわけかひどく冷たかった。それはもう、身体の芯から暖を奪い取るような、真冬の冷水のような。それもあって、俺たちの足は拠点には向かず、ただ恨みがましく天を見上げることしかできなかった。 「もう少しだけ辛抱しろ。雨が上ったらさっさと戻ればいい」 「うぅ……さむい~っ」  それでもスズは寒さを紛らわしきれないのか、しゃがみ込み体を縮こまらせていた。そんなスズを見下ろしながら、俺もザクロさんも、二人静かにため息を吐いていた。  そうして、二、三分ほど経った頃だろうか。雨足は、本当にザクロさんの言った通り、すぐに緩やかになっていった。しとしとと微かな音が辺りを包み、そして……それと同時に、周囲は一面真っ白な霧に覆われた。 「わーっ、本当にザクロの言った通り! これで帰れるね!」 「そう燥ぐなスズ。霧が酷いから、地面が泥濘んでても分からないぞ」  まだ完全に雨が上がりきっていない中、スズは木の影から抜け出し外へと駆けた。その背へ向けてザクロさんが静止の言葉を掛けるも、スズは足を止めずくるりと俺たちの方へと振り向く。 「泥濘んでてもいーじゃん。汚れるのは絶対嫌だけど、私寒いのもイヤなの! ほら、早く戻ろ!」  やいやいと騒ぐスズを前に、俺たちはまた呆れたものの、スズに続くよう木の影から抜け出した。実際、こんな霧じゃあ益々村の連中も外には出ないだろう。だから、このままここに止まる必要はこれっぽっちもなくなった。 「ああ、言っておくが、霧が晴れたらもう一度狩りに出るからな。分かってるだろうな、お前ら」 「はーい」 「りょーかいっす」  ザクロさんの言葉に、俺たちは気の抜けた返事をする。そんな俺らに、ザクロさんはまたため息を吐いてはいたものの、そのまま濃霧の中、俺たちの後に続くよう、足を一歩前に踏み出す。 「――――狩り、な。随分と物騒な言い方するな」  その、瞬間。俺たち三人の丁度真後ろで、そんな声が落ちてきたものだから。ピリリ、と緊張の糸が走った。 「……は?」  咄嗟に振り返ったものの、その視界には只々真っ白な霧が広がっているばかり。すぐ側にいる二人の姿しか、はっきりとは映らない。  俺たちはそのまま、静かに三人で顔を見合わせた。いつも冷静なザクロさんも、巫山戯るスズも、その目は衝撃に揺れている。 「……今、何か言ったか?」 「い、いや……」  ザクロさんの言葉に、俺もスズも、其々首を横に振って否定する。なにより、聞こえた声は、明らかにザクロさんのものとも、スズのものとも、もちろん俺のものとも違っていた。俺たちじゃないのだ。 「……や、やめてよゴウ、ふざけるの」 「は、はぁっ⁉︎ 俺じゃねぇよ!」  不意に掛けられたスズの言葉に、言いがかりはやめろと叫ぶ。こんな状況ですら、コイツは俺を貶すのか。そう、咄嗟に腹が立つ。  けれど、すぐにスズは少し食い気味に、震える声でじゃあ!と叫んだ。 「それじゃあ誰だって言うのよ! ここには、私たち以外誰も……っ」  いない――――、と。彼女が叫びかけた、その直後だ。つい今し方、三人で雨を凌いでいた大木の上から、大きな影が落ちてきたのは。  咄嗟に俺たちは前を見遣る。が、皆、濃霧でその影が何なのかまでは判断できなかった。 「……っ、な⁉︎」 「遅いな」  キン、と、美しい音色が耳に届いたのと同時。ほんの瞬きの間に一人、ザクロさんが、呻き声を上げて地面へと突っ伏したのが分かった。 「っ、ザ、ザクロさん⁉︎」  突然のことに驚きを隠せない。身構えながら、けれどすぐに認識する。  何者かに襲われている。  そう理解し、すぐさまザクロさんのいた方へと視線を向けた。  霧の中、薄らと見える一つの影。そこに立っていたのは、ザクロさんとは似ても似つかない、まるで炎のような目をした黒い衣服に身を包んでいる男だった。瞬間、俺は大きく目を瞠る。  近付いたことで認識できた、黒を基調とした、銀の装飾やら何やらが施された華美た衣装。考えるまでもない、この国では知らない者はいないその制服に、俺はグッと眉間に皺を寄せる。 「お、前っ! まさか、取締機関の奴か……っ⁉︎」  黒と銀の衣服、それはまさしく、竜族取締機関の制服だ。それを身に纏う大刀を手にした男の姿に、スズは瞬間身を縮こまらせた。  そんな俺らを前に、男は、にやりと口角を上げて笑った。 「ご明察」  小さくそう口ずさみながら、男は左手の革手袋の裾をぐっと引き、付け直した。  マズい。この状況は。ザクロさんが一撃でやられた。俺がやらないと。スズが、スズを守らないと!  瞬時に思考を巡らせる。こんな間近に接近されるまで気付かなかったんだ。確実に自分より強いだろう。そう思うと同時に、ふとある事に気付く。 「どういうことだよっ、なんだお前……っ! この地区の担当連中は、女しかいないんじゃなかったのか⁉︎」  俺の叫んだ言葉に、赤い髪の男はへぇ、と目を丸くした。 「よく調べてるな。無計画で無鉄砲な連中ってわけではなかったってわけか」  男はそう零すと、その認識は合ってるぞと続けた。 「西区担当の葉月班は、取締機関唯一の女だけの班だ。……ああ、もしかして、|だ《・》|か《・》|ら《・》ここだったのか?」  その言葉に、ぐっと言葉を詰まらせる。そんな俺の様子を見て、肯定と認識したのだろう。その機関の男は、ふぅんと何故か興味がなさそうに呟いた。  確かにこの男の言う通り、ここで物資の調達をすると決めた最大の要因は、竜族取締機関のこの地区担当班が女しかいない班だったからだ。ザクロさんも、ここならたとえ機関の連中が来たとしても、勝ち目があるだろうと見越した。  だからこそ、この男の存在は誤算だ。 「……やっぱ前言撤回。お前ら、計画性ゼロだわ」 「……あ゛?」  さあ、この場をどう切り抜けるべきか。そう悩んでいたその瞬間、落とされた男の言葉に、俺は青筋を立てる。こちらを馬鹿にしたその言い草、それに一言文句を言おうと顔を上げる。 「テメェ、ザクロさんの計画を馬鹿にすんじゃ――――っ!」  その時。確かに距離をとっていたはずの男と俺との間は、もう目と鼻の先まで迫っていて目を見開いた。 「っ……⁉︎」  いつの間に。そう思うと同時、男が口を開く。 「葉月の姉さん方は、普通に強ぇから」  俺の懐に潜り込んだその男は、自分の体格ほどもある大きな獲物を背負っているというのに、それを微塵も感じさせないほどの素早さで俺の目前まで迫っていた。  ――――反対に俺で良かったと思うぞ、お前ら。  そんな男の言葉が耳に届くのと同時、男が獲物の柄を握り直したのを捉える。  瞬間、俺は咄嗟に叫んだ。 「……っ! スズ、逃げ――――っ!」  そう叫びきるよりも先に、俺は腹に重い衝撃を受ける。痛い、けれど、なぜか血が流れる感覚はない。ああそうか、切られたんじゃなく殴られたのか、なんてことを、薄れる意識の中ぼんやりと思う。ただの打撃でここまでの威力、やっぱり、取締機関の連中はやべぇ連中だ。筋肉自慢の俺が言うんだから間違いない。  そんな、現実逃避のようなことを考えながら俺は、一人残した腹の立つ仲間への謝罪を胸に、薄れゆく意識を手放した。

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