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第5話 契約成立

玄関を入ると、すぐさま海外のお土産品が目についた。 海外旅行好きなら話題は尽きない。 さらには息子が大学の山岳部で、望月も山岳部だったことから、話はかなり盛り上がった。 細身の望月が山岳部なのは意外だったが、日頃の動じなさはそういう経験から来ているかもしれない。 他社から来ている提案内容まで教えてもらい、望月がその提案内容を丁寧に解説をしてあげた。 先方も望月の話で改めて意味がわかったようで、すっかりこちらを信頼している。 次回また具体的な提案をすることになったが、ほぼ契約に至りそうな雰囲気だった。 訪問を終え、目当てのお店へ車を走らせた。 「うまく行きそうじゃないですか?」 「そうですね。今のところは。ただ、やっぱり契約成立までは油断できません」 厳しい見立てだが、成績上位者はそういうシビア奈人がなるのだろう。 ♢♢♢ 社内に帰ると、望月は早速提案書を作り直していた。 終業間際に、新しい提案書とスケジュールが提示される。 やはり仕事が早い。 それから2ヶ月後、その顧客から契約が取れた。 ただ、金額は思ったより少なかった。 「微妙な金額ですね。望月さんの提案は完璧だと思ったんですが……。すみません、あまり俺は役に立てなかったみたいで」 「別に問題ないと思いますよ。大口顧客でも最初はそれくらいの金額もザラにあります。まだ様子見なんでしょう。でも、口座を作るハードルは超えたわけだし、それがたった2ヶ月でなんて上々ですよ。半年や1年、3年越しの初回契約もありますからね」 それなら良かった。 望月ですらそれだけかかっているんだ。 自分が営業の大変さをまだまだわかり切れていないと思った。 「お祝いに、飲みに行きませんか?」 望月も心なし嬉しそうだ。 そう言われて、カジュアルバーに向かった。 ♢♢♢ この2ヶ月間で望月との心の距離はだいぶ近づいていた。 当然ながら、望月は自分が言うほどおしゃべり下手ではなかった。 正直なことしか言えない、というだけだ。 移動中の車内でも、案外望月は自分からしゃべっていた。 自分が聞き役に回るのは珍しい。 そして、それがノーストレスだった。 そう考えると、自分の方が普段は気を遣っておしゃべりをしていたのかもしれない。 雑居ビルの地下のカジュアルバーに入ると、望月はやはりすぐにネクタイを外した。 「ネクタイ嫌いなんですね」 「ええ、よくない思い出があるんです」 また心臓に悪い話が飛び出るんじゃないかと身構えた。 「高校時代、ブレザーの学校で、ネクタイだったんです。母親が過保護で、毎日ネクタイを母親が巻いてくれるんです。自分でやると言って断ると、怒り出すんですよ。面倒臭いですよね」 確かに高校生の年頃に母親がまとわりついてくるのはウザいだろう。 「兄がいるんですけど、問題児で。もしかしたら検査すれば何か障害が見つかったかもしれませんが。父は大企業の幹部で仕事ばかり。母は兄の面倒で神経をすり減らしてました。だから、本当は兄にかけたかった愛情が、全部俺に来たんです」 望月のマダムキラーっぷりはそこから来ているのかもしれない。 「母は、家庭を顧みない父や、愛情に応えてくれない兄の代わりに、俺を理想の男にしようとしました。考え方から振る舞い、服に至るまで、自分が気に入れば良し。気に入らないならダメ。彼女を作るなんて、土台無理な話で。高校で初めて彼女ができたとき、母は彼女のあらゆるところを否定して、彼女の家庭まで批判しました。俺が無気力になって諦めるまで一日中、毎日ですよ。彼女とは一週間で別れました」 望月はため息をつきながらグラスを傾けた。 「反抗すれば『裏切られた』だの『死んでやる』だの言って、ヒステリーを起こすんです。本当に、こっちの頭がおかしくなりそうでした。」 まさに毒親だ。 望月のミステリアスな雰囲気は、その時の体験から来ているのかもしれない。 「それでも、大学で実家を離れたら母の呪いから解放されると思っていました。大学で彼女ができて、ようやく自分も一人前になれたような気がしました。でも、現実は甘くなくて、いざセックスしよう、ってなったとき、俺は、彼女の裸を見て吐きました」 俺は、黙って望月の話を聞いていた。 何て声をかけていいか、わからなかった。 「俺は、男が好きなんじゃなくて、女が嫌いなんです。何を言ってるかわからないし、不安定な情緒でこっちをコントロールしようとする。産んで育ててやったんだと恩着せがましく主張してくる乳房も女性器も気持ち悪いんです」 母親のトラウマを女性全般に重ねているのだろうが、そんな理屈は彼もわかっているだろう。 彼の心に刻まれたものが、いかに罪深いものであったか。 慰めの言葉は見つからなかった。 「すみません、こんな話をして」 望月は、グラスを揺らし、回る氷を見つめながら言った。 「いえ……辛かったんですね。俺じゃ想像もつかない……」 早坂は望月を直視できず、グラスの中の氷を見つめた。 「別に、今の生活に不満はないですよ。それなりに、自分でバランスを取ってますから」 望月はオリーブの実にフォークを突き立てて言った。

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